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まみあな

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「作るんだお前」
「上手いよ」
「それよりなんか甘いものないの」
 何かを避け続けるように、会話を続けた。光の量が少ない。うまく届かない。届かないと色が見えない。色が見えないとしんとするなと考える。しん、と、するな。
「甘いものねえ」
 なぜか雪村が笑う。地声なのかそれとも。笑う、声。


 母親からかかる電話は憂鬱にさせる。めったにかからない電話の、うちのひとつだというのに、ちっとも救われない。
 忙しいのねと不満そうに呟く母親。学校楽しい?
 さあどうでしょう、よく分からないんだ正直、でも答えずに、どこか遠いところから返答をひっぱりだして投げ返して切った。
 母親の把握している下宿にはもう住んでいない。そしてハルカの部屋にも、殆ど帰らない。
 あんたおじいさんによく似てるわよ、人の気持ち考えないところそっくりよ。そんなところ比べられたって。
 ぜんぜんあたしを省みないところそっくりよ、ということだろうか、それは。それは仕方ないだろうに。息子と父親じゃ違うだろう。それとも同じなのかあんたにとっては。
 勝手な男だと。
 現実を。
 直視させるな母親。なにもかも放り出したくなるから現実を直視させるな。じいさん、現実直視したくなんてないよなあ。病気の妻に愛想つかされてたとしても見たくないよなあそんな現実。いま精一杯やってるんだから。現実的なことを考えようとすると何もかもどうでもよくなる。母さんどうしたらいいんですか。それならどうしたらいいんですか。口出しするなら全部決めてください母さん。なにもかも放り出したくなるのに。決めてくれよ、ハルカ。
 忙しいのねえ。
 そうみたいなんだ、逃げだしたくなるくらいにね。
 そうしたからって人類の損失にならないことくらいもう知ってるんですよ母さん。


「僕はやりたくてこれやってるわけじゃないんだけどね」
 甘いものはないなあと言った続きで、雪村が言った。
「でもやらなきゃならないみたいなんだ」
「いやならやめれば」
「放り出すわけにはいかないよ」
「いかないの?」
「そうじゃない?」
 手元は別の生き物のように動く。頭は何も考えていない。いや、何かを考えているのかもしれないが、考えの表層に上がってこない。遠く。
 どこかに逃げ込んで、出てこなくなっている思考。
「君だって彼女の所に帰るだろう」
 かろやかなままで言われたので一瞬なんのことだかわからなかった。
「学校にもどうせ、月曜日には行くんだろう?」
「……何の話?」
「ばかだなあ」
 手は動いて止まらない。単純作業。手が思考より先に進む。ばかだなあ、と雪村が言った。ああ真実だ、と思った。物事には時期があるんだよ、それってねえ、僕らの意志とはなんのかかわりもないんだよ、みんなで決めちゃうんだよ、ねえ君、もう遅すぎるよそれは、観念しなよ、遠く、天窓からの光のように、雪村の声が降ってくるのかそれとも来ないのか。
「死ぬのって」
 口から勝手に声が出た。
「どう思う?」
 なにもかもを放り出す、最後の選択はそれじゃないだろうかとうすうす気づいているので、そんな声が出た。
 ハルカの家にも、学校にも、実家にも行かないでここで、何をしているのだろうと思いながらここで、タイトルも著者も、表紙の色さえわからない本をえり分けている。甘いものが好きなのはハルカだ。でもあまり食べない。食べた方がイライラしないよと言うと、誰のせいなのと言うと同時に、ダイエットしてるから、と言う。彼女も怖いのだろうか。なにが?
 自分は怖いのだろうか、何が?
「死にたいの」
 かろやかなまま降ってくる雪村の声。
「別に」
「死んで何もかも終わるものならそれもいいかもしれないが、そうすると僕がここにいるのはどういう道理だと思うよ?」
「意味わかんねえし」
「だって僕がどう見える?」
「見える?」
 言われて、脚立の上を見上げる。
 光に近いはずなのに雪村は、手もとの本と同じに、色がなかった。モノクロ。モノクロというのはでも、色、あるよなあ、と、関係ないところで考えた、頭のどこかで。
「たぶん僕は時期を逃したんじゃないかと思うわけだ、こんなところで本の整理をするためにそうしたわけじゃないんだがね、時期が大切だよ。分かる?」
「分かんない」
「遅すぎるよ、君はもう今は」
 そう言って、雪村は、本を投げてきた。
 遅すぎるよ、君、そんなの。
 スローモーションで落ちてきた。ぱらぱらと捲れるページ。ぼんやり見ていた。雪村の顔を見ていた。誰かに似ているような気がした。雪村って誰だっけ。そう思った。
 おじいさんは馬鹿だった。気がついたときにはなにもかも手おくれ。あたしを捨てて、おばあさんに捨てられて。母親の声。
 落ちてくる本が、落ちてくる途中で突然分解した。ぱあっと目の前に明るい色が広がった。赤。ぱらぱらと、ページが崩れて分解して広がって、一面に赤い、花びらが。
 目の中に広がった。
 目を見開いて見ていた。ハルカの赤い目が、涙をこらえてる目が目の前に見えた気がした、赤。赤の中で飛んでくる何か、目に慣れたもの。風を切って飛んでくる何か。手を伸ばして、
 茶碗。
 掴もうとした。
 遠くで笑い声が聞こえた。


 目を開くと、まず、遠くに駅が視界に入った。
 壁はどこへ行った、と考えて、目をしばたたかせた。大量の光が目にいきなり入って、対応できずにかえって暗い気がした。
 視界が広く広がり、視界を下げていったところに、小さな駅舎と線路が見えた。斜面の上の、ベンチ。座っていた。駅舎までの間の斜面が一面赤い。ああそうか、山の上のバラ園。こんなもの、来るときはなかったのに、雪村どうした、あれ。
 雪村?
 音楽が鳴っている。なんの音楽だ、閉館時刻なのか、手が何かをしっかり握っている。茶碗だろうか。茶碗だろう多分。そう思いながら見下ろすと、茶碗ではなくて携帯電話だった。うわっと呟いて電話に出た。
 出たとたん後悔した。母親だった。ねえお菓子たくさん頂いたんだけどあんたいる? 出たとたん、そう言われて、頭がそれでなくてもぼうっとしているのによくわからず、とりあえず一番気になっていることを聞いた。
「なあ母さん、雪村って、誰だっけ」
『何言ってるのあんた』
 馬鹿にするような口調。笑っているような、ああ、聞き覚えのある。なんで馬鹿にされなきゃなんないんだあんたに、と、心のどこかが考える。どうして反抗しないではいられないのかよくわからないが何か意味があるのだろう、茶碗みたいに。
『母さんの、旧姓』
「ハ」
『あんたの友達にいたかってこと? そんなの知らないけどね、雪村はほら、おじいさんの苗字』
 はあ、と息が漏れた。
『それよりあんた、お菓子よお菓子、いるのいらないの、いるなら下宿送るわよ』
「いるけどさ」
 息が漏れたあと、おかしくなった。
「いるけど母さん俺、もうそこ住んでない」
 母親は一瞬絶句し、そういうことはさっさと言いなさいあんたっ、と怒鳴られた。
「でもたぶん怒るよ母さん」
 ああそれが現実だ。

 バラ園で、落ちていたバラの花びらを拾った。
作品名:まみあな 作家名:哉村哉子