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ぼくらは軍隊

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「お義父さんなんか存在自体が不穏当じゃないですか。まだ引き上げないんだなあ自衛隊。もーいいんじゃないかと思うけどなあ」
 ぼそぼそと呟きながら佐々木くんはチャンネルを変えてみる。遠い国の戦争は終わったと思ってからまだ長く続いている。なんだってそうだよなあと佐々木くんは思うこれであがり、あとは楽勝、と思ったってそううまくはいかないもんだ。
 でも適当に切り上げないといつまでもずるずるひっぱられるのになあと思い、思ったところで、ああそうか木村冴子が言っているのはこういうことか、と思いいたった。思いいたったところで、高橋さんをじろじろ見た。今日の高橋さんはいつもより軍服が濃い、ような気がする。じっと睨んでもその下の服がよく見えない。
「だいたい自衛隊は軍隊ではないと言っただろう」
「そーですか。でもリストラとか倒産とかなさそうですよね。それはいいなあ」
「入るかね佐々木くん」
「俺けっこう体弱いから無理じゃないかなあ。根性ないし」
 ちゃんねるをぐるぐる変えていると、やめなさい佐々木くん、と怒られた。目が回る。はあいと子どもみたいな返事をしてリモコンから手を離す。テレビでは犬と飼い主が共に映っている。
「だいたい私は戦争をしたいわけではないんだぞ佐々木くん」
 高橋さんが宣誓をするような口調で言った。佐々木くんはアルバイト情報誌から目を上げた。
「そうなんですか」
「そうだ」
「そうですか」
 ふうん、とつぶやいて、佐々木くんはすこし首をかしげて、のびをした。のびをしたら背中のうしろのダンボールに手があたった。とたんに、忘れていた(もしくは忘れていたつもりでいた)それの存在に気づき、憂鬱な気分になった。
 佐々木くんには自分の部屋がないのだ。
 もともと高橋さんの部屋だった場所が余っていて、ミワ子には、佐々木くんがそこ使えばいいじゃない、と言われていた。でもさあ、なあ、でもお義父さんが帰ってきた時気ぃ悪くするだろ、と、佐々木くんは煮え切らない声でもそもそと言い返した。だってそこに出しっぱなしにしとくわけにもいかないじゃないとミワ子は言った。そうだけどさあ、もうちょっと待ってみようよ、そう言っているうちに様々なことが起こり、結局そのまま、佐々木くんはいまだに、荷物をダンボールに入れたままで、居間のこたつのまわりで暮らしている。
 ダンボールに七箱、多い方ではないつもりだが、それでも邪魔には変わりない。それをなんとかしないといけないのだが、ずっとここに住むつもりならこんなところに放置していないで片付けないといけないのだが、だいたい箱を片付けたらどこかから新しいジーパンの一本ぐらいたぶん出てくるのだが、なにもかも面倒くさくてとりあえず放置してあるのだ。
 高橋さんは高橋さんで、ほんの少しの荷物と共に帰ってきたあとその荷物をずっとこたつの横に置いたまま暮らしている。佐々木くんより荷物の量はずっと少ないが(スーツケースにひとつとボストンバッグふたつ、長めの外国旅行みたいな量だ)状況は佐々木くんと同じだ。
 二人して、あいたふたつの部屋のことは考えないふりをしている。ミワ子の部屋を片付けないことは考えないふりをしている。
 ミワ子の部屋には子どものための物も少しある。まだ少ししか買っていなかった。その少なさにも時間がまとわりついている。時間。子どものためにこの世に用意されていた、期待されていた、ほんの短い時間。
「佐々木くん」
 佐々木くんがダンボールにもたれかかってぼんやり憂鬱になっていると、高橋さんがいがらっぽい声で呼んだ。佐々木くんは、変な声だな、と思った。風邪でも引いたのかな。まずいな。
「はい」
「君は少し元気がないようだね」
「……そうですか?」
 佐々木くんは驚いて目を丸くする。高橋さんはまっすぐ佐々木くんを見て、いつものように背すじを伸ばしていた。
「そんなことないですよ元気ですよ俺」
 やんなきゃなんないことをしたくなくて憂鬱で、仕事が見つからなくてそもそも見つけるのもまあちょっとめんどくさくて暗い気分にはなるけど、元気は元気、そう言おうとして、でも高橋さんの顔を見ているとその言葉がうまく口から出てこなかった。
「君はここに住まなくてもかまわないんだよ」
「……はあ」
 佐々木くんは目を丸くしたまま、自分がそう言っている声を聞いた。高橋さんはひどくまじめな顔をしている。佐々木くんをまっすぐに見る。
「この家に住む責任も私と住む責任もないのだからここに帰ってこなくてもかまわないんだよ。もちろん私が出ていってもいいわけだが」
「はあ。……それはだめですよ」
 言葉がうまく口から出てこなかった。高橋さんの目が夜の闇のようにくろぐろとしている。佐々木くんは、自分の頭の中になにか脳みそ以外のものがつめこまれているような気分がした。頭の回転が遅くなってとてもぼんやりしている。ものごとの輪郭がうまくつかめなくなる。
 目を丸くしたまま、佐々木くんはどたんと勢いをつけて立ち上がった。そうしなくてはいけないような気がして立ち上がると、うしろに積んであった段ボールがぐらりとかしいでそのまま崩れた。佐々木くんはうわあと振り返りかけて、でも、高橋さんから目をそらせないままで、立ちあがって高橋さんを見おろした。
「だめですよ」
 大きな声が出た。
 大きな声を出すと気が抜けた。頭が一瞬はっきりしたような気がしたけれどまたすぐにぼんやりした。佐々木くんは高橋さんから目を逸らした。それからのろのろと動いて鞄を手に取った。
「出かけてきます」
「はい」
 玄関を出て行こうとして、佐々木くんは、玄関の上に頭をぶつけた。
 あいたァと呟いてしゃがみこんで、しゃがみこんだまま後ろ手に扉を閉めた。痛いけれど涙目にはならなかった。驚いていたからだろう。額を押さえながら、はい、だって、と思った。はい、だって。変な返事。変な声。高橋さんどうかしている。


 木村冴子が入ってきた時、佐々木くんはテーブルに頭を突っ伏したままの姿勢で固まっていた。木村冴子が横に立ってじっと見ても、固まったまま動かない。木村冴子は佐々木くんの向かいの席に座った。ウェイトレスがやってくる。やってくる前に佐々木くんは頭を動かした。木村冴子を見た。
「どうしたの」
 木村冴子が言った。
 そう言われて頭の中が白くなる。どうしたんだっけ。どうしたんだろう。
「……どうしたんだろう」
 木村冴子はためいきをついた。
「ねえ佐々木くん、やっぱりあなたこのままじゃだめなんじゃない」
「ダメかな」
「そうよ」
「ダメか」
 佐々木くんは頭を抱えた。ダメかあー。のばした声でそう言った。佐々木くんが頭を抱えていると、木村冴子は佐々木くんの分のコーヒーも頼んでくれた。午前三時のデニーズで、佐々木くんと木村冴子のほかには誰もいない。こんなことで二十四時間営業する意味あるのかなあと佐々木くんは思う。まあ開いてなきゃこの寒いのに困ったけど。
 ここは木村冴子の家のそばにある。
 長すぎる体を折り曲げて頭を抱えた姿勢で、佐々木くんは上目づかいに木村冴子を見る。
「……喧嘩しちゃったんですよ」
「それ読んだわよ」
 ため息混じりに木村冴子が言った。
「なあ木村」
「なに」
作品名:ぼくらは軍隊 作家名:哉村哉子