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ぼくらは軍隊

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 あいたァと声を上げてしゃがみこんで涙声になっていると、高橋さんがやってきた。朝なのでどことなく寒そうに見える。今年は冬になってもあまり冷えない。朝と夜だけひどく冷え込む。朝が一番寒い。朝はこれからこたつに入る時間だから寒く見えるんだろうと佐々木くんは思う。こたつに入りっぱなしだった高橋さんがこたつから少し出ても寒そうには見えないが、まだ全然こたつに入っていない高橋さんは寒そうに見える。
 夜が冷え込むことはそんなに寒くない。夜はこたつに入った後眠るのだから。温度の問題というよりも、気分の問題として。
 それはそれとして、高橋さんをじっと見ると、軍服を透かして白いセーターが見える。高橋さんはなかなか趣味もいい。イギリス紳士みたいだ。
「佐々木くん」
「ハイなんでしょうかおとーさん……」
 涙目になってうつむいたままで答える。滅多にないアングルだなと佐々木くんは思ったりしている。見下げる高橋さん見上げる佐々木くん。
「男が簡単にぎゃあぎゃあ泣くものではないぞ」
「ぎゃあぎゃあは言ってませんけど痛いんですよ」
「口応えもするんじゃない」
「はあ」
 高橋さんはちょっと旧弊だ。
 将軍なのであたりまえかもしれないが。あたしと結婚したら佐々木くんはお父さんの部下になるのよとミワ子は言った。はあ? と佐々木くんは答えた。お父さんは昔から将軍なのよとミワ子は言った。それどういう意味で、と佐々木くんは聞いた。そのまんまよとミワ子は言った。そのまんまよ。
 きみの名前は将軍、ぼくの名前は三等兵、ふたりあわせて軍隊さ、きみとぼくとで軍隊さ。
「あ、やばい」
 がっくりとうなだれていた佐々木くんは、腕時計の文字盤にふいに気がついて立ち上がり、その拍子にまた鴨居に頭をぶつけた。あいてっ。高橋さんは目を細めて佐々木くんを見上げる。呆れたらしい。
「あー、ええと、俺は今日スーパーでタイムサービスがあるのでそれ行ってきます今から」
「朝からかね」
「はあ、そうです、タイムサービスっつーか、あそこの中で服売るようになるんで、オープンセールです。そいえばなんか買うものありますかね」
「みかんがなくなったな」
「買ってきましょうか」
「いやよそう」
「なんでですか」
「あれはあるとあるだけどんどん食べてしまう。良くないことだ」
 ふうんと口の中で佐々木くんは呟く。ふうん。
「……みかんくらいいくら食べたって困んないですよお義父さん。貯金あるし」
「そういう問題ではない」
「そですか」
 そこで佐々木くんは高橋さんから目をそらして、部屋を見回し、こたつの自分の席に佐々木くんの鞄をみつけてそれを拾いあげた。それからまた高橋さんに目を戻す。
「お義父さんも一日こたつでぼーっとしてないでなんかしてくださいね、ほらええと、ネットとか」
 えーとと考えながら頭の横でぐるぐるまわした人差し指を、ミワ子の部屋へぴたりと向ける。パソコンはミワ子の部屋にある。
「……何か、ゲームでもしてみるか」
「あーそうですね、軍隊のやつでもやったらいいと思います。あ、でもそのお金自分で出して下さいね」
「いやだめだ」
「何でですか」
「私の貯金は軍の兵糧だ。一大事の時に使うものだ。君が出しなさい。今日買って帰るといい」
「うわー何ですかそれ。やですよ。てか、ネットで買えるでしょそういうのって」
「やですよなどということばはないぞ佐々木くん」
「だってやじゃないですか」
 玄関でコートを着る。高橋さんはいつも佐々木くんをきちんと見送る。出迎えてはくれないのに見送りはしてくれる。おそらくまだこたつに入っていないからだろう。高橋さんは佐々木くんが出掛けるまでこたつには入らないのだ。佐々木くんが出かけて、朝の数時間家の掃除をてきぱきと行うまで、こたつには入らないのだ。
 いってきますと言って家を出る。玄関に頭をぶつけないように気をつけてかがんで部屋を出る。
 むかしミワ子に、佐々木くんは背が高いからすぐみつかる、と言われたことがある。背が高いのは佐々木くんの長所だ。強そうに見えるから、泣き虫でもいじめられなかった。鴨居に頭をぶつけて泣くことだってできる。そして高橋さんに怒られることだってできる。
 きみとぼくとでぼくらは軍隊。


 仕事はみつからないしミワ子の部屋は片付けなくてはならないし寒いし年末だし、と頭の中でやらなくてはならないことをぼんやりと考えていると、佐々木くんの頭の中でぼんやりがどんどん増えていくような気がした。ぼんやりぼんやりした部分が頭の中を埋めつくしていって、しなくてはいけないことの輪郭がうまくつかめなくなる。その状態はどうしてだかとてもかなしい。かなしくてさびしい。さびしいと泣きたくなる。
 年末の町は皆が皆目的を持って動いているようですこし気づまりだ。佐々木くんは歩きまわる人のなかで立ち止まってしまう。そうすると人にぶつかる。ぶつかられてしまうと泣きたくなる。どうしてだか分からないのだが、ないがしろにされているような気分になるからかもしれない。
 スーパーに行って新しいジーパンを買おうとして、その年末の人々に囲まれたままでふいにやる気をなくして、結局買わなかった。青果売り場のみかんの前で考えこんで、結局そっちも買わなかった。
「お義父さんなんで将軍なんですか」
「将軍だからだ」
「何かなあそれ」
 夕食を済ませていつものように二人で向いあってこたつにもぐりこむ。ぱちんとテレビをつける。高橋さんはテレビを見ない、見るのは佐々木くんばかりだ。高橋さんは掃除と洗濯とアイロンかけ以外のことはなにもしていない、まあ、してもらえて、助かるのだけれど。佐々木くんが家をあけてふらりふらりと年末の町で所在をなくしているあいだ、高橋さんが何をして過ごしているのか、佐々木くんには見当もつかない。
 仕事はみつからないし年末の人々は感じわるいし寒いのでこたつから動きたくないし、なのだがうちに帰って高橋さんを見ると、でも俺はしっかりしないとなあ、と思う。高橋さんのためにもしっかりしないとなあ。
 いろいろと大切なことを話さないといけないのにほったらかしたまま、どうでもいいことだけ話している。お義父さんなんで将軍なんですか。
「お義父さんほら、軍隊のことやってますよほら、自衛隊」
「自衛隊は軍隊ではないぞ佐々木くん」
「でもかわんなくないですか実際」
「よく知りもしないことをいうものではない」
 テレビの中の人々を佐々木くんが指さしてそう言うと、高橋さんはお茶をすすりながらそう返事をした。佐々木くんはこたつの上に組んだ肘をのせて、猫背になってテレビをのぞきこむように見る。高橋さんに、行儀が悪い、と怒られるだろうかと、ちらりと高橋さんを見るが、高橋さんは何も言わなかった。佐々木くんは、そのぴしりとのびた背すじと湯呑を持つ腕の角度をながめて、でもある意味この人のほうがずっとしっかりしてるんだよな、と思う。
 高橋さんはぼんやりしないし泣かない。背すじをのばして座るし、言葉を言いきることもできる。
 テレビの向こうには現実感のない戦争。
「お義父さんも軍隊が好きなんだったら自衛隊入ればよかったじゃないですか」
「この時勢にあまり穏当な発言ではないな」
作品名:ぼくらは軍隊 作家名:哉村哉子