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ぼくらは軍隊

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「けっこう好きなんだよ俺この家」
「だからってぼうっとしていていいわけじゃないでしょ」
「ぼーっとしてねえよ、仕事も探してるし」
「でもあなたがいたらミワ子のお父さんのためにならないんじゃないの」
「でもさ」
「気持ちはわかるけどさ」
 木村冴子の真面目そうな声。なんでこうまじめそうなひととばかり付き合いがあるのかなあと佐々木くんは思う。俺がまじめだからか。そうかもなあと佐々木くんは思う。
「出るんならさっさと出た方がいいよ」
「なんでそう木村は出ろ出ろ言うかね」
「だってミワ子のお父さん変じゃない」
「まあ変だけど」
 佐々木くんはそう言いながら部屋をちらりとふりかえる。まあそうだけど。カーテンの隙間から高橋さんの丸い頭が見える。高橋さんの頭はまるく小さく形がいい。髪を短く切っているのでかたちがいいのがよくわかるのだ。高橋さんの頭を見ていると高橋さんのかるいいびきが聞こえるような気がした。
 あの軽いいびきはちょっといい、と思っているのがバレたように、木村冴子がため息をついた。
「ひっぱりこまれてるでしょう」
「そうかな」
「そうよ」
「そうかなあ……」
「出るんならさっさと出た方がいいよ」
 木村冴子がくりかえして言った。佐々木くんはその声を聞きながら高橋さんの頭をじっと見る。ここからは頭しか見えない。小さな高橋さんの頭。
 通話を終えて携帯電話をジーパンのポケットにつっこみなおそうとして、そのポケットの破れをふとしげしげと見た。ずいぶん大きな穴になった。気づかないうちに。穴というのは、一度、できると、どんどん加速度的に大きくなるよなと思う。そろそろ買い替え時かもしれない。そう思ってため息をついた。軽く小さくため息をついた。
 やれやれと部屋に戻る。高橋さんを起こさないように気をつけながら高橋さんの頭の脇にそうっと立ってみる。眠る高橋さんをみおろしてみる。ねむる高橋さんはばかものッと言わない。軽いいびき。
 それから佐々木くんも布団に戻って眠った。
 ジーパンはもとどおりたたんで枕もとに置いた。


 子どもができたので三か月前にミワ子と結婚した。
 佐々木くんの両親は北海道でアスパラガスを作っている。兄夫婦が同居しているので、佐々木くんが心配する必要はない。ミワ子は母親を高校生の頃に亡くしていて、いるのは父親だけだった。
 その父親は、ミワ子と佐々木くんが付き合っているとうすうすばれたあたりで、家を出て行ってしまった。変な人なのよとミワ子は言った。ミワ子はすこし怒っているようだった。気にしていないふりをして父親を探さなかった。どうせ会社の人に聞けばわかる、と言って、探さなかった。けれど佐々木くんには少し、ミワ子の父親の気持ちが分かるような気がした。佐々木くんとミワ子に邪魔にされるような気がしたのかもしれないし、もう自分にはミワ子を守る責任がないのだというつもりになったのかもしれない。けれどミワ子を追い出すのではなく自分が出ていくところが面白い。面白いと言うとミワ子は怒り、それから少し笑った。
 ミワ子の父親の高橋さんは、出て行ったあとはそのアパートの家賃を払わなくなった。まあ当然といえば当然だ、住んでいないんだから。ミワ子と佐々木くんがふたりで半分づつ出し合うことにした。つまり結局、高橋さんがいなくなったところに、佐々木くんが入ることになったのだった。
 佐々木くんとミワ子は結婚式は挙げなかった。子どもが生まれるのに勿体ないとミワ子はいい、それもそうだなと佐々木くんも思った。だから結婚写真は残っていない。
 結婚した少しあとに、高橋さんの会社が倒産した。ミワ子は毎日父親を心配して会社のつてをたどったが、高橋さんは見つからなかった。
 そのうちにミワ子は体をこわした。
 それから子どもが生まれないまま死んでしまった。
 そのあとミワ子が死んでしまった。
 仕上げに佐々木くんがリストラされた。
 血も涙もない話である。
 佐々木くんは行方不明の父親を持つ妻の骨をかかえてわあわあ泣くことになった。ひとりぼっちになるのは簡単なことだなあと思いながらわあわあ泣いた。人がいなくなるのも簡単なことだなあと思った。わあわあ泣いた。
 高橋さんは、ミワ子の死んだ日に帰ってきた。
「わたくしはミワ子の父の高橋です」
 ぴしりと背筋がのびていた。
 変なおっさんだなと涙ながらに思ったものだった。そりゃもちろん、ミワ子の父親は、高橋だろう。結局ミワ子に紹介してもらえずじまいだった、これがその「変な父さん」かと思いながら、佐々木くんは高橋さんにおじぎをした。涙がぱたぱたこぼれた。高橋さんは学生服のようなものを着ていた。頭に平たいかたちの帽子をかぶって、白手袋をはめていた。涙でぼやけた目で佐々木くんは高橋さんをじっと見て、映画みたいなかっこうのおっさんだなと思った。
「このたびはご愁傷様でした」
 なんで知っているんだろうと思いながら、うまく喋れていない佐々木くんが頭を下げ続けていると、高橋さんも深々と頭を下げた。佐々木くんはあわてて頭を上げて、高橋さんの手を両手でつかんで、涙声で、いえ、こちらこそ、こちらこそ御愁傷様で、と言いながらその手にぽたぽた涙をおとした。高橋さんは驚いたようだったが、それでもぴしりと背筋を伸ばしたまま立っていた。
 涙目で佐々木くんが高橋さんの手を見おろすと、高橋さんの手を包んでいる白い手袋がすうっと消えていって、ごつごつした大きな手がのこされた。おどろいてあらためて高橋さんを見ると、高橋さんの着ている芝居がかった学生服がすうっと見えなくなって、ありふれた黒スーツに黒ネクタイが出てきたのだった。
 そうなってようやく、佐々木くんは、ああそうかあれは軍隊の偉い人の服だ、映画で見たことがある、と気がついた。
 通夜の予定を立てなければいけないのに、佐々木くんは泣くのを忘れてすこしぼうっとしていた。
 全部が終わって、お骨を持ったまま二人で蕎麦屋に入って夕食を食べようとしているときに、高橋さんが、君のうちに住んでもいいかね、と言った。
 佐々木くんは一瞬何を言われているのかわからなくなり、目をぱちぱちさせた後、すんと洟をすすりあげた。それから、住んでもいいもあれはあなたのうちですから、と言い返した。
 高橋さんは、そうか、と言って、それで二人とも黙った。
 それで二人で住んでいる。
 そろそろ二週間になる。


 高橋さんとミワ子の背丈は普通なのだが、佐々木くんと並ぶと大変小さく見える。つまり佐々木くんの背が高いのである。佐々木くんは高橋さんより頭ひとつ半ほど高い。
 人並みはずれて背が高いので、この古いアパートは鴨居が邪魔である。鴨居の方が佐々木くんより古くからこの家にいるのだから佐々木くんの頭の方が邪魔なのかもしれないが。とにかく佐々木くんはこの家ではよく頭をぶつける。
 ぶつけるたびにこの家で過ごした時間を思い出す。
 その短さを思い出す。
 あいたァと声を上げて佐々木くんはしゃがみこむ。しゃがみこむと涙が出る。元来佐々木くんは涙もろい方である。わりあいすぐ泣く。末っ子だし。
作品名:ぼくらは軍隊 作家名:哉村哉子