八国ノ天
「もしかしたら、そこで何かあったのかもしれんな。よし、社の方へ何人か向かわせよう」
兵士たちの話を聞き、「もう時間がないな。急ごう」とキアラは言うと、城の上階へと向かった。
「おい! 何人か来てくれ! ヒムカの侍女が書と鍵を持ちだして逃げた。やつら、伊都と内通してるかもしれんぞ」
「きっと、佳世だわ」
木沙羅が希望を込めて、強い口調で言った。
数名の兵が走り去って行くのを見届け、キアラと木沙羅は見つからないよう、後を付けて行った。
そこは、本丸から断崖の上にせり出したように作られた屋根の無い部屋だった。部屋は一〇メートル四方の広さで、中央には宴席が並んでいた。
宴席の向こう、部屋の奥に兵が五人、キアラたちに背中を向けて立っていた。
キアラと木沙羅は身を隠しながら、宴席まで近づいた。声が聞こえてくる。
「これはカムイ様のものです。返せません!」
「何を言っている。死にたいのか? 大人しくしろ」
キアラは自分の上着を木沙羅に被せ、身を潜めるよう身振りすると、更に兵士の方へと近づいて行った。
その先に佳世がいた。
佳世は腰の高さほどの手すりに背中をぴったりと付け、立っていた。手すりの先はもちろん何も無い。落ちれば確実に死ぬ高さだった。
佳世は手に光明ノ書と袋を持っていた。袋の中には鍵が入っている。しかし、キアラと木沙羅からは佳世が持っているものが何かはわからない。
兵たちも迂闊に動けないようだった。
「お前は、伊都と内通していたのだな」
「伊都なんか知りません」
「近づかないで……」手すりがぎしりと音を立てる。
兵が飛びかかろうとしたその時。
「あ!」
ばきっ、と木の割れる音とともに佳世が叫ぶ。
キアラは飛びだした。
(佳世!)
目が合う――手を伸ばす。
しかし遅かった。佳世の体は消えた。
キアラは衛兵を押し退け、壊れていない手すり部分から上半身を乗りだし下を見た……目を凝らすが人影らしきものは無かった。
手すりから下は城壁が底なしのように続いていた。
なんだ、コイツは? と言いたげな顔をしながら突然現れたキアラを横目に、衛兵たちも覗き込む。
「おい、誰もいないぞ」
その間にキアラは、そばに落ちていた補修作業で使う鉤の付いた縄を拾い上げ、素早く縄を手すりの支柱に巻き付けた。
最後に鉤を固定し、木沙羅に目で合図を送る。
木沙羅が腰を屈めながら走りだす。黒い上着がばたばたと舞う。
キアラはさきほど縄と一緒に拾った布で両手を巻きつけ手袋の代わりにすると、腰を落とし縄を握った――木沙羅がキアラの背中に飛び乗る。木沙羅の細い腕がキアラの首にからみつく。
木沙羅がしっかり抱きついたのを確認すると、キアラは佳世が今、落ちた場所から飛び降りた。
「あ!」突然の出来事に兵が驚いた。「おい、あんたどこへ行く?」
「俺は下を見てくる。もし、生きていたら俺が回収する」キアラは叫んだ。
「それより王が太陽の社で大変なことになっているぞ! 王の援軍を頼む!」
「なに、王が!」
「やはりそうか。よし、行くぞ!」
衛兵たちは全員、部屋を出て行った。今のは新兵だったのだろう。防具に傷は一つもなく新品同様で、城の中で一度も見た事が無い顔だった。とにかく、身元がばれずに済んだのは不幸中の幸いだった。
「木沙羅、しっかり掴まっているんだ」
キアラは矢の雨が降りそそぐ中、滑り降りて行く。攻城戦が始まっていた。
縄から手を放し地面に着地するとキアラと木沙羅は、佳世が落ちたと思われる場所を探した。
それは、すぐ見つかった――わずかに血糊の付いた草。
木沙羅は地面にぼつぼつと落ちている血痕を見て、顔を両手で覆った。涙が溢れる。
そばには落下した衝撃で付いたものだろうか、草葉が折れ曲がっていた場所があった。
「これは……」
泣きべそを掻きながら木沙羅は言った。
「どうした? 何か見つけたのか」
「これは、佳世のお守り……」
そう言って懐から自分のお守りを出した。二つとも同じだった。
「一緒に作った桜石の入ったお守りなの」
(そうか、あの桜石……月森も……)
その時だった。
ぶんっ、と宵闇を裂く音とともに、横風に舞う雨のように火矢が降り注いだ。
キアラと木沙羅が矢の飛んできた方に目を向けると、遠くに伊都国の旗が見えた。城に火が付き、火の粉が舞い始めている。
「ここにいては危険だ……大丈夫。きっとどこかへ逃げているはずだ」
小さい体が震えている。キアラは屈むと木沙羅の目と合わせ、
「木沙羅、俺たちがまず生き延びなければ、誰にも会えなくなるぞ。自分の命を大切にするんだ」
少女が見つめ返す。
「大丈夫! これからはずっと俺が一緒にいる。佳世が姉さんなら、俺が兄さんになる。だから……な?」そう言って、キアラは木沙羅に手を差しだす。
木沙羅は涙を拭い、キアラの手に自分の手を重ねる。
「うん……行きましょう」
キアラは木沙羅の手を握りしめると、二人は森の中へと走りだした。