八国ノ天
『これはその太陽の社に関わるものだがよいか、これを肌身離さず持っていなさい。中身を決して人には見せてはいけない。特に狗奴の王と王子には絶対にだ』
(何かある)とても嫌な予感がした。木沙羅は俯いたまま、はい、とだけ言った。
「良かった。そうだ、佳世はここに残ってもらえないかな。すまないが、木沙羅と二人で行きたいんだ。いいよね?」
「佳世、私なら大丈夫だから」
「……、わかりました。木沙羅さま、どうかお気をつけて」
佳世は木沙羅を見送ると、屋敷に戻ることなく歩きだした。
佳世は木沙羅の身に何か不吉なことが、起こりそうな気がしてならなかった。しかし、ここで不審に思われたら木沙羅の身が危うくなる可能性がある。もはやこの国にとって、祖国を失った自分たちは何も意味をなさない人間なのだから。
今、自分にできることをやろう。佳世は焦る気持ちを抑えつつ、キアラのいる監視搭へ向かった。
6
稲馬と木沙羅は太陽の社にいた。
太陽の社は、城から森を抜けて徒歩一時間ばかりの場所にあった。
外見はどこにでもある、ごく普通の社で、ひっそりと佇んでいた。稲馬たちは本殿に上がり部屋の奥へと進む。
部屋の奥の階段を下りると、目の前に大きな空間が広がる。奥には大きさにして五メートル四方の門が構えていた。
「木沙羅、もうすぐだよ。そういえば、木沙羅は社のことは知っているよね? 書のこととか」
「はい……」
「そうだよね、それに実際にカムイに会ってもいるんだよね。実は僕、あの人苦手なんだよね。木沙羅はどうなんだい?」
「……、えっと、それは……」
木沙羅はあの夜の出来事の後、佳世の言葉を思い出していた。月のカムイ、キアラも木沙羅と同じであると……誰を信じ、何をすべきか悩んでいる、と。
「落ち着いていて、およそ本に書かれているようなカムイという感じはしませんでした。私たちと同じ血の通った人間だと思います」
「そうかなぁ、僕にはそう思えなかったよ。何というか……怖かった。さぁ、この中だ入ろう」
重い扉が開き稲馬たちは中に入った。部屋は広く天井までの高さも一〇メートルはあった。部屋の奥には月の社にあったものとは形が異なるが台座があり、その上に創生ノ書があった。台座の奥には人がすっぽりと入るくらいの大きな水槽らしきものが見えた。
「あそこだ、木沙羅。君に見せたいものって、あの創生ノ書なんだ」
稲馬は指差しながら、真っ直ぐ目的の場所へと進む。
それは台座のそばまで来た時だった。
木沙羅の衣服から光が漏れだす。
突然のことに木沙羅は動揺したが、何事も無かったかのように、すぐに冷静を装うと視線を元に戻す。
そして、稲馬を見て更に驚く。
いや、正確には稲馬に驚いたのではない。稲馬の後ろから現れた者たちを見て驚いたのだ――予感が的中した。
「やはりな」
初めて聞く太い男の声――ニニギだった。
(あれが伊都国の……なぜ、伊都の王がここに?)
ニニギの隣には先日見た鬼の一人と、どことなく人間に近いが木沙羅は初めて目にする人種の人間が一人。そしてもう一人、ヒルコだった。
ニニギは言った。「姫はご存じないだろうが、ここの封印を解く鍵は、わしとヒルコ殿あわせて三つ持っていてな。残りの一つがヒムカにある事は知っておった。月森はまさか情報が漏れていたとは夢にも思わなかっただろうがのう」
木沙羅は服の上から鍵を握り締めた。緊張と不安、恐怖が体の中で蠢き始める。
大人たちを目の前にし、木沙羅は覚悟を決めると、
「お前たちは、初めから私たちを騙していたのか?」
「これは人聞きが悪い。姫、あなたの国もつい先日、同じようなことをしたのではないかな? そう、雛の国を」ヒルコは話し続けた。「そして、父を亡くし何もかも失ったあなたを、我々は助けようとしているのだ。おとなしく鍵を渡しこれからは、平穏に我らと暮らすがよい」
「馬鹿にするな! 私は何も失ってなどいない。お前たちと違って、王としての誇りを持っている。我が祖国を奪い、父を冒涜したこと決して許さない!」
「あきれた……本当に子供だな。わしはもう、そのような事を言う奴には飽き飽きしているのだよ。まずは鍵だ、ゴズ」
ニニギは、顎鬚を撫でながら鬼に声をかけた。
鬼は無表情のまま、じっと震え立ち止っている木沙羅の方へ真正面から歩み寄る。
木沙羅は鬼の腰に佩いている刀より上を見ることができなかった。
恐怖で目を動かすこともできない。
身体を鷲掴みにされる。
「ぐぅっ! ……うえっ」
恐怖が強烈な痛みに変わる。気を抜けば気絶してしまいそうだった。思わずくじけそうになる。
「木沙羅王女よ」
ヒルコは真実を語り始めた。
狗奴と伊都は最初から画策し、ヒムカとの同盟は偽装であったこと。ヒムカに雛国を攻めさせ力が弱まったところで、伊都がヒムカを攻め滅ぼし、太陽の社を狗奴が、月の社を伊都が支配することになっていたこと。そして、月森を殺したのはキアラでなくヒルコだったことを。
木沙羅の目からは涙が溢れ出ていた。鬼の手が濡れる。
「ゴズ、力を緩めるな」
ニニギの声にゴズは、力を入れ直した。
木沙羅は後悔の念にかられていた。キアラの言葉をなぜ、今まで信じようとしなかったのか。キアラだけでは無い。自分のことだけ考えて誰も信じようとしなかった。すべてを憎んだ結果が今の姿だった。
あの時の佳世の言葉を思い出す――『愚かで惨めでした。憎むべきは、月森さまでも木沙羅さまでも無く、私自身の心だったのです』
(とうさま……佳世……キアラ……ごめんなさい)
「太陽のカムイを復活させよう。ニニギ殿」
ヒルコは木沙羅から鍵を奪い取り、台座の前に立った。
ニニギは頷くと、もう一人に命令した。
「蝉丸、お前は外へ出て見張っていろ」
蝉丸と言われた黒い装束に身を包んだ人工種は、音も無く消えるように去って行った。
ヒルコとニニギが台座の前で、すべての鍵をあてはめると、部屋全体が暗くなった。
すぐに壁一面に見た事の無い文字や絵の塊が次々に浮かび上がり、声があたり一面に響き渡る。
《エイチティ・イチ・ゼロ・ニ・ニ・イーエス起動確認……エイチティ・イチ・ゼロ・ニ・サン・エイエスとの接続確認》
「前回のように、生き残りがいると面倒なことになる」ヒルコは言った。
「雛のテナイのことか、ふむ、仕方ないな。ゴズ、殺せ!」
「かはっ」
肺が押しつぶされ呼吸できない。骨がきしみ、体中から汗が吹きだし苦悶の表情になる。
「待って!」
「稲馬……何を言いだす」ヒルコが驚いて稲馬を見た。
「かまわんゴズ、続けろ!」ニニギの指示に従い、ゴズが手に力を入れる。
「木沙羅!」
全員が声のした方へ振り向いた。
「キ……アラ」
木沙羅は声にならないほどかすれた声で名前を呼んだ――どうして? 涙が溢れだす。
キアラが息を切らしながら立っていた。
「むう、おまえはカムイ。兵は何をやっていたのだ」
ヒルコが出口の方に目をやる。
(落ち着け、まずは考えろ)
周りを確認する。相手は……ヒルコ、稲馬、ゴズ、ニニギ、その他に兵士が六人いた。