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八国ノ天

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 木沙羅と佳世は数人の侍女を従え、屋敷の外に出ていた。
 先日の一件以来、木沙羅が悲しみに暮れないようにと佳世の配慮だった。
 木沙羅と佳世は身分こそ違えども、幼少の頃からずっと一緒に育ってきた仲である。はた目から見ても本当の姉妹のようでもあり、一緒にいる姿はよく間違われたりもしていた。この狗奴国に来てからも、すでに三回は間違われていた。
 佳世は面倒見が良く、人の応対に関しても立派なもので、ヒムカ王の世話を取り仕切っていた大婆のおうなも一目置くほどだった。飾らない性格もあって、歳の差関係なく他の侍女たちからの信頼も厚い。
 一方の木沙羅はというと、礼儀正しい清楚なお姫様で通っている。しかし、佳世と大婆のおうなの前では話が別だ。かなりのやんちゃ姫であった。佳世と二人っきりの時はそれこそ、大変な時もあり、大婆のおうなに「そんなに大声で笑うとは何事ですか……」と長い説教が始まることもしばしばだ。
 だが、今の二人にそのような様子は垣間見ることはできない。
 木沙羅たちの背後で砂地を削る音が聞こえたかと思いきや、兵士が数人、内門から城へと走り去って行くのが見えた。それに続くようにして、周囲が急にあわただしくなる。
「一体、何事でしょう?」侍女の一人が言った。
 佳世は侍女に声をかけ、調べに行かせた。

 五分も経たないうちに今度は、立派な身なりをした集団が佳世たちの前を通り過ぎようとしていた。
 総勢二十名ほどだったが、その中にひときわ大きな男が三人いた。その男たちは今まで見た事のない人間『鬼』だった。

 鬼たちは皆、屈強な体格でまわりの人間を圧倒していた。あまりの威圧さに木沙羅たちは、目が釘付けになっていた。
 佳世は鬼の後ろを歩く人間に着目する。その風貌から一人は王のようだった。立派な顎鬚をたくわえ、丸まると太ってはいたが、それがただ食べて寝て作られた脂肪の塊ではなく、隆起に満ちた腕の筋肉からわかるように戦士の姿だった。
 戦士が顔を向けること無く無表情のまま、こちらに片目を向ける。
 佳世は思わず木沙羅を自分の背後に隠した。
 戦士は顎鬚を撫でながら佳世と木沙羅をじっと見ていたが、視線を戻すと、そのまま通り過ぎて行った。
 異国の集団が通り去った後、入れ替わるようにして侍女が血相を変え戻ってきた。
「どうでしたか?」
 不安そうな面持ちで佳世が尋ねると、
「はい、今のは伊都国の方たちのようです」
 と言い、侍女は木沙羅の方に、ちらっと目をやる。
「あと、その……」
「どうしたのです?」
「……、ヒムカが滅んだそうです」
「え?」
 しばしの沈黙。佳世と木沙羅は絶句していた。
 佳世は隣で凝固している木沙羅を見てから、続けて、と促す。
「詳細はわかりませんが、ヒムカを滅ぼしたのは……その……伊都らしいのです」
「それは、どういうことでしょうか?」
「申し訳ありません。詳しい事はわかりません。本来、敵対するはずの伊都が……王みずからなぜ、ここに参られたのか」
 佳世は先程の顎鬚の男の顔を思い出していた。
 あの男が滅ぼした――。
 木沙羅は佳世の服をぎゅっと力強く握り締め、わなわなと全身を震わせていた。

 その日の夜。
 伊都の人間が帰った後、木沙羅と佳世はヒルコに事の次第を確認した。
 結果は昼間、侍女が話した通りだった。
 木沙羅は、なぜ援軍を出さなかったのかヒルコに詰め寄ったが、それ以上は相手にされず何も得られなかった。

 木沙羅は部屋に戻ると食事もとらずにずっと、蝋燭の灯りを見つめていた。
 隣には佳世が座っている。
 父を亡くし、故郷を失った。何もかも無くした。

 今まで――、
 何もできなくとも、誰かが代わりにやってくれた。
 何も言わなくとも、誰かが優しく声を掛けてくれた。
 何も言わなくとも、何でも手に入った。
 何も言わなくとも、好きな時に好きなことをしていれば良かった。
 何もしなくとも、好きな時に好きなことを考えていれば良かった。
 何もしなくとも、笑っていれば良かった。
 何もしていなかった。
 何も言っていなかった。
 何もできていなかった。
 何も。

 だけど今は――、
 憎むことしか、できない。

 木沙羅は腹立たしさが込み上げてくるとともに、反吐が出そうだった。膝の上で両拳を強く握り締める。
「苦しいよ……」
 しばしの沈黙――二人の目の前で揺らいでいる紅い炎を見つめながら、佳世が口を開く。
「私が木沙羅さまの所に来たのは、九年前でした」
 え――。
「私は目の前で親を殺され、戦場で月森さまに拾われました」
「それって……まさか、とうさまが佳世のお父さんとお母さんを?」
 佳世は遠い目をして頷いた。
「拾われた当時、月森さまは幼かった私に、何度も何度もすまないと言っていました……だけど私は許せませんでした……ひたすら憎みました」
「……」
「それからしばらくして、月森さまは、三歳になったばかりの木沙羅さまを私に会わせてくださいました。どうか、面倒を見て欲しいと」
 佳世はここで目を閉じ、息を深く吸い込んだ。そして、再び目を開く。木沙羅の瞳には、蝋燭のゆらめきが映っていた。
「憎しみに支配されていた私は、これを良い機会に自分の命と引き替えてでも、同じ思いを味あわせようと決心しました。この方法でしか、当時の私にできることはないと思ったのです」
「そして、私は毒薬の入った瓶を握り締め……木沙羅さまを……だけど、できませんでした」
「どうして?」
 木沙羅は蝋燭から目を離さず呟くように言った。今の木沙羅には、その気持ちが痛いほどわかった。今の自分なら容赦なく手をかけていたに違いない。だけど、なぜ?
「微笑んでくれたから……」
「え?」
「私に微笑んでくれたから。こうやって……」
 木沙羅の小指を手のひらで包みこむようにして、佳世がそっと握ってくる。
 蝋燭から目を離す――佳世の目からは大粒の涙がこぼれていた。佳世の涙で濡れた微笑みが、怒りや憎しみで冷たく染まりかけていた心を溶かすようだった。
「愚かで惨めでした。憎むべきは、月森さまでも木沙羅さまでも無く、私自身の心だったのです。木沙羅さまは暗闇から私を、救ってくださったのです」
 佳世はもう片方の腕で木沙羅を抱きしめた。
「だから……、今度は私が木沙羅さまを救う番……」
「佳世……」
 その晩、木沙羅と佳世はがむしゃらに泣いた。

    5

 翌日の午後、空は曇っていた。
 木沙羅と佳世は屋敷の縁側で静かに座って、稲馬が来るのを待っていた。
 なぜ稲馬を待っているのかと言うと、早朝、稲馬の使者から木沙羅の見舞いに訪れたい旨の手紙を受け取っていたからだ。木沙羅としては会う気は無かったが、真相を聞きだせるかもしれない考えもあり、会うことにした。

 しばらくして稲馬が現れた。数名の武官を引き連れていた。
「木沙羅、元気そうだね。ちょっと、太陽の社まで行かないか。そこで君に珍しいものを見せたいんだ。きっと、気に入ってもらえると思うよ」
(太陽の社――)木沙羅は亡き父の言葉を思い出していた。
作品名:八国ノ天 作家名:櫛名 剛