八国ノ天
「あたしは愛耶愛だ。カムイ海ということは、アトゥイの人間じゃないな? どうして、プロジェクトKAMUIの人間がアトゥイにいる?」
愛耶愛が長巻を手にし、一鉄の方へ歩く。
「お前は目が覚めたばかりで、まだこの時代のことを知らないだろうから、教えてやろう」
日本がもう存在していないこと。国家という組織が無い以上、プロジェクトの存在も意味が無いこと。
「お前も俺も、カムイとしてどう生きるか、自分で決めねばならん。そういうことだ」
そう言って、一鉄が野太刀を下手から上へ振り上げる。直前のところで、愛耶愛はかわすと片手で横から一鉄を薙ぎ払う――今度は一鉄がそれをかわす。
愛耶愛と一鉄の剣戟とはどこか別の場所、少し離れた所から少しばかりの振動と一緒に、破壊音が近づいてきていた。
その時だった――。
「父上!」
小さな女の子の声が大広間に反響する。
「こずえ! 寿野!」
その声に反応したのは、ゴズだった。
こずえと寿野が数人の護衛に守られながら、ゴズの方へと駆け寄る。
「無事だったか! お前たち」
「父上! 大きな蜘蛛がくるぞ! 早く逃げよう!」
(あの子が、ゴズが言っていた子……蜘蛛って、あっ!)
木沙羅の耳にメキメキと大木が軋む音が聞こえてくる。音のした方向を見る。こずえが入ってきた入り口――。
壁が吹き飛ぶ。
一階から二階にかけて大きな穴が空いていた。
粉塵が吹き上がるその穴から、二体の鉄蜘蛛が現れる。
こずえたちを追ってきたのだろう。標的を見つけると、まわりの邪魔者を容赦なく殺しながら、鉄蜘蛛はこずえの方へと近づき、前足の先端で突き刺そうとしていた。
こずえと寿野は猛獣に睨まれた小動物のように、身動き一つできなかった。
怪我した腕で、寿野がこずえを庇う。
鉄蜘蛛が脚を正確に振り下ろす――鈍い音の後、腹腔を突き抜けた鋼の脚から赤い血が流れ落ちていく。
こずえと寿野の血ではなかった。
「ゴズ!」
木沙羅は叫んだ。
ゴズの下にこずえと寿野が床にうずくまっていた。ゴズは自ら盾になって二人を守っていた。
「来るな!」口から血しぶきが舞ったかと思うと、どばっと血が塊となって口から噴き出る。
木沙羅は走った。
死ぬかもしれない。いや死ぬだろう。でも、何もしないで殺されるのは嫌だ。
鉄蜘蛛は容赦なくゴズの体から冷たい鋼の脚を抜き取り、その脚で突き刺そうとまた狙いを定める。
ゴズの脚は崩れ落ち、意識を失いかけていた。寿野がゴズの体をしがみつくように支える。
寿野の服が赤く染まっていく。
こずえは目の前で次々と起こる惨劇を、ただ呆然と見ているしかなかった。
「こずえ!」
木沙羅がこずえを守るように抱き締めると同時に、鉄蜘蛛の脚が四人を襲う。
一鉄の剣が愛耶愛の首を刎ねる――。
激しくぶつかり合う鋼の音が二つ――二箇所同時に鳴る。
「むう、二刀流……お前が月のカムイか?」
一鉄は言った。
愛耶愛は目の前に懐かしい背中を見た――キアラだった。
「愛耶愛、武器を取れ!」
愛耶愛は態勢を立て直すと、急いで床に落ちた長巻を掴む。
所々から天井と壁が大きな音を立て崩れ落ち、粉塵を巻き上げている。
「お姉ちゃん、あれ――」
木沙羅が目を開けてみると、こずえは上を見上げていた。木沙羅は後ろを振り向いた。
「こ……だ……ま。木霊な、の?」
「こ、だ……ま」ゴズが呟くように言った。
天ノ羽衣が青白い炎をまとう。木霊は次々と鉄蜘蛛の脚と胴を切断していく。
木霊はそのままアトゥイの兵に体を向け、大きく天ノ羽衣を振りかぶる。握りこぶしに力を入れる――青白い炎から今度は雷をまとい始める。
「お前たち――」
木霊は言った。雷がさらに大きくなる。
「やばい、避けろ! あれは雷撃だ!」
甲冑に法衣のようなものを纏ったゴズよりも体躯の大きい無道が叫ぶ。
「私は許さない!」
木霊が後ろまで引いた天ノ羽衣を勢いよく弧を描くように、前方へと振り下ろす――刀身にまとった雷が天ノ羽衣から離れ、天空からすべてを裁くかの如く落ちた巨大な光が瓦礫の山と一緒にアトゥイ兵をまとめて爆砕する。
無道の叫び声も届かず、直撃を受けたアトゥイ兵は短い絶叫を上げ、絶命していった。
木霊は間を空けること無く深く腰を落とすと、自ら弾丸となり赤虎と無道の方へ飛び込む。
キアラと愛耶愛は、一鉄と対峙していた。
「こいつ、強い」愛耶愛は言った。
「ふん、俺は物足りんな。お前たちでは俺を倒せん。倒せるのは地くらいだろう」
「地を知っているのか? お前は何者だ!」
上階の床が焼け落ち、城全体が崩れ落ちようとしていた。
それを見た一鉄は、
「ここらが引き潮だな。月よ、残念だがお前たちと悠長に無駄な時間を過ごしている暇は無い。俺のことを知りたければ地に直接、聞け。赤虎、無道、行くぞ。鉄蜘蛛を呼べ」そう言って鞘に刀を収める。
「待て! 逃げるのか?」
「粛清は始まったばかりだ。俺たちは伊都に向かう。そこで八国の人間をまとめて滅ぼす」
「なんだと! まとめて滅ぼすとは、どういうことだ?」
「言ったとおりだ。八国中の人間が伊都に集まっている。そこしか逃げ場が無いからな。まぁ、来ればわかる」
轟音とともに、鉄蜘蛛が新たに一機、現われる。一鉄、赤虎、無道が鉄蜘蛛の背中に乗ると、速やかにその場を去って行った。
木霊、キアラ、愛耶愛が木沙羅のそばへ駆け寄る。
「もう、大丈夫だ」キアラは微笑みながら言った。木霊、愛耶愛も微笑む。
「キアラ!」こずえを抱きながら、木沙羅が泣き叫ぶ。
「木霊……キアラ……」ゴズは寿野に抱きかかえられていた。
「父上!」
「こずえ……、よいか……父と母はこの場に残る……お前はその人たちと行きなさい」
「何を言っている? 父上! 母上も一緒に行くのだ!」
「こずえ」
「母上……」こずえは涙をこらえる。が、「いやだ! いやだいやだ! ぜったい、行くのだ! 行くん――」
木沙羅は思わず抱きしめようとした。しかし――、
パシン。
寿野がこずえの頬を叩いていた。
「母上……」
こずえは紅潮した頬を小さい手で抑え、じっと母の目を見ていた。大粒の涙がぽたぽたと溢れる。
そして――、
こずえは寿野に抱きつく。
「こずえ……」
寿野も片手で強く抱きしめる。
ゴズの大きな手が、こずえの小さな頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「わしは……もう、お前の顔が見えぬ。だがな……お前の笑顔はいつまでも父と母の心の中にある。誰にも消せんのだ」
「ちちうえ〜」大泣きで父を見て、母へと振り向く。「ははうえ……」寿野はただ優しく娘の顔を見つめていた。
こずえは手で涙を拭うと、
「わた……、わた、しはだい、……っく、だいじょ、ぶです」
寿野はこずえの手を握りしめた。
「そうよ。こずえは強いんだから。私たちはいつもあなたのそばにいるわ」
「は……、は、い。――はい!」
涙を必死にこらえながらも、ちゃんと返事ができた。だが――、
「ううっ……」
わかってはいるが、また泣いてしまう。どうしても涙が止まらない。
ゴズがこずえの左手を握りしめ、寿野が右手を優しく包む。