八国ノ天
何か色々なものが混じって燃えている匂いが、どこかしこから漂ってくる。近くには死体が転がり、風の音にまぎれ悲鳴のような唸るような音が聞こえてくる。
「稲馬、しっかりするのだ。これが戦だ」
「しかし、父上……木沙羅王女は……」
「よいか、ヒムカ王はカムイに殺されたのだ。どのみち、ヒムカは滅ぶ運命にあるのだ。王女に王位を継承させるわけにもいかん。これが何を意味するかわかっているな」
「……はい」
「お前はまだ若い。王女のことは残念だが、いたしかたあるまい。この雛国と月の社を手に入れた今、次は太陽の社を手に入れなければならん。誰かが手に入れない限り、争いは終わらないのだからな」
稲馬には綺麗ごとのように聞こえた。違う……単に力が欲しいからではないのか? なぜ、自分まで血塗られた道を進まなければならないのか。稲馬は木沙羅王女の無垢な笑顔を思い浮かべた。しかし、それは目の前の現実にすぐに打ち消された。
ヒルコは稲馬の様子を黙って見ていたが、それ以上は何も語ることなく体を翻すと、灰色に染まった戦場の中を歩きだした。
3
キアラは目を覚ました。
天井の木目が、ぼんやりと蝋燭の灯りに合わせゆらいでいた。恐らく今は夜なのだろう。
体を起こそうとした瞬間、全身に激痛が走った。痛みがキアラの頭に今までの出来事を思い出させる。体には包帯が巻かれていた。
(俺は助かったのか? ここはどこだ?)
「あなたが月のカムイ、キアラですね」
キアラの全身に寒気が走った。
部屋の入り口に一人の少女が立っていた。艶やかな唇から発せられた低く澄んだ声は、その姿に似つかわしく無いほどに冷酷だった。
「君は? え、……」少女が乱暴に駆け出す。
次の瞬間、少女はキアラの腹の上に跨っていた。白い脚が剥き出しになり、髪の毛が逆立つほどに顔は怒りに満ち、逆手に持った短刀が今にもキアラの心臓へと突き刺さらんとしていた。
「私は木沙羅。ヒムカ王、月森の娘と言えばわかるか?」怒気が少女の口から漏れる。
「なんだって……」
「父の仇だ!」
すかさず、キアラは胸と頭を防ごうと両腕を前に出す――。
痛みは無かった。相手の様子は手に隠れ見えなかった。
数秒間の沈黙。
「なぜ……」
(なぜ……?)
「なぜ、お前がそれを持っている?」キアラの腹部に少女の身体の重みと震えが伝わってくる。
(持っている……)
そう言われ初めて、左手の中に何かを握り締めていることに気付いた。桜石だった。意識を失っていた間もずっと握っていたせいだろう、持っている感覚が無くなっていたのだ。
キアラは左手の甲に熱く濡れた感触を感じた。
左手を少しずらす。
手の先には少女の顔――唇をかすかに歪め、大粒の涙を流していた。ぐしゃぐしゃになりながらも、大声で泣きそうなのを必死にこらえていた。
「月森を殺したのは、俺じゃない」
「嘘だ!」
泣き叫ぶ声が胸に突き刺さる。
「嘘ではない。きみのお父さんはヒルコに殺されたんだ。俺と光明ノ書を手に入れるために」
「誰が信じるものか! とうさまはカムイに殺された。ヒルコさまと稲馬さまから、そう聞いたんだ!」
「落ち着くんだ」
感情むき出しに興奮していた相手の隙を見逃さなかった。短刀を取り上げ両腕を掴んだ。
「あ!」木沙羅は抵抗するがそれ以上、何もできなかった。
「放せ! このッ!」
「いいから、話を聞いてくれ」痛みを堪えながら上半身を起こす。
「お前の言うことなんか、信じるものか! あっ!」
キアラは暴れる木沙羅を強く抱きしめ、彼女の頭を自分の胸に押し当てた。その勢いのせいか、背中の傷口から激痛がキアラを襲う。
「んむむ! 放せ! 無礼者!」
「お願いだ……聞いてくれ」
「んっ、んぐむぅ! 誰がお前なんか!」
腕の中でもがく木沙羅の手がキアラの背中に当たる。
「ぐっ!」
思わずキアラが声を漏らす。
「――っ!?」
木沙羅は自分の手を見た。
「血……。お前……」
きつく締められた腕の中で木沙羅が顔を上げる。少し落ち着きを取り戻していたようだった。
「話を……聞いてくれ」
木沙羅は黙って、顔を伏せた。
「お……前、血が……」
「いいんだ……大丈夫だから、まずは話を聞いて欲しい」
そう言われ、木沙羅は自分の手とキアラの顔を見比べながら押し黙ってしまっていた。
キアラは腕の力を緩め、今までの経緯を話した。
「わからない……わからないよ」
力の抜けた少女の腕からは、もう殺意は感じられなかった。
互いにそれ以上何も話せないでいた時、遠くから数人の足音が近づいてくる。
足音は部屋の前で止まった。
「木沙羅さま」
現れたのは佳世だった。後ろに二人の護衛が立っていた。護衛はそれぞれ、桶と白い布の束を持っていた。
佳世はうなだれている木沙羅の手を取り身なりを整えると護衛に、「先に行っててください」と伝えた。
部屋には佳世だけが残っていた。
キアラは、何も言わず佳世の言葉を待った。
佳世は箪笥に近寄ると、先ほどの護衛が置いて行った白い布とお湯の入った桶を手にし、
「お体は大丈夫ですか? 傷口を塞いで新しい包帯に替えますね」
そう言って、手慣れたように傷口を塞いで新しい包帯に替えていく。
一通りの事を終えると、佳世はキアラと目を合わせた。
「私は木沙羅さまの侍女で佳世と申します。ヒルコさまのご命令で、ずっとあなたを看病していました」
キアラよりも少し年下だろうか。綺麗な弧を描いた二重瞼に漆黒の瞳が凛と輝いて、すらっと伸びた眉と一本一本丁寧に描き込まれたようなまつ毛が白雪の肌によく映えていた。藍色の服に漆黒の髪が艶やかに垂れている。
「そうか、まずは礼を言うよ。ありがとう」
キアラは安堵するとともに、いつもと違う緊張を感じていた。
佳世はキアラを寝かせると、今までの経緯を話し始めた。
キアラは捕まってからここ狗奴国の城でおよそ一週間、軟禁されていること。木沙羅と佳世は政略結婚のため、一か月ほど前からこの国で暮らしていること。
佳世の口調は優しかったが、瞳は強く輝いていた。そこに媚びるような感じは一切ない。それは彼女自身の性格でもあり、木沙羅に対する想いの表れかもしれないと、キアラは思った。
「木沙羅さまが、キアラさまに何をしたのかはわかっております。でも、責めないで欲しいのです」
「どうか、責めないで」佳世はもう一度言った。
「どうして?」
「木沙羅さまは一人になってしまい、誰を信じれば良いのか、わからないのです」
佳世の言うとおりかもしれない。身も心もまだ成熟していない少女にとって、肉親を失い、異国の地にただ一人残された気持ちは計り知れないものがある。しかも王族として、国や民の未来を背負わなければならない。
思えばキアラも木沙羅と同じだった。キアラ自身、これからどうすれば良いのか、わからなかった。ただ木沙羅と佳世、この二人にこれ以上、辛い思いをさせたくはない――。
キアラは天井を見上げてから、佳世に振り向くと、
「佳世は、強くて優しいお姉さんなんだな」
「はい」
佳世はキアラの顔を覗き込むようにして、優しく微笑んだ。
4
数日後。