八国ノ天
優しさだけではない。木沙羅の目を見ていると、真っすぐで力強い何かを感じる。
「娘がいる」ゴズは木沙羅から目を離し、ふん、と大きく鼻息を鳴らした。
「お前には関係ないことだ。もう寝ろ」
木沙羅は黙って桜石を首にかけ直し、壁にもたれかかり目をゆっくり閉じる。
静寂が二人の空間を満たしていくとともに、小鳥の鳴き声が戻ってくる。
木沙羅が寝つくと、ゴズは呟いた。
「お前が王女でなければな……」
ゴズが狗奴国の本城である狗奴城に到着したのは、翌々日の夜だった。綾村大橋から二日かかったことになる。
到着するとゴズは兵に命じ、木沙羅を監視塔の一室に閉じ込めさせた。
今、狗奴城にはニニギもいる。太陽のカムイと創生ノ書を手に入れるのを心待ちにしていた。
傷の手当を受けた後、ゴズはニニギに報告し、自分の屋敷に帰ったのは深夜だった。
屋敷に帰るなり、ゴズの妻と娘が出迎える。
娘が元気良く体当たりし、抱きつく。
「寿野。こずえ」
一〇歳のこずえは白地に牡丹の花をあしらった浴衣を着ていた。母親に似て亜麻色の長い髪に、小さな二本の角がちょこんと突き出ている。
こずえの背丈は同じ歳の人間とさほど変わらない。一方の寿野は人間の女性と比べ長身であった。
こずえが嬉しそうに、顔を見上げる。
「お帰りなのだ、父上。心配したぞ」
だが、ゴズの顔を見るなり、
「どうしたのだ? 元気がないぞ。いつもの父上らしくない」
「こずえ。父上は怪我をしているのです。さっき約束したでしょ? おやすみのご挨拶が済んだら寝ましょうって」寿野は言った。
こずえは、へへっ、と苦笑いすると、父と母におやすみなさいと言い、蝋燭を持った侍女と一緒に寝室へと戻って行った。
「腕は大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。心配ない」
「……、ヒムカの王女がいると聞いています。太陽のカムイを復活させるのですか?」
「ああ。明朝、太陽の社へ向かう」
「これから、この国はどうなるのでしょうか? 私はあの子のことを考えると心配でなりません」
「粛清か……」
ゴズは寿野の肩を抱き寄せ、
「心配するな。何があろうとわしが寿野とこずえを守る」
2
木霊がキアラを見つけたのは、西蔵の屋敷を出発して半日が経とうとしていた頃だった。
太陽は西に傾き、夕暮れが近かった。
「キアラ!」
木霊は袋を持って馬から降り、キアラのそばまで寄って顔を覗き込む。
キアラは気絶していた。刀が太ももに深く突き刺さり、地面には血溜まりができていた。
(これは、キアラの刀……。一体、何があった?)
しゃがんで立膝をつき、キアラの手首と頬に手を当てる。
顔色は悪いが生気はある。呼吸は一定でなく脈が弱い。
「キアラ! しっかり。私の声が聞こえるか!?」
返事は無い。キアラは気を失ったままだった。
木霊は、その辺に転がっていた丈夫そうな木の枝を拾い上げると、適当な長さに切った。
そして、袋から大きな布を二枚取り出し、
「キアラ。少し刀を抜くぞ」そう言って、漆黒の柄を握る。
「ん……」腕に力を入れつつ、慎重に少し持ち上げる。
「ぐあ!」キアラが目を醒ます。傷口から赤黒い血が溢れ出ていた。
「キアラ!」
開いた目は虚ろだった。
「気をしっかり持てキアラ! いま助ける!」
木霊は布を脚の下に通し、当て布として折り畳んだもう一枚の布を脚の上の付け根部分に置く。
下に敷いた布に枝を通し、出血が止まるまで枝を静かに回していく。最期に枝を固定する。
「き、み……は……木霊……」
「大丈夫か?」木霊は袋から更に数枚、布を取り出す。
「何とか……だが、めまいがする」
「無理するな。まずは血を止めないと」そう言ってもう一度、木霊は柄を握る。
「木霊、一気に抜け」キアラは太ももを両手で強く握り、歯を食いしばる。
陽は沈み、あたりは暗くなりかけていた。
傷口に直接あてた布を右手で押さえながら、木霊はキアラと別れてから今までに起こった事を話した。
その日の夜。
キアラの傷を少しでも回復させようと、木霊は村を一軒ずつまわっていた。
しかし、ヴェールで顔を隠した木霊の姿を見るやいなや、
「噂で聞いたことがあるぞ。金色の髪に褐色の肌をした女のことを。そいつは外套を頭から被り、その下には天罪ノ面をつけているってな。お前がそうなんだろ?」
「薄気味悪いんだよ、あんた。出て行け!」
なかには石を投げつけてくる者もいた。木霊はそのような仕打ちに対して黙ったまま、誰もいなくなった家の前で一礼する。
「木霊、大丈夫か? なんてひどいことをするんだ……」戻ってきた木霊にキアラが馬上から声をかける。
「いいんだ。それより私の方こそ、ごめん……こんな仮面をつけたやつなんて、みんな怖がるよな」
「木霊……」
木霊は手綱を握って、歩き出す。
「キアラ……」木霊は前を向いたまま、声をかけた。
「キアラは仮面のこと、何も訊かないんだな」
キアラはしばらくの間、木霊を見つめていたが、
「正直、はじめて見たときは驚いた。だけど、こうして一緒にいてもわかる。木霊は罪を背負っている人間じゃない、って。それに官兵衛、櫛、十夜に十真、そして木沙羅も木霊のことを信頼している。天罪ノ面をつけていようと木霊は木霊なんだ。それで十分だと思う」
「官兵衛と同じこと言うんだな」
互いに微笑む。
「そういえば、一つ訊いておきたいことがあるんだ」
「何だ?」
「木霊はカムイとして、どうしようと思っている?」
「なぜ、そんなことを?」
「俺たちはカムイだ。だけど、俺はカムイとして何をすべきか悩んでいる」
「そうなのか? キアラは綾羅木国で役立つ技術や知識を教えているじゃないか。私は立派だと思う。それに、木沙羅と一緒にヒムカを取り戻そうとしているんだろ? 私も木沙羅と約束したんだ。一緒に取り戻そうって」
「俺のやっていることは、単に知識を広めているだけにすぎない。カムイには通常の人間には無い力がある。その力を使って木沙羅を助けてもやれる。だけど、思うんだ。果たしてそれがカムイの本当の使命なのか、とね」
「そうでは無いのか? どういうことだ?」
「木霊。君の能力は何だ? どんな力を持っている?」
「え? 私の力は雷を放ち、ある程度の距離なら瞬時に移動できる。あと高く跳べることかな」
「君にはもっと大事な力があるはずだ。審判者という言葉を聞いたことないか?」
「あ!」
官兵衛の言ったことを思い出す。
――俺がお前たちのことを知らないとでも思っているのか? 制裁者バド。貴様はカムイ、天によって審判が下された。知っているよな? 審判者の能力――
「ある……。三年前、私は制裁者バドという名のカムイの能力を消した……」
「そうか。制裁者、滅罪者、伝道者、審判者。カムイには役割としての名前を持っている。アトゥイのカムイは皆、制裁者だ。伝道者は俺や太陽など制裁者を除くすべてのカムイだ。そして、伝道者のうち三人のカムイには別の役割がある。それが滅罪者と審判者だ。滅罪者とは地と海を指す。審判者とは天を指す……」
キアラは少し、苦しそうにしながらも話を続けた。