八国ノ天
第六章 マヨヒガ
1
ゴズは計画通り木沙羅を連れ、狗奴国に向かって道沿いに馬を走らせていた。
馬はあらかじめ用意されていたものだった。
しかし、馬にとって鬼の体を運ぶには負担が大きい。
「キアラ!」
馬上から木沙羅が叫ぶ。
ゴズのすぐ後ろに、キアラの乗った馬が差し迫っていた。
「木沙羅! 待っていろ。今、助けてやる!」
キアラは刀を鞘から抜き、馬を並べゴズに斬りかかる。
刀をかわすたびに、ゴズの馬は息を荒げる。
旧時代の残骸が残る旧道はやがて、周りを木々に囲まれた砂利道へと変わる。
ゴズの馬は急速に速度を落とし、ついに走るのを止めてしまう。
「くそっ!」
ゴズは馬から降りると、手足が縛られたままの木沙羅を左肩に担いで林の中へと走っていく。
この辺りはまだ村久野国の領内のようだった。
キアラ以外にも追手が差し迫っているはずである。
あの木霊と名乗っていた他のカムイに追いつかれでもしたら、望みは無い。
ゴズは木沙羅の口を手で塞ぎ、大木に隠れながら移動していく。
紅い月に照らされた林の中をキアラが馬上から周囲を見回しながら、近づいてくる。
すぐそばまで来たその時――、
ゴズは体当たりし馬ごとキアラを突き飛ばす。
不意をつかれたキアラは刀を手放し地面に叩きつけられる。
追い打ちをかけるように、ゴズが仰向けに倒れたキアラに右拳を打ち込む。
キアラは両腕を上げて、ゴズの拳を受け止める。人間の倍はあるゴズの拳がキアラの両腕に重くのしかかる――骨が軋む。感覚の無くなった両腕を動かし、ゴズの拳と腕を掴み払いのけ、その場から離れ刀を拾い上げる。
「キアラ!」ゴズの片腕に抱えられた木沙羅が呼ぶ。
「ゴズ! 木沙羅を放せ!」
「返して欲しくば、わしを殺すしかないな。だが、今のお前のその腕では刀を振るうことも出来ないだろうがな」
「試してみるか?」
言うやいなや腰を屈めたキアラの姿が消える。
「速い!」ゴズの顔がひきつる。
眼前にキアラの姿――キアラは突き刺そうとしていた。
ゴズが右腕を前に出すと同時に激痛が走る。右腕に刃が深く食い込んでいく。
しかし――、
「かかったな」苦悶の表情をさせ、ゴズは言った。
ゴズが左腕に抱き抱えている木沙羅を地面に降ろす。
「!?」
キアラは咄嗟に刀を抜こうとするが、
「刀が……抜けない!?」
瞬間――、
ゴズの左腕がキアラを薙ぎ払う。ゴズはすかさず、倒れたキアラの頭を鷲掴みにすると、体に拳を何度も打ち込む。
「止めて!」
木沙羅の叫び声も虚しく、キアラは血反吐をはいた。
ゴズはキアラを地面に投げ捨てると、腕に刺さった刀を抜く。
キアラは立ち上がることも出来ず、その場で苦しみ悶えていた。
「何をするの!?」
「当然のことだ。殺す」
「お願い! 止めて! キアラを助けて!」
泣きながら、木沙羅が懇願する。
「無駄だ」
ゴズは振り向くことも無く、逆手に持った刀を振り上げる。
「私はどうなってもいい! あなたたちの言う通りにするから……何でも言うこときくから、キアラだけは助けて!」
ゴズは木沙羅の顔をじっと見つめ――、
「……、興ざめだ」
そう言って、ゴズは思いっきり刀を振り下ろす。
「やめて!」
血しぶき。
キアラの絶叫が夜空に響く。
キアラの左太ももに刀が突き刺さっていた。突き刺した箇所から血が広がる。
「いやだ! やめてよ!」
木沙羅の声は届かない。
ゴズは鍔が太ももに当たるまで刀を更に食い込ませていった。
キアラは悲痛の声を上げ、今にも悶絶しそうになる。
刀は脚を貫通し地中にまで刺さっていた。ゴズの右腕から刀へと血が伝い落ちていく。
ゴズは立ち上がり、キアラに言った。「これは死んでいった仲間の、せめてもの報いだ」
キアラは遠い目をしながら、必死に腕を動かしゴズを見る。
「キアラ!」
木沙羅は大粒の涙を浮かべ、這いながらキアラに近づこうとする。
「キアラ……キアラ……、キアラ」
「き、さ……ら」
キアラの赤く染まった手が木沙羅の顔に触れようとしたその時、
「約束は守ってもらうぞ。辛く悲しいのは、お前だけではない」
ゴズは木沙羅を抱き上げると、その場を去った。
どのくらい走っただろうか。ゴズは旧時代に作られた山道を進んでいた。
道の至る所で、草木に覆われた建物の廃墟が見られる。
右腕の出血がひどいのか、ゴズは何度も立ちくらんだ。
ゴズは廃墟の一つの中に入った。
その廃墟は何かの大型施設だったのか、小さな家であれば丸ごと入りそうなほど室内は広かった。
「少し、休むぞ」
そう言って、ゴズは木沙羅を壁際におろし手足の縄をほどく。
「どうして……?」木沙羅は驚いてゴズを見た。
「お前は言う通りにすると言ったな。約束は守ってもらう」
ゴズは向かいの柱に腰をおろした。
しばしの沈黙。
ゴズは目を閉じていた。
窓から月明かりが差し込み、遠くで鳥や小動物の鳴き声が聴こえてくる。
「あなたはキアラを……刺した……」
静寂を破ったのは、木沙羅の静かな怒り。
「だから、どうした?」
「許せ、ません……」
「だがお前は俺を殺すことも逃げることもできない。ここで命を落とすのか?」
「それも……わかっています……」
「いや、お前はわかっていない」
「そんなことは……」
「怒りは時に大きな力となるが、今は何の役にも立たん」
「……」
「生きることを考えろ」
「あなたにそんなこと、言われるような筋合いは無――!?」
床に流れる血が冷静になれと言っているようだった。
ゴズの顔色が僅かながら青白くも見える。
佳世とキアラの顔が思い浮かぶ。そして、父の顔。
――生きる。
――今、何をしないといけないのか。迷っている時間は無い。
「その腕……手当をしないと……」
ゴズは不可思議な顔をすると笑って、
「お前はおかしなやつだ。今、生きろと言ったはずだ。なにのわしの怪我を手当すると言うのか? このまま放っておけば、わしは死ぬかもしれん。もしかすると、逃げられるかもしれんのだぞ」
「でも、放っておくわけにもいきません。それに、これが私の今の答えです」
「……まあいい。どのみち、そのために縄をほどいたのだからな。まさか、お前からその言葉を聞くとは思わなかったが」
そう言って、ゴズは懐から手ぬぐいを取り出す。その時、何か小さな物が一緒に床に落ち、木沙羅の方へと転がった。
木沙羅はそれをつまんで拾い、
「これは……桜石……」
「それがどうした? ただの石だ。それより、こいつを腕に巻け」
木沙羅は桜石をゴズに手渡し、代わりに手ぬぐいを受け取ると、それをゴズの腕に巻いていく。
「昔……」木沙羅は言った。「父が戦場に赴くとき、私も桜石を父にあげました」
ゴズは黙っていた。
巻き終えた後、木沙羅は首にかけている二つの桜石を手のひらにのせて、
「これは私のとうさま……月森王の桜石です。こっちは佳世のです。どちらも私にとって大切なもの。大切な人……」
月光に包まれた桜石が二つ、小さな手のひらの上で転がる。
「あなたにも大切な人がいるのですね」