八国ノ天
「ぎゃー!」「あー!」突然の群衆の悲痛な叫び声。
花火の明かりに何かが映る。
(血しぶき……? いや、それだけじゃない!)
暗闇の中で血が肉塊と一緒に飛び散る。
あたりはパニック状態に陥っていた。
「木霊、何? 何なの? あれは?」
あちこちで無機質な音が鳴る度に、半壊した頭、千切れた指、えぐり取られた内臓が飛び散る。
木霊は唾を飲み込むと同時に血の味を思い出していた。
「どけ! 死ぬだろーが!」
「子供が! 私の子供が! どこなの?」
「お前が死ね!」
子供の泣き叫ぶ声。
かがり火が倒れる。
「あつっあちぃ! 燃え移る! だれか助けてくれ!」
「押すな!」
「助けて!」
雪崩のように人が倒れ、その上を人が這いつくばるように逃げて行く。地面に倒れた人間が別の人間の足を掴む。
「放してよ! 放せって言ってるでしょ! この、放せー! 死ね! ひいっ来た。この! うわがわわ、くるでしぶゅっ!」
声が肉塊に変わる。
相手はまだ見えない。こちらに近づいて来ているようだった。
「こわい……」槇が木霊の外套を掴む。
「大丈夫。落ち着いて」
木霊は槇の肩を抱いて空を見た。
(十真、合図して! どこにいる?)
かがり火の熱気をまとった男たちが一斉に右隣の桶胴太鼓を打つ。
左隣の太鼓を打つ。
一打、一打、魂を込めるたびに上腕筋が隆起する。
はぢくように打つ。
男たちの呼吸は一つになっていた。
長胴太鼓、桶胴太鼓、締太鼓、異なる太鼓の掛け合い。
大波に渦を巻くような連打が空と大地を震わせる。
境内から出口へ向かう階段は、地獄絵図と化していた。
皆、死に物狂いで階段を降りていく。
転げ落ちる者。踏まれていく者。腰を下ろしてゆっくり花火を見物しようと、階段はすでに多くの人で埋め尽くされていたので、身動きとれない状態だった。あちこちで殴り合いも起きていた。
「階段は使えん! 塀を昇れ!」
ゴズの指示に従い、黒装束の者たちは互いに連携を取りながら塀を素早く昇っていく。
「不審者だ! やつらを捕えろ!」
ゴズを指差しながら警備兵が叫ぶ。「それより、こっちだ! 人がどんどん降りてくる。何事だ?」「なんか上で騒ぎが起きているらしいぞ!」「応援を呼べ!」
甲高い笛の音が鳴り響く。
空を切り裂く音――木霊が目を向けると、白い閃光が夜空を駆け抜けていく。
(十真!)
「槇、私たちも移動しよう」
槇の手を掴むと群衆の波に呑まれないよう木霊は歩き出す。しかし、次々と後ろからくる群衆の波に押され、渦に巻き込まてしまう。
「木霊! あの子!」
「……わかった」人波をかきわけ、木霊と槇は泣いている小さな男の子の方へと近づく。少し離れた所からあの甲高い音が響いてくる。
「来たぞ! 早くそこをどけ!」土埃が舞い、流れが急になる。
「大丈夫?」群衆の体にぶつかりながらも、槇が男の子を抱き上げる。
「おまえら! ぼけっと突っ立てるんじゃねえ!」
押しのけようと男の手が木霊の頭にぶつかりヴェールが脱げる。
男はヴェールの脱げた木霊の顔をちらっと横目で見て、そのまま走って行った。
が、少し走ったところで男は足を止める。
男の目は大きく見開き、恐怖に慄いていた――そして、男は指を差して叫んだ。
「天の字……? おい、天だ。天罪者だ! 悪魔がいるぞ!」
一斉に周りの人間の足が止まり、木霊に視線が集まる。
「こいつだ! この女がやつらを連れてきたんだ!」
「うわ本当だ!」「天罪者だ! 呪い殺されるぞ!」「悪魔め」木霊を見るやいなや、呪うように言葉を吐き、避けるように離れていく。
「木霊……?」槇が震えた声で呼びかける。
木霊は俯いたまま黙っていた。群衆の冷酷で恐怖に満ちた目が、木霊の心に悲しみを注ぎ込んでいく。
「木霊……」槇の声が聞こえる。だが、木霊は槇に顔を向けるのが怖かった。
カラカラカラカラカラカラ――。
「来たぞ! 逃げろ!」「ひっ!」群衆が叫びながら我先にと四方八方に散らばっていく。しかし、逃げた先々で絶叫と骨肉を切り刻む音が聞こえてくる。
「木霊? ちがう、よね? 木霊がみんなを……」
(こんなのはもう慣れている……木沙羅さまにだけは、見せたくなかった。だけど、これもまた今の私なんだ。くよくよしている場合じゃない。立ち向かうんだ。官兵衛が教えてくれたじゃないか、立ち向かえば恐怖は半分になるって。それに、私は槇に信じて欲しいんじゃない。私は木沙羅さまと――)
一緒に前へ進みたいんだ。
「木沙羅。今は私のこと信じて」
「え? どうして私の名を?」蛇の這うような音が近づいてくる。
木霊の手に持っていた刀身が青白く輝き出す。
そいつは突然、地面から湧いたかのように目の前に現れた。
カラカラカラ、と目の前で大きな音を立てる。が、その音はすぐに消え、代わりにギチギチと奇怪な音を立てた。
「ムカデ……? 大きい」木沙羅は足を震わせていた。
上半身を起こした黒いムカデが木霊と木沙羅を見下ろしていた。
よく見るとムカデの脚は鎌のような鋭利な刃になっていた。
八本の巨大な鎌。腹には何十、何百といった鎌が蠢いていた。奇怪な音の正体は、鎌の蠢く音だった。その切っ先には人間の目玉や肉が突き刺さっていた。ムカデの腹は生々しいほどにどす黒い血糊と千切れた肉がこびりついていた。切っ先からぽたぽたと血が滴り落ちている。
「きゃーっ!」
木沙羅が思わず叫び声を上げる。
木沙羅は男の子をかばうように、後ずさりする。花火はいつの間にか鳴り止んでいた。
「何なの、こいつ? 生き物じゃない」
ムカデの巨大な鎌が束になって、木霊に襲いかかる。
木霊は後ろに素早く跳び退くと、すぐさまその反動を利用して跳びかかり、真横から長巻を振りあげる。
ムカデの腹が真っ二つに分かれる。腹から体液も何も出ることなく、その場でびくりともしない。
木霊は少し離れ、
「骨か鉄のように硬い。何なの」
「木霊、そいつまだ死んでないよ!」
木霊の背後、上空から声がした。
「え?」木霊がもう一度、倒れているムカデに目をやると、切られた方の上半分が蛇のように地面を這いつくばっていた。
「こいつ!」木霊は長巻を上から振り下ろす。縦に真っ二つに分かれる。それでもまだ、もがいていた。
「何、これ?」
「技械衆。そいつは傀儡だ」十真が木霊の横に並ぶ。
「本体を探すのよ。そのムカデを操っているやつをね」十夜が木沙羅の隣に着地する。
「操っているやつは、傀儡童子っていう伊都の特殊兵」十真は言った。
「伊都ですって?」木沙羅はそう言ってから、「はっ、そういえば護衛の者は?」
「恐らく、もうすでに……」
「そんな……」十夜の言葉に落胆する。
甲高い音とともに、今度は四体のムカデが木霊たちの前に現れる。
「感傷に浸っている場合じゃないわ。あなたが木沙羅王女ですね?」十夜が訊く。
「え? あ、その……」
(伊都……キアラ、とうさま……迷っている場合じゃない)
「はい、私がヒムカの木沙羅です」
十夜は木沙羅の返事を聞くと前を振り向いて、「二体いくわ、残りはお願い」
木霊と十真が頷くやいなや、翼をたたみ十夜が駆け出す。