八国ノ天
「でも実際、目の前に現れたら何て言えばいいんだろう? だって私はあの時、その人を目の前にして助けることができなかったから……」
だけど――。
「そんなことないよ! 会えば絶対、嬉しいに決まってる」三年前、バドに言い放った言葉だ。
「そうだね、そう言ってもらえると嬉しいな。私もまた会えたら凄く嬉しい。また昔のように一緒に暮らせるといいな。木霊、ありがとう」
(そうだ。仮面なんて今はどうでもいい)
槇の笑顔を見て木霊は、自分が佳世だと告げようと決心した。早く再会を喜び合いたいと思った。
「でもね……」
「え?」
「でもね、たぶんいま会ったら私は笑顔で迎えることはできないと思う」
「え、それは……、どうして?」
「あの時、私は自分の身可愛さに、その人を探すのをあきらめて立ち去ってしまったから……逃げてしまったの」
槇は手を止め、帯を両手で握った。
「逃げたのはそれだけじゃないの。私は国も民も兵もお世話になった人たちも、みんなみんな投げ捨てて一人で逃げてしまった。それは私に未来を託された、とうさまを裏切ったことと同じ」
木霊は自分の浅はかさを痛感した。
木沙羅との再会を果たしさえすれば良かった。また一緒に昔のように過ごせると思っていた。
しかし、木沙羅は違っていた。木沙羅は祖国のことも考えていた。木沙羅の心は、その笑顔からは想像できないほど深い闇に包まれていた。
槇は木霊を見て言った。
「会ったばかりのあなたに言うのは変かもしれないけど、私ね、祖国を取り戻したい。私のような未熟な人間のために、祖国を離れ私のもとに集まってきてくれた人たち。財も人望も力も、何も無いこんな私に手を差し伸べてくれたこの国の人たち。この三年間、私はたくさんの人に助けられてきた。その人たちの想いに応えるためにも、私は取り戻したい。すべては国を再建するために」
――ああ……私は私のことだけしか考えていなかった。あの時、佳世ではなく木霊として、本当の木沙羅さまに会うと誓ったのに、たった三年で楽な方へと考えるようになってしまっていた。いつの間にか木沙羅さまのことをなおざりにしてしまっていた。
私にできること。
カムイ天としてできること。
「槇、私……」
槇は静かに木霊を見た。
木霊はぎゅっと拳を握りしめ、
「私、手伝うよ。一緒に国を取り戻そう! そのお姉さんにもきっと会える。国が再建されたと耳に入れば、戻ってくると思うし」
「木霊……うん! そうだよね。ありがとう」
槇は笑顔で答えるが、すぐに向き直ると、
「でも、その気持だけで十分だよ。木霊には木霊の人生がある。自分の生き方を大切にしないと、ね」
「私は……私は本気だよ。変に思われるかもしれないけど、これが私の進むべき道だと確信している」
「木霊……」
「ごめん、私、変なこと言ってるよね。あ、そうだ。これ良かったら一緒に付けていいかな?」
「その花は?」
「釣浮草。さっき花屋のおじさんにもらったんだ。花言葉は信頼だって」
「信頼……いい言葉だね」
木霊は槇から刺繍糸と針を借りて、釣浮草を二つ付けた。
それから木霊は、槇にカムイであることは伝えず、自分の仲間のことを簡単に説明した。
後で官兵衛たちに会ってもらうことになったが、木沙羅王女とキアラを探していることは伏せておいた。
人々の笑い声と祭囃子の音に混じって、大太鼓を叩いた時のようにどん、と夜空を叩く音が聞こえてくる。
「あ! 見て木霊! 綾村大橋の方!」
槇の言葉に促されて、木霊は目を向けた。
「きれい……」
花火が夜空で大きな菊や牡丹の花をいくつも咲かせていた。いつの間にか、木霊たちの周りには人だかりができ、子供たちが、はしゃぎながら走って行く。
木霊と槇は見晴らしの良い場所へと移動する。
よく見える場所まで来て、木霊は槇の顔を見た。花火が槇の笑顔を照らす。
海面に紅い月が映り込んでいる。
木沙羅に会えたという実感が未だに湧かない。
木霊は足を横に出すと、少しだけ槇に近づいた。
海面に咲いた花が、ゆらゆらと夢心地気分で舞っていた。
5
官兵衛と櫛が安宅船に向かってからしばらくして、綾村大橋の上では夜の催しが始まろうとしていた。
かがり火や行灯、提灯などいくつもの明りに照らし出された舞台の上で子供たちが位置についている。
「ふむ、木沙羅さまは時間がかかっているようですな」西蔵は言った。
「そのようです。念のため、迎えの者を出しておきましたが、大丈夫でしょう。もうそろそろ、お腹も空く頃ですしね」
「はは、木沙羅さまはご飯の時間は守りますからな」
キアラと西蔵は笑いながら、舞台に目を向けた。
子供たちは顔に入れ墨のような紅色や青色の塗料を塗っていた。手にそれぞれ、笛や締太鼓、作り物の槍や剣、小刀を持っている。
子供たちが舞台に並んで、おじぎをすると演奏が始まる。
「お、始まりましたな」
演奏に合わせ、男の子と天狗の女の子が前に出てくる。出てくるやいなや、お互い手に持っている小刀を相手に向けて空中に放り投げる。くるくると回転しながら弧を描くようにして相手に向かって飛んでいく。二人は同時にそれを掴むと、すぐにまた投げ返す。しかし、今度は空中に四本。
歓声が沸き起こる。
ひと通り芸が終わると、今度は刀を持った鬼の男の子と薙刀を持った人間の女の子の演武が始まった。二人とも袴姿だった。
キアラは男の子の顔を見た。
男の子は紅色の塗料を頬に塗っていた。力強く自信に満ちた目をしていた。
その鬼は黒い塗料を顔全体に塗っていた。
闇の中に溶け込むような装束を身にまとったその鬼は、人間では扱えきれないほど大きな刀を手にしていた。
「間者からの報告によれば、木沙羅王女は赤間竜宮にいる。キアラは一緒にいないようだ。恐らくやつは別行動をとっている」
暗い船内の中でその鬼は言った。
「鞍丸、お前は綾村大橋だ。橋には綾羅木と村久野両国の王族がいるはずだ。お前はそこで敵兵を多く引きつけろ」
黒い烏の羽を生やした天狗は頷くと、
「手はず通りということですな。ゴズ殿」鞍丸は目の前の大きな鬼に向かって言った。
「そうだ。失敗は許されん。そのために技械衆を連れてきた。多くの血に染まるだろうがいたし方あるまい。お前は手柄を立てることに専念すれば良い」
「わかっております。敵であった瀕死の私を救ってください、こうして武人として生きる機会を与えてくださったニニギ様には感謝しております」
「うむ、わしもお前の活躍には期待している」
「もう間もなく催しが始まるようです。ゴズさま、鞍丸さま」
女の声だった。木製の階段を降りながら声の主が姿を現す。
「麗か」ゴズは言った。
「ゴズさま、対岸へ向かう船は用意できております。赤間竜宮にお急ぎください。この黒耀丸の周囲にも人の姿はほとんどありません。皆、花火と催しものに足を向けているようです」
「うむ。ところで、さきほど誰かこの船の様子を探っていたようだが?」