八国ノ天
十真は弓から湾曲した斧のような短刀――ククリに持ち替えながら、近くの岩へ飛び込み身を隠す。
と、同時に十真のすぐそばで爆発音。地面に赤い肉片が降り注ぐ。十真は翼を閉じ反対側の壁へと疾走した。
さっきの爆発で運良く二体、倒したようだった。残り二体が鉈を振り上げ、まっすぐ十真へ向かってくる。
十真も足を止めることなく、向かって行く。そして互いの刃がぶつかる直前、十真は壁際に跳び上がり更に壁を蹴って宙返りを打つ。目の先に屍人の背中が映っていた。天地が逆になった十真の右手からククリが放たれる。ククリは勢いよく回転しながら宙を舞っていた。十真が着地すると同時に、ククリは屍人の背中へ命中していた。
あと一体。
十真は再び地面を強く蹴った。
屍人は木霊の方へと向かっていた。
速度を落とすこと無く、十真は屍人の背中に突き刺さったククリを抜き取り、前を走る残り一体を追う。
間に合わない。
屍人が岩陰へ飛び込む。
「木霊!」
十真は叫んだ。
岩陰に隠れた木霊の様子はわからない。
眼前に広がる一瞬の静寂。
焦りを滲ませ、ククリを握り直す。
岩陰に来た時だった。
ブチっという繊維質のものを断ち切ったような音とともに、霧状の血しぶきが十真の眼前に広がる。
「木霊!」
結果はすぐに見てとれた。天ノ羽衣が屍人の背中を貫いていた。その屍人が天ノ羽衣を突き刺さしたまま地面にドサっと倒れる。
木霊は地面に仰向けになり口を半開きにして、息を荒らげていた。とても意識があるようには思えなかった。
十真は屍人に突き刺さった天ノ羽衣を抜き取り、木霊のそばに寄る。
「木霊、大丈夫? また屍人が復活しないうちに行こう」
力づけるように声を掛け、木霊の右腕を掴んだ。その時だった。
「地面が揺れている?」
揺れは大きな衝撃となり十真の身体を激しく揺さぶった。あの巨大な穴からだった。
竪穴から伸びた巨人の左腕が地面を掴んでいた。
「這い上がろうとしている!?」
十真は木霊を立ち上がらせ、前へ前へと進んだ。
二回目の衝撃。
「うっ!」
木霊の重みと一緒にがくっと十真の膝が落ちる。
顎下から地面へと汗がぽたぽたと落ちて行く。
獣のような咆哮が十真の背中を突き抜けて行った。
追われる恐怖――。
十真は歯を食いしばった。
前方に明かりが見えてくる。
ドン、と大きな破壊音が閉じた空間に響くたびに、天井からぱらぱらと床の破片が土と一緒に、十真と木霊の頭上に降り注ぐ。
顔の無いあの怪物が十真と木霊を追っている音に違いなかった。
だが、十真は前だけを見た。
希望の明かりだ。
巨人は四つんばいになって、壁や天井を削りながら狂ったように突進していた。
(来たっ!)
実際に背後を確認したわけでは無いが、十真は背中に恐怖に似たものを感じていた。
巨人の地面を蹴る音が腹底に伝わってくる。
希望と恐怖。
恐怖が十真を襲う。
走っている気がしない。
明かりはまだ先にあるようだ。
「ふん、そんなにさっきのが痛かったの?」
にいっと笑い、強がりを漏らす。
その背後。咆哮と衝撃が十真を襲い、巨人が岩を吹き飛ばし突撃してきていた。
巨人が口を開く。
――あきらめない。
十真は木霊の身体を強く抱きしめ、力の限り走った。
あきらめないっ!
「十真!」
声だ!
「官兵衛! 櫛!」
力いっぱい叫んだ。
希望が勝った。
官兵衛が太刀を手に十真の方へ駆けてくる。後方で櫛が弓を構えていた。
櫛から矢が放たれる。
「十真、代われ!」
官兵衛が十真から木霊を取り上げ肩に乗せると、
「走るぞ!」
十真は走った。脚が軽い。恐怖も今は無い。
櫛の放った矢が走る二人の頭上を越え飛んでいく。
「爆矢――」十真は言った。
直後、すぐ後ろで爆発音が十真の耳をつんざいた――耳鳴り。爆風が官兵衛と十真を巻き込む。
二人は倒れるようによろけるが、
「立ち止まるな!」
官兵衛の叫び声に支えられ走った。二本目が飛んでくる。
巨人の足音は聞こえてこない。
櫛とすれ違いざま、
「十真、援護を――」
十真は櫛に頷いてみせ、出口へと走り続ける。
「残り二本――」
大きな岩の前で十真は滑り込むようにして立ち止まり、身体を反転させながら弓矢をかまえた。
官兵衛と櫛が十真の横を通りすぎていく。
巨人は追ってきてはいないようだった。十真の立っている場所から化物の姿は見えない。
だが、十真は放った。爆薬の詰め込まれた矢がほぼ一直線状に飛んでいく。
矢は十真のすぐそばで爆発した。
十真は岩陰に隠れ爆風をやり過ごしていた。
「これで最後――」
十真は最後の爆矢を放った。
最後の爆発音の後、十真は岩陰から飛び出した。
見れば巨人のいる方向に岩山ができ道を遮ぎっていた。パラパラと天井から土が今も降り積もっている。
あの巨人は追ってくる。いくらかは時間稼ぎになるはずだ。
十真は出口へと向かった。
境内に出ると少し離れた場所に全員がいた。
村人たちの姿はない。
十真は走った。
「十真!」
十夜は十真のそばに近寄ると、お互いの無事を確かめていた。
「揃ったな。櫛、ナオと木霊のことは頼んだ」
櫛は頷くと、この場から離れるべく皆を移動させた。
皆が去って行く中、十真は官兵衛の前で立ち止まった。
「戦わないの?」
「十夜から状況は聞いた。ヨミは……残念だったがお前たちはよくやった。櫛と一緒に木霊とナオのそばに居てやってくれ」
「わかった……けど、官兵衛はまた一人で戦うの?」
「これも『滅罪者』の役目だ」
「……そうだね」十真は俯いた。
「なんだ? 戦えなくて不服か?」
「いや、そうじゃない……けど、いつか私も、もっと強くなって――」
官兵衛は十真の頭の上に手をのせ、ぽんぽんと軽く叩く。
「――!?」十真は顔を上げた。
土埃に薄汚れた頬が涙で濡れていた。
「十真。お前は強くなった。これからも、もっと強くなる。だけどな十真、戦うことだけが強さじゃない。今はみんなの所に行ってやれ」
「……うん」
官兵衛はその姿が消えるまで、十真の背中を見つめていた。
極度の恐怖と緊張から解き放たれ、今になって生き延びたという実感が湧いたのだろう。
走り去っていく彼女の背中がそう語りかけてくるようだった。
陽は沈み秋の夜空が広がっていた。境内の四隅に焚かれた篝火の炎が官兵衛をうっすらと照らしていた。
風もなく空気は澄み渡っていた。虫の鳴き声が草木のこすれ合う音に溶け込むように聞こえてくる。
官兵衛は境内の中央で一人、静かに時が来るのを待った。
だが、この静謐な時間も長くは続かなかった。
社の崩れる轟音とともに灰色の巨人が官兵衛を見おろしていた。
だが、それに動じる様子もなく、官兵衛は足元の乾いた土を掴みとり両手で擦り合わせている。
官兵衛は静かに見上げた。
その巨人は股下だけでも官兵衛の背丈はあった。それ以上に胴体は長く、両手を地面に付けて立っている姿は人間というよりも脚の短い猿のようだ。