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八国ノ天

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 ヨミは巨大な赤い舌に巻かれていた。大量の唾液が木霊の身体に振りかかる。
「ヨミ!」
 木霊は左腕をすかさず動かした――ぐしょりという感触。ヨミの腕を掴みとった。
「ヨミ!」もう一度叫んだ。
「お姉ちゃんは……これで助かります。木霊さん、いえ、神さまのおかげです」
 ――違う! そう頭の中で強く叫んだ時だった。木霊は何かが吹っ切れたようだった。
「違う! 私は神でも何でもない! ただの人間だ! あっ――!」
 叫んだと同時に全身に浮遊感――地面が遠のく。
 木霊とヨミは地上から一〇メートルほどの高さにいた。
 木霊はその巨大な舌にぶら下がっていた。
 ナオが上半身を起こし、呆然とこちらを見上げていた。ナオとは反対側の壁に十夜と十真の姿があった。十真は弓を構えている。ヨミを呑み込まんとしている相手の姿形はわからなかった。巨大な口しか見えない。
 木霊は向き直って、ヨミに声をかける。
「それにこいつはカムイじゃない! 化物だ!」
 右手に持っていた天ノ羽衣で分厚い舌を切り刻んだ。真っ赤な血しぶきが、ぶあっと勢いよく飛散する。木霊は返り血を全身に浴びた。
 それに反応して再び口が大きく開き、唾液まみれの舌にヨミと木霊が口の中へと引き込まれていく。
 木霊は天ノ羽衣を唇に突き刺し、柄から手を離すと右腕と両脚を使って巨大な歯にしがみついた。
「ヨミを放せ! 化物!」
 左手にヨミの腕の感触がある。

 木霊は左手に掴んでいる彼女の姿を見た。
 ヨミは微笑んでいた。

 が、突然その笑顔がミシリという音とともに、目の前から消えた。
 何が起きたのかわからなかった。左手にあったヨミの感触が今は無い。
 木霊は呆然としていた。

「木霊っ!」
 十夜と十真の泣き叫ぶような叫び声。その声で木霊は我に返った。
 木霊の目の前に映っていたのは、あたり一面、黄ばんだ壁のような白い歯だった。歯の溝に赤い液体が滲み出ていた。
 固く閉じられた口の中からではない。
 それは木霊の左肩から流れ出て歯に付着していたものだ。
(どうして――)
 不思議と痛みは感じない。ただ感じていたのは虚無だ。今ままで起きたこと――木沙羅と離ればなれになってしまってからこれまでの時間、出来事、目の前に起こったこと、すべてを認めたくなかった。

 ドクン。

 木霊は醜い巨大な唇に突き刺した天ノ羽衣を抜き取り拳に力を入れた。刃が青白く輝き始める。木霊は跳び上がり身体を弓のように反らせ力を溜める。

「アァーーーッッ!」

 上段から天ノ羽衣を振り下ろす! 青白い閃光が扇となって宙に浮かび上がっていた。
 歯から歯茎、そして唇へと一本の青白い筋が直線を描いていた。
 木霊は身体を丸め回転しながら地面へ着地し、片膝を立て半立の状態で顔を上げた。
 木霊は初めて相手の姿形を確認することができた。
 穴から上半身だけを覗かせたその化物は人の形をしていた。灰色の分厚い肌に両腕を地面に置いて身体を支えているようだ。なぜ口しか見えなかったのか、今はじめて理解した。そいつには首から上が無かった。鎖骨らしいものも見当たらない。首を中心に肩全体が口になっていた。
 相手の姿が確認できた途端、虚無が消え現実へと変わっていく。それを受け入れたくない自分がいた。
 天罪ノ面を着けたときと同じだ。
 いやだ。
 しかし、自然の脅威が人間の営みを何の躊躇もなく壊してしまうように、現実が木霊の抵抗を包みこんでしまう。
 目の前に現実に屈し、木霊は恐る恐る自分の左腕を見た。
「左腕が……」

 ドクン。
 再び衝撃が木霊の全身を貫く。
 天罪ノ面だ。
 木霊は顔を上げ化物を睨めつけた。天罪ノ面に隠れた木霊の瞳に、かつての日常が映し出されていた。両腕で抱きしめ木沙羅とがむしゃらに泣いたあの晩。両手で笛を吹いていた午後のひととき。ヨミを掴んでいたあの手の平にあった暖かな感触。虚無と現実が木霊の中で激しく交錯していた。それをあざ笑うかのように天罪ノ面が木霊を襲う。今失った左腕をまたもぎ取られる感覚。そう、目の前にいる巨人の手でもぎ取られる感覚だ。
 木霊はあまりもの痛みに絶叫し、転げ回った。

 痛い!

 腕も!
 身体も!
 頭も!
 心も!
 何もかも!

 必死に感情を――痛みを抑えようとする。立っているのか地面に這いつくばっているのかさえわからない。遠くから声が近づいてくるが、何を言っているのかもわからない。

「木霊っ!」
 十夜が叫ぶ。
「十夜はナオをお願い! 私はあいつに一泡吹かせてから木霊を連れて行く!」
 十真が木霊のもとへ走る。
「わかった。木霊を頼んだわよ」
 十夜は剣を鞘に納めると、
「ナオ。出ましょう」
「ヨミが……」
 ナオはその言葉だけを繰り返していた。
 十夜はナオを背負い、出口へと向かった。

「爆矢は五本。一本目――」
 十真は狙いを定め矢を放った。ほぼ一直線上に弧を描き飛んでいく。
 十真は続けて二本目を放った。その間に一本目が爆発する。先ほど木霊が斬った口元からだ。巨人の歯は砕け、歯茎と唇が肉塊となって、地面にぼたぼたと落ちる。続けて地面を支えていた巨人の右手首に突き刺さった二本目が爆発。巨人の手首に深い穴があいていた。動脈を突き破いたのか、鮮血が吹き出すように流れ出ていた。地面が激しく揺れ、巨人の身体が崩れ落ちて行く。
 十真は弓を腰に固定させ、
「木霊、私がわかる?」
 十真が必死に声を掛けるも、木霊は地面を這いつくばり身体を痙攣させていた。
「これじゃ背負えないよ」
 十真は天ノ羽衣を拾い、暴れる木霊の右腕を掴む。そして自分の首に回し立ち上がらせた。
 十真の背後では、片腕で地面にしがみつきながら巨人が低い唸り声をあげている。
 十真は巨人の動きを警戒しつつ、急ぎ足で歩を進めていた。
「木霊! 頑張って歩いて!」
 木霊の乱れた呼吸が十真を焦らせる。
 あれはきっと何か仕掛けてくるに違いない。
 十真は木霊の身体を半分、担ぐように持ち上げ脚を動かした。
 さっきよりも早く進んでいるように感じるが、後ろを振り返れば、巨人の大きさはさほど変わっていなかった。
 巨人の口から何かが出てくるのが見えた。
「屍人!?」
 さっき倒したはずの屍人だった。十真たちの斬撃によって破れた衣服から灰色の肌が覗いている。傷口は跡形も無く塞がっているようだった。
 最悪なことに屍人は一人だけでは無かった。穴蔵から這い出るように、巨人の口から次々と出てくる。
 全部で四人。
「木霊! 戦える?」
 木霊はもう暴れてはいなかったが、何の返事も無く脚もほとんど動いてない。かろうじて立っている感じだった。
 十真は岩陰に木霊をおろし、天ノ羽衣を右手に握らせる。
「これで自分を守って。いい?」
 意識を朦朧とさせながらも木霊は応えたようだった。十真は天ノ羽衣からそっと手を離し、木霊が柄を握っていることを確かめる。
 大丈夫なようだ――今はそう信じるしか無い。
 十真は立ち上がり、屍人の方へ体を向けると――、
 全力で地面を蹴った。
「三本目――」
 十真の放った三本目の爆矢が、先頭を走っていた屍人の腹部に突き刺さる。
作品名:八国ノ天 作家名:櫛名 剛