八国ノ天
「私はこのまま部屋の中を見てくるから、十夜と木霊はそこで待ってて。もしかすると明かりがあるかもしれない」
「わかったわ」
十夜と木霊は首を縦に振った。
木霊はヨミのそばに立っていた。
ヨミは一言もしゃべらず、また動かなくなってしまった姉の姿をじっと見つめている。
木霊はヨミにも、十夜にも話しかけるのが躊躇われた。
しかし、口元をぎゅっと噛みしめると、
「さっき、十真さんから聞きました……」
「……。何をかしら」
先ほどと違い、十夜の口調に怒りは感じられない。
「お姉さんは……、神に殺されたって」
「……」
「なぜ、私にこの笛を渡したのですか?」
木霊は腰に提げていた小さな袋から笛を取り出していた。
十夜は黙ってただ、それを見つめていた。
「……十夜さん……私だって辛いんです」
「――!」十夜はハッと息を呑んだ。「私はあなたを責めるつもりで言ったわけでは……」
「わかっています」
「……私はどうかしていたわ。その笛を渡しておいて、あなたに神かどうか問うなんて」
十夜は木霊の前でしゃがみ、
「私は知らないうちに、あなたを傷つけてしまっていたのね」
「十夜さん……」
十夜は木霊を抱きしめた。
「どうか、許して」
「……はい」
木霊も抱きしめ返す。そして――、
互いに目を合わせていた。
二人に笑顔が戻った瞬間だった。
ちょうどその時、頃合いを見計らったように辺りが少しだけ明るくなった。十真が言っていた明かりだろう。
十夜と木霊の二人は天井を見上げた。
天井までの高さは二〇メートルはあるだろうか、そこには土肌と鏡床がまだら模様のように広がっていた。
何千年の時を経て、天井は崩れ落ちそのほとんどが土と岩に変わっていた。
明かりはその鏡床から発せられている淡い光が集まって出来たものだった。天井だけでなく壁も同じように木霊たちを照らしている。
今いる空間の全体像がうっすらと浮かび上がっていた。かつての面影は無く床も壁もそのほとんどが、天井から長年降り積もった土に隠れていた。その上を苔が覆っている。
矩形状に切り出されたこの広い空間は、明らかに人の手によって造り出されたものだった。ただ、目の前の巨大な穴は自然に出来たもののように見える。
少し離れた部屋の入り口から十真が姿を現すが、その表情は険しかった。
「十夜、ちょっと来て! 見て欲しいものがある」
「何かあったのでしょうか?」
「わからないわね。何にしても木霊。なるべく早く戻るから、ナオとヨミを見ておいて」
木霊は頷いて、
「あの……」
「ん?」
「私たちが信じているこの世界の神っていったい、何なのですか?」
十夜もまた十真と同じく紺青色の瞳に、木霊の知らない情景を映し出しているようだった。
だが、すぐにいつもの優しい瞳に戻ると、
「人によって造られし存在よ」
7
木霊の前方すぐそばで巨大な穴が腹を空かせたような唸り声をあげ、不気味な口を開けている。
それは十夜が消えていくのを見送ったと同時に起きた。
背後からカサコソと音が聞こえた。
「私が……私がお姉ちゃんを、助けてあげるね」
「ヨミ!?」
振り返ると、木霊から見て正面に座っていたヨミがナオの目隠しを外していた。仰向けになったナオの耳からドロリと赤い液体が黒い髪を伝っている。
ナオの瞳は死んだ魚のように、生気が無く天井を見上げていた。
「お姉ちゃん」
その瞳がヨミを捉える。ナオの両腕が真っ直ぐに伸びていた。
木霊には一つ気になっていたことがあった。
櫛、官兵衛、キアラの能力。ナオが呑んだ珠。屍人。施設。儀式。伝説。これらすべてが人の手によって造られたものだとしたら――。
ヨミは首を締められていた。だが、ヨミはなんの抵抗することもなくそれを受け入れていた。
木霊は飛び出していた。目の前で馬鹿げたことが起きている。二人は何もしていない。ただ、誰にも邪魔されず生きたいとそう願った。たった、それだけの事なのに。
――こんなの、間違ってる!
木霊の両拳がうっすらと輝き出す。しかし、天罪ノ面がそれを邪魔する。木霊が強く思えば思うほど頭を、腕を、胸を、内臓を、脚を、すべてを蝕むようにあらゆる激痛が木霊を襲う。木霊は地面を舐めるように頭から倒れこんだ。手を伸ばせば、ナオとヨミはすぐそこなのに、永遠に感じられた。あらゆる感情が暴風のように激しく木霊の中で吹き荒れる。意識はあるが今、何を考えているか認識できない。だが、目の前で起きている現実が木霊を奮い立たせる。
死なせない!
木霊は這いずり、ナオへ手を伸ばした。拳の輝きが増しているのが見えた。肋骨と背骨が軋み声を上げ、何度も上半身が無理やり大きな力でもぎちぎられる感覚を味わっていた。
木霊はついに彼女に触れることができた。直後、今まで目の前に集中していたことで無理やり抑えこんでいた痛みが一気に膨張し、爆風となって木霊を襲った。木霊は叫び声を上げる間もなく、気を失った。
すぐに目を覚ました。気を失ったのは一瞬だったかもしれない。身体に強く残っている痛みがそう訴えかけてくる。だが、意識ははっきりしており、心も落ち着きを取り戻していた。
想像以上の痛さだった。できれば二度と味わいたくない。頭の片隅でそう願いずつ、木霊は今すべきことに意識を集中させた。
(結果はどうなった? あの二人は?)
最初に視界に入ったのは首を締められたヨミの姿だった。
やはり、この力では駄目だったのか。カムイの能力を消し去るこの力を使えば、ナオの身体から取り除けるのでは? そんな淡い期待を抱いていた。淡いけど木霊にできることは、これだけだ。だが、それも無駄に終わってしまった。あとはもう木霊にできることは十夜の言っていたあの言葉――。
――排除すること。
「げほっげほ……」
しかし、木霊の覚悟は良い具合に裏切られた。
「ヨミ! しっかり」
木霊は起き上がった。
「わ、たしは……」
ヨミは両手でナオの手首をそっと握り、ゆっくりとか細い首から引き剥がしていった。
そして、
「ヨミ――」
懐かしい姉の声。
「お姉ちゃん!」
ナオがヨミを見つめていた。
「ヨミ、あたし……どうなったの?」
ヨミはナオの手を頬に当てながら、顔をぐしゃぐしゃにして泣き出した。
木霊は微笑んでいた。まさか、上手くいくとは思ってもいなかった。本当に思いつきだった。だけど、今はそんなことはどうだっていい。姉妹がこうして再会できたのだ。
「お姉ちゃんお姉ちゃん、うわーーん!」
ナオは優しくヨミの涙を指で拭い去った。
「何言ってるか、わかんないよ。ヨミ」ナオは微笑んでいた。「ごめんね。耳まで聞こえなくなっちゃったみたい。だけど、その様子だとヨミと……木霊たちが助けてくれたの、かな?」
ナオがヨミを見てから木霊に微笑む。ナオの顔は弱々しく非常にやつれていた。
泣いているヨミの前で木霊は精一杯、笑ってみせた。また澄ましているとか、言われるかもしれないけど。
「ふふ、木霊。笑ったんだね。笑うと可愛いじゃない。ね? ヨミ」
ヨミはうん、と頷いてナオの手を握ると、