八国ノ天
「この死体はさっきの男が言っていた、襲われた人間の一人のようね」
「じゃあ、今の子たちが屍人」
「恐らく」
「なぜ、私たちを襲わなかったんだろう?」
「誘っている?」
木霊が十夜と十真の会話に割り込むと、十夜は頷いて、
「きっと、何かあるに違いないわ。行きましょう」
ゆらめく炎に照らされ、道行く先々でいくつもの狂気じみた男の顔が木霊たちを見上げていた。地面は真っ赤な絵の具で描きなぐったかのように凄惨を極めていた。屍の近くに松明や武器などは見当たらない。恐らく、入り口からここまで連れ込まれたのだろう。時々、血と肉の匂いが塊となって鼻を突いてくる。
木霊はなるべく斜め上を見るようにした。
「これは、生贄となった雛巫女の怨念……本当に生き返って、黄泉の国から来たのでしょうか?」
「木霊、黄泉の国なんて存在しないし、死んだ人は生き返らないよ……決して」
十真が意味深に答える。
「じゃあ、あの雛巫女はいったい……?」
「それはわからないけど、そこに行けばわかるはず」
「いた――」
と、十真。少し進んだ所で十夜と十真は足を止めていた。
木霊も足を止め目を凝らしてみるが、明かりの向こうは闇が広がっているばかりだ。
十夜の白い翼がふぁさっと開いて閉じた。剣がなまめかしく輝いている。
更に進むと地面にごろっとしたものが、浮かび上がっていた。
近づくにつれ、それがはっきりしてくる。
「――っ!」
木霊は声を上げそうになった。
ナオと一緒にいたはずの白装束を着た雛巫女が、木霊の足元で倒れていた。
小袖と袴は腹部から流れ出る血の色で染まり、血溜まりを作っている。瞳孔が開いていた。
そして三人は立ち止まった。
明かりの中に、ヨミがいた。
ヨミは背中を向け、右手に天ノ羽衣を握り立っていた。顔を下に向け何かを見ていた。
ヨミが見ている先に合わせるように、木霊も双眸を地面に這わせる。
ナオだった。ナオもまた微動だにせず仰向けになっていた。木霊と同じように目を覆われた彼女は、息をしているのかさえわからない。
そして、ナオの両隣にあの雛巫女が並んでいた。彼女たちもまた、ナオを見下ろしている。
「ヨミ……」
恐る恐る木霊は呼んだ。
「私……、その子たちを……殺しました。許せなかったから……」
ヨミはゆっくり振り返った。その瞳は悲しみに満ち、声はうわずっていた。
「だけど、怒りが……おさまらないんです。抑えられない。この人たちが私に言うんです。殺せ、殺せと。みんなで私のことを騙して、私とお姉ちゃんを引き離そうとしていたんだと……」
木霊は、ナオを取り囲むようにして立っていた素足の雛巫女を見た。
「ヨミ。そんなことはない。ナオと一緒に帰りましょう」
「帰る? どこに帰るというのですか? 私は人を殺したんです。本当の罪人になったんですよ。もう帰る場所なんてどこにも無いんです。それにお姉ちゃんは、もう元に戻らない……」
「ナオは? ナオは生きてるの?」
「はい。この人たちがお姉ちゃんを助けてくれると、言ってくれました。そして、一緒に暮らそうって。また、一緒のお布団で眠れるよって。あとね……」
ヨミは俯いた。
いつの間にか、ヨミのそばに四人が集まっていた。錆びた鉈の刃に、血糊がべっとり付着している。
「何を……言いだすの? ヨミ……」
ヨミの言動に木霊は躊躇していた。
「十夜。この子、心を喰われてるよ」
十真が囁く。十夜は静かに剣を握りしめた。
そして、ヨミは顔を上げた。瞳は憎しみの色で染まり、眉間に力が集まっていた。
「あなたたちを生贄に捧げれば、お姉ちゃんと一緒に暮らせるって!」
長巻の切っ先が木霊の胸元へ襲いかかる。
「――っ! ヨミ!?」
火花が飛び散り、がきん、という鋼の叩く音が木霊の耳をつんざく。
その手に長巻は無く、ヨミは固まっていた。
「少し眠っていなさい」
ヨミの体が崩れ落ちる。
ヨミのそばに立っていたのは十夜だった。十夜が剣で上からヨミの武器を叩き落としたのだ。
同時に、十真が目の前に飛び出していく。
「木霊!」
十夜の声で木霊は我に返ると木霊はククリを十真に投げ、前に大きく踏み込んだ。十真はククリの柄を一旦掴み、そのままくるりと手のひらでまわし持ち直すと、鉈を振り上げている一人に飛びかかる。木霊は腰を落とした状態で長巻の柄を握り、片足を地面に投げ出す。そして体を横に回転させ螺旋状に宙へ舞い上がる。木霊の真正面から飛びかかってきた屍人の身体に斬撃が袈裟状に走る。木霊は血しぶきを浴びた。
木霊は呼吸を荒げ興奮していた。無我夢中だった。だが、冷静になるにつれ木霊の脳裏に罪の意識が芽生える――初めて人を斬ったという意識。天罪ノ面がその意識を拾い上げ、木霊に苦痛を与える。
三箇所から同時に、絶叫が暗い空間に響いていた。
木霊は歯を食いしばり痛みをこらえながら、今倒した相手の顔を覗き込んだ。眼球は無く、空洞だった。
「これが……屍人……あと一人」
木霊は顔を上げると、残りの一体が十夜と十真の前で立ち往生していた。
「っ!?」
木霊はすぐそばの気配に反応した。
彼女の足元で、今、斬ったはずの身体がぴくりと動いていた。
木霊はその場から跳び退き、間合いを取る。切っ先が少し震えていた。その間にも、斬り口から大量の液を垂れ流しながら相手は立ち上がっていた。
――また斬らないといけないのか?
「屍人とはよく言ったものね」
白装束は真っ赤に染まり、中には臓物が飛び出している者もいる。十夜は品定めするように、屍人を順番に睨めつけていた。
しかし、屍人はさきほどと同じように身体を翻すと、また闇の中へ消えていった。
三人はしばしの間、立ち去っていく様子を見守っていたが、十夜の一声で緊張が一気に解ける。
「あの屍人たち、視界から完全に消えたわ。去ったようね」
木霊は松明を拾いあげた。まだ手が震えている。初めて斬った感触。そして衣服に付いた血の匂い。
ナオの傍らでヨミが倒れている。
頭を横に振り、木霊はせかせかと言った。
「ヨミは大丈夫なのですか?」
「気を失っているだけだから大丈夫だと思うけど、問題は心の方ね。さっきの屍人に心を蝕まれていたようだし」
「これからどうするの? 十夜」
「当然、あの屍人を追うわよ。木霊はこの二人を助けるために来た。だけど私たちにはもう一つ、やるべき事があるでしょ」
「やるべき事?」
木霊は十夜の顔を見た。
「この私たちが立っている『遺跡』の調査」
「遺跡? ここは坑道の中では無いのですか?」
「木霊、あなたはよく見えていないかもしれないけど、地面を削ってごらんなさい」
木霊はしゃがみ、柄の先端にある石突を使って土を削り手で払う。すると、すぐに見覚えあるものが現れた。
「これは、遺跡でよく見る『鏡床』」
何を元に造られたかわからないが、旧時代に造られた、大理石のように磨かれた人工の床を総称して、この時代の人間は『鏡床』と呼んでいた。ヒムカに住んでいた頃、木霊はよく旧時代に関する書物に目を通していた。また、城の調査団に同行し遺跡を調べまわったりもしていたので、木霊はすぐに納得した。