八国ノ天
「人数は三人。歩幅と足の大きさ、深さからして、二人は男性の大人に抱きかかえられ連れ去られたようね。木霊の言ったことと一致するわ」
「すごい……足跡から、わかるのですか?」
「感心してる場合じゃないよ。木霊もこれくらい見極められるようにならないと、いけないんだから」
そう言って、十真は懐から小袋を取り出し、色のついた米粒を地面に撒いていた。
「行くわよ。木霊、十真」
十夜を先頭に、十真、木霊が急勾配の斜面を駆けていく。
登っていくほどに、道は狭くなりついには、一人がやっと通れるほどまでになっていた。前を見ても後ろを見ても下に露出した砂地を見なければ、それが道であるとは誰も気づかないだろう。
「飛んで上空から確認しようか?」
「十真、夜になるまで、それはまずいわ。相手に勘づかれてしまうかもしれない」
「そっか。ならこのまま、足跡を追うしかないね」
三人は立ち止まっていた。
そこは少し開けた場所だった。周りは木々に囲まれ、見上げれば茜色に染まった空が広がっていた。
しかし、道も足跡もここで止まっていた。
「恐らくここが、お店の主人が見失ったと言っていた場所のようね」
「ここだけ、まわりよりも木が多く茂っているよ……多分、ここに……あった」
十真は大小さまざまな草木が生い茂る根元を見て、にいっと笑っていた。
木霊には十真の笑った意味がわからなかった。
十真は自分の背丈ほどの木の根元を一本掴むと、それを持ち上げた。すると、十真の持ち上げた木は軽々と根っこから抜け落ちた。十真はそれをそのまま、別の場所へ投げ捨て地面を手でかき分ける。
木霊が覗き込むと、人が造ったものと思われる仕掛けが土の中で露出していた。
「これは? 旧時代の……」
「そう。たぶん、こいつを使って道を隠していたんだと思うよ。こういう仕掛けを知っている人って、ほとんどいないから隠れるには好都合だね。彼らは偶然、ここに来て、この仕掛けを知ったんだと思うよ」
「十真さんって、旧時代の人ではないですよね?」
「へ? うん、私も十夜も木霊と同じこの時代の人間だよ。こういうのはね、官兵衛や櫛に教わったんだ。私たちはこういった旧時代の仕掛けとか遺跡というのは、何度も経験しているんだよ」
木霊は頷いた。
十真は微笑むと緑色の釦を押した。
二人のすぐ傍で、すうっと茂みが避けるようにして道を開けていく。茂みの中に一本の道が現れた。
そして、十真は先ほどと同じ小袋を懐から取り出すと、色のついた米――五色米を撒いていた。
「行きましょう」
十夜が翼を折り畳むようにして、音を立てないように走っていく。それに二人が続く。
「この道は……山を降りている?」
「そのようね。降りる前に、官兵衛と櫛に場所を知らせましょう。十真」
「え? いいの?」
「ええ。もう、隠し道なんて無いでしょうし、勘づかれたとしても、まさか私たちがこの道を見つけたとは簡単に思わないはずよ」
十真は頷くと、矢筒から一本の矢を取り出し矢の先端に覆い被さっている紙を破り捨てた。すると、丸みを帯びた矢の先端が瞬く間に青白い炎を纏う。腰に提げた弓を手にすると、翼を広げ近くの大木へと跳び上がり、幹から伸びる太い枝に一旦、足を着けると更に跳んで大木の頂きへと登っていく。
最後に空へ飛び上がり、翼をバサっと広げ速やかに態勢を固定させる。
「届いて」
矢を放った。
宵の明星が輝く夕暮れの空に、橙色の閃光が突き抜けていく。
山を降りて茂みから道に飛び出すと、どこにでもある風景が広がっていた。
木霊たちの後ろは茂みだった。木霊たちが通って来た道は茂みで隠されていた。
眼前には荷馬車が通れるほどの広い道が伸び、田畑が広がっていた。ぽつりぽつりと、遠方に藁葺きの屋根が見える。
「かくれ里だ。本当にあったんだ」
「こんな事って……じゃあ、ここがナオとヨミの村……」
「行くわよ」
三人は道なりに走った。木霊は袋から長巻を取り出していた。
左手に川が見える。川岸は赤い彼岸花で埋め尽くされていた。右手には田畑が山の麓まで続いている。
「人の姿はないね」目だけ動かしながら十真は言った。
道なりにしばらく進んでいくと、立て札が見えてきた。
「朧村……」
立て札の前で木霊が呟く。
「店で見た雛人形も朧と言っていたわ。この村の名前から取ったものだとしたら、間違いなくここは隠れ里」
と、十夜。
「ナオとヨミはここにいる……」
三人は更に村の奥へと進んだ。すると赤く染まった橋が遠くに映る。
その姿は不気味だった。橋の上で何かが動いているようにも見える。
そして橋の前まで来たとき――、
三人は目を奪われてしまっていた。いや、目だけではない。耳もだ。
橋の向こう側には竹林が山全体を覆うように広がっていた。その前には樹齢一〇〇〇年以上の巨木と比べても引けを取らないほど、大きな朱塗りの鳥居が正面に立ちはだかっている。その鳥居の下から石段が竹林に吸い込まれるように、永遠と続いていた。
竹林には子供と同じくらい大きな短冊が、石段に沿って無数に吊り下げられていた。
橋の欄干には数えきれないほどの赤い風車が、音を立てながら勢いよくまわっている。
川岸は、赤い彼岸花で埋め尽くされていた。
十夜と十真に続いて、木霊が橋を渡ろうと一歩踏み出したその時、上流の方からぷかぷかと白い塊が流れてくるのが見えた。
「あれは……?」
木霊が指し示す方向に、十夜と十真も双眸を向ける。
白い塊は川を埋めるようにして、木霊が立っている橋へゆっくりと、近づいていた。
近づくにつれ塊はほどけ、一つ一つの形がはっきりと見えてくる。
無数の小さな雛人形だった。
川面にゆらゆらと浮いている立姿の雛人形は、どれも白い装束に身を包んでいた。奇妙なことにその人形たちには、それぞれ一本の赤い紐が結び付けられている。ある者は手首に。そしてある者は足首に。更に注意深く見ると、その中に、赤い装束をまとった人形も見受けられる。白い雛人形から伸びた赤い紐はすべてその赤い人形の四肢と繋がっていた。
十夜が欄干に手を置いて、覗き込む。木霊も隣に並び、赤い雛人形に視線を縫いつけた。
「この雛人形と赤い紐……あの店の主人が言っていた姿にそっくりね」
「あの赤い人形は雛巫女……雛おくり。――もしかして、この先で儀式が行なわれようとしている?」
木霊は欄干から手を離すと朱塗りの鳥居へと颯爽と走り、そのまま石段を何段も飛び越え駆け上がった。十夜と十真も続く。
石段を登り切ったところで、木霊は足を踏ん張って立ち止まり、周りをぐるっと見渡した。竹林。空まで伸びた竹が風にあおられながら、木霊を見下ろしていた。空が紅い。
前を見れば、足元から石畳の床が真っ直ぐ伸び、その先は闇だった。
木霊は湿った左手を腰のあたりで拭くと、右側の竹林の中へ入った。腰を屈め足元を確かめながら、土を踏んでいく。
十夜と十真も左側の竹林の中を突き進んでいた。
前方に、瓦葺きの屋根が見えてくる。木霊は一旦、足を止め更に姿勢を低くし、そっと近づいて行った。
二人はすぐに見つかった。
(ナオ! ヨミ!)
そこは、神社の境内だった。