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八国ノ天

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「あ! 櫛姉さん。お久しぶりです! お水いただきます!」
 答えると同時に、法被を着た少女は水筒を受け取ると、水筒の底を真上に上げ、喰らいつくようにごくごくと飲み始める。腰に手を当てていた。
「す、ごい……」
 木霊は思わず、息を呑んだ。
「ぷはあっ。うまい! ありがとうございました!」
 彩加は腕で口をぬぐい、空になった水筒を櫛に返しぺこりと挨拶する。
「彩加ちゃん、元気だね。転んだところ大丈夫?」
「あ! 十真。会いたかったよー!」と言って、喜び勇んで荷馬車に乗っかり十真に飛びつく。
 しかし――、
「あ、こら!」
 飛びついた先は十真でなく、背中の翼だった。彩加は白い羽を手に取り頬を摺り寄せていた。
「うーん、気持ちいい。手入れ大変だよね。今度、一緒にお風呂入ろうよ! あたしが洗ってあげるよ」
「いや、遠慮しとくよ」
 すがるように、十真は視線を十夜に送っていた。十夜は翼をぱたぱたとさせている。
「彩加。十真はいつでも大歓迎って顔をしているわ。良かったわね」
「あ! やっぱりい。うんうん、そうじゃろそうじゃろう」
「ところで彩加。転んだところ、本当に大丈夫なの?」
 十夜が確認する。
「え? 大丈夫だよ! ほらぁ、って――その大量の包帯と、その頑丈そうな枝は何?」
「治してあげるのよ。遠慮しないで」
 と言って、十夜は翼を広げ荷馬車に飛び乗ると、棍棒のような太い木の枝を真上から彩加の右肢めがけ振り下ろす。
 彩加はサっと跳び退くと、額から冷や汗を垂らしながら、
「十夜ってば、脚は大丈夫だよ。それに治してないよ。逆に悪くさせてるよ? それは」
「仕方ないじゃない。これだけの包帯を用意したんですもの。まずは、それに見合うくらいの怪我をしてもらわないと」
「ひぃっ――」
 彩加は荷馬車から飛び降り、風を切って官兵衛の背後に隠れる。
「親方さま、十夜が前よりも更に怖くなってますよ」
「お前が十真を茶化すからだ。それに挨拶はもういいか?」
「あ、はい! 皆様、元気そうでお会いできて嬉しかったです!」
「よし、ならいいか? 彩加にもう一人、紹介したいのが、いるのだが」
「さ、木霊――」
 木霊の肩に手をのせた櫛が前へ促す。
 木霊は自分より少しだけ背の高い少女の前に立つと、頭巾に手を掛け、
「柊木霊です」
 金色の髪がふぁさっと腰まで落ち、褐色の顎が顕になる。
 木霊の顔に目は無かった。
 代わりに天という文字が描かれた仮面――天罪ノ面が、彩加の前にあった。
 さすがの彩加もこれには驚いた様子で、
「彩加……で、す」
 そのまま瞼を閉じることなく、双眸をぐりっと官兵衛の方へ向け、
「あ、の……親方様、これは一体……」
 官兵衛が木霊について、ざっと経緯を説明する。
 最初は、少し怯えていた彩加も官兵衛の説明を受け、納得した様子だった。
「そうだったんですね。わかりました! これからどうぞ、よろしくお願いします! 木霊ちゃん!」
「あ、はい。よろしくお願いします。彩加さん」
 しかし、彩加は少し戸惑っているようだった。仮面ではない。
 木霊の表情から何も汲み取れなかったからだ。
 彩加のその反応に関しては、木霊自身、十分承知している。
 嬉しいけど、抑えなければ――。
「あの、それで彩加さんは何を――?」
「あ! そうでした! あたしが何者かまだ言ってませんでしたね。あたしは親方さまのお社――『地の社』を守る『守り人』の一人で、あたしの担当は、旅に必要な路銀の調達や文とか情報の伝達です!」
「伝達ですか、一人で大丈夫なのですか?」
「あはは、なるほど。もちろん、一人ではないですよ。他にも四人いますよ。その辺にいるはずです。ただ、みんなで行動していると目立つので、こうしてあたしだけが表立って動いているわけです!」
「威張って言うことじゃないわね」
 十夜の言葉に、木霊は困ったように苦笑を浮かべた。
「そう言えば、官兵衛さんの社ってどこにあるのですか?」
「木霊はカムイのそういった細かい事は、まだ知らなかったな」
 官兵衛はふむ、と頷いてから、
「地の社は出雲伯耆という国にある。ここからそう遠くはないな。機会があれば行くこともあるだろうが、今は西都へ向かうのが先だろうな」
 木霊は頷いた。官兵衛は彩加を見て文の束を取り出す。
「さて、じゃあ挨拶も済んだことだし、いいか?」
「あ、はい。親方さま!」
「この文を頼む。そしてこれもだ」
「わかりました。あたしからは、こちらになります」
 彩加も文の束と路銀の入った袋を官兵衛に手渡す。為替手形というものも昔からあったが、各地で争いが絶えない今のご時世では、ほとんど意味を成していなかった。
「あと、最も大事なこちらですね。過去数百年に渡って、この地方にまつわる伝説や伝承をまとめたものです」
 紐で綴じられた冊子を受け取ると、その場で目を通し始める。
「多いな。だが、これから俺たちが向かう狐狸の里に関するものは、ほとんど無いようだが?」
「残念ながら、目ぼしい物は無いようですよ。一〇〇年前に罪人が追い出されてからは何事もなく、平穏な町ですね。そう言えば、数日後に『雛おくり』があるみたいですよ」
「雛おくり?」
「雛おくりというのはね。雛人形のお祭りだよ。木霊ちゃん」
「彩加。そんなんじゃ、わからないぞ。いいか木霊。木霊の住んでいたヒムカには、流し雛はあったか?」
 木霊は「見たこともありません」と、首を横に振った。
 官兵衛は流し雛について説明し、
「まあ、その流し雛と同じように、立ち姿の雛人形を川に流すんだ。雛人形の名産地である狐狸の里ならではの行事だな」
 木霊が本当に訊きたかったのは、それでは無かった。
 そもそも、なぜそのような伝説や伝承を調べているのだろうか。彩加は大事なことと言っていた。
「あ、あともう一つ。雛人形の『朧』は必見ですよ! すごい繊細な作りで思わず欲しくなってしまいますよ。機会あったら見てください! それでは親方さま。皆様方! ごきげんよう! 失礼します!」
 彩加は来た道とは逆、つまり、木霊たちが歩いてきた道に向かって走り去って行った。
 皆、しばしの間、呆然と見つめていた。秋の草原に、季節外れの台風が通り過ぎたようだった。
「彩加さん、凄かったですね。ああいう人もいるんですね。元気をたくさん貰ったというか――」
「あそこまで元気だと、こっちが疲れちゃうけどね」
 十真はぐったりとした様子だった。

 田霧島での、あの出来事から二ヶ月が経とうとしていた。
 木霊たち一行はこの二ヶ月もの間、木沙羅とキアラの捜索と木霊のカムイとしての鍛錬も兼ねて各地を旅していた。
 今回の目的地の一つ、ここ狐狸の里は内陸部にあり水や豊かな土壌にも恵まれ、景勝地としても知られる場所であった。
 商業も栄え、旧時代から伝わる柚餅子や五万石漬を取り扱っている老舗も軒を連ねていた。
 また、この地は雛人形の産地でもあり、ここで作られた雛人形は、西都地方やここ長州五国地方、八国地方など各地に行き渡っていた。
 木霊たち一行が狐狸の里に到着したのは、夕陽が山肌に沈んでいく前だった。
作品名:八国ノ天 作家名:櫛名 剛