八国ノ天
「十夜と十真が気になる?」
「……はい。罪人の仮面をつけて、こんなにも変わってしまった私を見て、嫌われるんじゃないかって……何て声をかければ良いのか……」
櫛は官兵衛と顔を見合わせて言った。
「二人のことなら心配しなくても大丈夫。嫌う理由なんてどこにも無いわ。それより元気な姿を見せないと、ね?」
「櫛の言うとおりだぞ! 誰が何と言おうと、俺たちにとって佳世は家族のようなもんだ。それに姿が変わっても佳世は佳世だ。これだけは、どうやっても変わるもんじゃない」
「……うん……そう、ですね」
「おお、そうだとも」
「ありがとうございます。少しだけ気持ちが楽になりました」
櫛は黙って佳世を見た。その目に憐れみや同情といったものは無かった。
「佳世……あの二人に言葉はいらないわ……」櫛は呟くように言った。
佳世には櫛の言った意味がわからなかった。
船着き場に着くと、十夜と十真が出迎えた。
「櫛! 官兵衛! 佳世も無事だったようね」
十夜が笑顔で手を振る。
佳世は頭を伏せ、二人からなるべく見えないように官兵衛と櫛の後ろに隠れた。
「ええ。十夜と十真は大丈夫だった?」
「こっちは誰も襲ってこなかったし、退屈だったよ」
そして――、
「おかえり、佳世……」
十真は佳世のそばまで近づくと、自分の胸に佳世を抱き寄せた。
「おかえり」
十夜も少しかがむようにして、佳世を抱きしめる。
佳世は少し困惑していた。こんなにも変わってしまった自分を見て――しかも罪人の証である仮面を目にすれば、誰だって敬遠するはずだった。
なのに――、
「十真さん、十夜さん……どうして?」
更に強く抱きしめられた。それが二人の返事だった。
佳世はゆっくりと目を閉じた。
佳世は木沙羅と泣き明かした、あの晩を思い出していた。あの時も言葉は必要なかった。
(櫛さんの言ったこと、わかった気がする……)
佳世は両腕を二人の体にまわすと、服をぎゅっと握り締めた。
次の日の夜。
一行は田霧島を離れ、山道から少し離れた所で休んでいた。
彼らが進んできた山道は人の往来も多く、佳世たち以外にも野宿のために夕飯の支度をしていたり、馬を休めている旅行者や行商人の姿がちらほらとあった。
官兵衛と櫛は、佳世の身に何があったのかを二人にはまだ話していなかった。
十夜と十真もその事に関しては触れないでいた。佳世を見ていればそれは十分、理解できたから。
食事の後、話を切り出したのは意外にも佳世だった。
佳世は天罪ノ面を自らつけた理由と心の内を語った。
木沙羅の心の内を知りたい卑怯な自分がいる。知らないまま一生を過ごす事を恐れる臆病な自分がいる。しかし、そうまでしても木沙羅の望みを叶え、昔のように木沙羅とまた一緒になりたい自分がいる、と。
焚火の燃える音と虫の鳴き声が、夜空に響いては消えていた。
時折、夜風が佳世の髪を撫でるように吹き抜けていく。
「私、最近、同じ夢を見るんです。毎夜……。その夢の中で私は名前を呼ばれるんです」
佳世はゆらめく炎を見つめた。官兵衛を除いて他の者も炎を見つめた。官兵衛だけが佳世を見ていた。
佳世は言った。
「本当の名前で……」
皆が佳世を見た。薪の割れる音――。
「私の本当の名前は木霊、……柊 木霊」
金色の髪がなびく。
佳世は木沙羅に打ち明けた時と同じように、九年前の出来事を話した。ただ一つ、木沙羅に話した時と異なる内容があった。
「私は生きるために、美郷紫 佳世という名を名乗りました。なぜそうしたかというと、当時の私は本当の名がばれたら、自分も殺されると考えていました。それに今にして思えば、辛い過去を忘れて生まれ変わりたいという願いもあったのかもしれません。だから、私は名前と一緒に自分自身を偽って生きる事を選択した……でも結局、佳世では木沙羅さまを救えなかった。そして、こんな姿になってしまった。私は生まれ変わったのでなく偽っただけだった……私、思うんです。この、今の姿が佳世の真実の姿なんだって」
皆、黙って聞いていた。しばしの沈黙のあと、佳世が再び口を開く。
「天罪ノ面が外れた時、私は本当の木沙羅さまに会えると信じています。その時は私も佳世ではなく本当の自分……木霊として会いたい。だから……」
佳世は顔を上げた。
「今度こそ、私は生まれ変わりたい……柊 木霊として。そして、……」
カムイ天として。
7
火はほとんど消えていた。佳世は櫛の隣で寝ていた。
崖の方から夜風にのって笛の音が聞こえてくる。
櫛は手を伸ばし佳世の頭を撫でながら言った。
「今夜で佳世とはお別れね。朝、目が覚めたらあなたは木霊……」
「うん……」
佳世は小声で小さく頷いた。
「明日、あなたに渡したいものがあるわ」そう言って、櫛は目を閉じた。
十夜と十真。二人が掛け合いながら奏でる笛の音は木沙羅と佳世、あるいは佳世と木霊を表しているようだった。
「櫛さん……」
佳世が何か言おうとする前に、櫛は自分の胸に佳世を抱き寄せた。
佳世は泣いていた。
そんな彼女を櫛はずっと、彼女が泣き疲れて眠りにつくまで、優しく彼女の頭を撫でていた。
官兵衛は皆が眠るまでずっと、星空を見上げていた。
翌朝、佳世が櫛から渡されたものは柄の末端に緒の付いた長巻――田霧島で櫛が使った武器だった。その名前を天ノ羽衣と言った。
櫛は言った。カムイとして、あなたにも武器が必要になる。そして、これからは修行しながらの辛い旅になる、と。
佳世にはもう一つ手渡されたものがあった。それは黒い厚手の生地で作られた外套だった。この時代の人々にとって天罪ノ面とは、すなわち罪人がつける面。罪人に対する世間の風当たりは厳しいから、人前ではなるべく顔を見られないように、という櫛の配慮だった。
佳世は外套をまとい、後ろに手をまわし背中に付いていた頭巾を頭から被る。
木霊の顔の上半分は完全に隠れ、唇と褐色の細い顎だけが見えていた。
天ノ羽衣を手に取ると、思いを込めるようにぎゅっと握りしめる。
旅がまた始まる。
皆が歩き始める中、官兵衛は後ろを振り向いた。
「行くぞ、木霊」