八国ノ天
「あぁ……」視界がまた閉ざされて行く。
「佳世! 今は落ち着くことに集中して!」
櫛はまるで佳世の心境がわかっているかのようだった。震える佳世に駆け寄り、手を握り締めた。佳世の手は指先まで冷たく弱々しかった。
佳世は櫛の手の温もりに救われる思いだった。暖かな光に感じられた。視界が元に戻って行く。
櫛は佳世を自分の方に向かせ強く抱き締めると、バドと麗を見た。
バドと麗は言った。
「久しぶりだな、櫛。一〇〇〇年ぶりとはいえ、よっぽどわしらは運がいいとみえる。なあ麗よ」
「そうね。仲間なのに顔を見せないなんて、寂しかったわ」
「バド。麗まで……。なぜあなたが、ここにいるの?」
「それはあなたが一番、わかっているでしょう?」
「櫛、さん……」佳世が弱った声で言った。「櫛さんは、あの人たちと同じ制裁者なのですか?」
「それは……」
「そうだと言ったらどうかしら? 裏切り者の制裁者さん」
(裏切り者?)
「その女、櫛はな。一〇〇〇年前、わしらを裏切り逃げた。ぬしと同じ仮面をつけてな」
「この、仮面を?」
櫛は佳世を見た。「彼の言うとおりね。私は制裁者だった。制裁者の実体は月の都、アトゥイに住むカムイを中心とした組織……国家と言ってもいいわね」
「え? 月って?」
「昔、人間は月にも住んでいたのよ。今も制裁者の統治のもと、アトゥイは三五〇〇年間、変わらず国家として存続している」
佳世にはとうてい信じられない話だった。そんなことが本当にあるのだろうか? いったい三五〇〇年前というのは、どのような世界だったのか。それより気になったのは櫛が制裁者だったこと。櫛は話しを続ける。
「一〇〇〇年前を境に私は月を去り、地上に降りた。そこで私は官兵衛に会った。それから彼とは腐れ縁ね」そう言うと、櫛は少しだけ微笑んで見せた。
「櫛、あなたはどこに逃げても無駄なのが、わかっているのかしら? 天罪ノ面は外れたようでも、私はあなたを許さないわ」
「私も許されようとは思っていない。だからと言って、佳世を巻き込む必要はなかった。ましてや、この仮面をつける必要はなかったはず」長巻の刀身を制裁者に向ける。
バドは笑い飛ばした。
「何がおかしいのです?」
「天罪ノ面をつけたのは佳世本人だ。王女を救いたい一心でな。なんとも美談ではないか。わしは仮面を差しだしたにすぎん。その子は真っすぐな心を持っておったぞ。その呪われた仮面を自分で身につけ、心が壊れて行くさま、ぬしにも見せたかった」バドは満悦の笑みを浮かべた。
「櫛……」バドは名前を呼ぶと口元を歪め、腹の底からえぐり出すように言った。「まるで昔のぬしにそっくりではないか」
長巻の刀身が青白く光り出す。佳世がまばたきをした時にはもう、目の前に櫛の姿はなかった。
鋼のぶつかり合う音が鳴り響く。
佳世は青白い光の筋を目で追った。
麗の短刀が櫛の刃を受け止めていた。
「あなたの相手は私ですよ」麗の足が高く舞い上がり、櫛を襲う。
櫛は体を回転させながら、麗から離れる。
「どきなさい、麗。あなたの相手は後からしてあげるわ」
「見くびらないで欲しいわね。それとも、この私の体に傷をつけるのが怖い?」
佳世は耳を疑った。しかし、麗は自分の胸に手を当ててもう一度、言う。
「このあなたの体を――」
「それはあなたも同じことでしょう?」
(櫛さんまで、何を言いだすの?)
「私が? なぜ? 私は望み通りあなたの体を手に入れた。それに――」
麗は櫛の懐に素早く入り込むと、下手から短刀を振り上げた。櫛は半歩下がり麗の刃を受け止める。
麗はお互いの唇が重なるくらい、そのままぐいっと顔を近づけ、甘えた声で囁く。
「もうこの体は元に戻せないのよ」
「くっ!」櫛が相手を押し退けようとする前に、麗は後方へ跳び退いた。
「ふふっ、惨めね」
「私のことは何とでも言えばいい。でも、佳世に対するこの仕打ちだけは絶対に許さない」
櫛の長巻が青白い線を幾重にも描き、麗に襲いかかる。斬撃が鳴り響く。
「麗、そろそろ他のやつらが来るやもしれん。早く終わらせろ。わしはターミナルを起動する」そう言って、バドは少し後ろへ下がった。
床下から高さ一メートルほどの台座が現れる。バドは台座のそばに立ち何やら手を動かし始める。
「ふむ、動くようだな」
バドは男たちを見て、「ぬしたちは、その女を押さえていろ」
佳世は抵抗するも二人の男に羽交い絞めにされ、身動きできなかった。
「佳世!」
「よそ見するな!」麗が櫛の懐に入り込み、拳を脇腹に打ち込む。
櫛は脇腹を押さえつつよろめきながらも、素早く間合いを取る。
「くっくっ、『プロジェクトKAMUI』の遺産が、まさか我らに使われるとは皮肉なものだな」バドは光明ノ書を台座の上に置いた。
「バド! 何をする気!?」
「決まっておろう。ぬしはここが島と思っていたのか? ここは度重なる戦乱を生き残った、数少ない巨大武器庫の一つ。ここにある武器が、地上の人間どもに使われる事があっては我らの脅威となる。そうなる前に、月に持ち帰るのよ」
《エスエル・ゼロ・ゼロ・ゴ・ブイエス起動確認》
初めて聞く声に、まわりの男たちは動揺し、あたりを見まわした。
「ぬしたち、あわてるな。すぐに終わる」そう言うとバドは台座から離れた。「こっちは終わった。麗、加勢してやろう」
櫛の目の前に、短刀を持った麗とバドが立ち塞がった。バドは素手だった。
「よもや我らにここまで逆らうとは。ぬしには罰を与えようぞ」バドは指先を伸ばしてから、ぐっと拳を固めた。
「あなたたちから罰を受けるいわれはないわ」
櫛がバドに斬りかかる。バドが避けると同時に麗が横から櫛を襲った。
《エイチティ・イチ・ゼロ・ニ・サン・エイエスとの接続確認中……》
避けきれず麗の攻撃を受け止めたその時――、
バドは足払いで櫛の両脚を宙に浮かせ、櫛の上半身を押し倒す。櫛はその場で回転するように床に倒れた。
「櫛さん!」佳世は身悶えた。
《認証完了……全体数量確認中……各フロア武器リスト確認中……ウォーチーフ稼働状況確認中……》
バドは間髪入れず、倒れた櫛の体をおこす。左手で櫛の首を力強く締めつけ、もう片方の手で頭を掴む。
「あくまでも、ぬしは能力を使わないのか? 使えばわしら全員、たちどころに殺せるものを」
櫛は何も答えず睨みつけた。
「そうか、ならば狂って死ぬがよい」
バドが右手に力を入れると、櫛は目を見開いて苦しみの声を上げる。
「いい声だ。もっと、狂うがよい」
「櫛さん! はなして!」佳世は抵抗するも男たちに押さえつけられる。
《各フロア武器リスト異常なし……各フロア、ロック解除します》
「ふむ、使えるようになったか。ウォーチーフ――鉄蜘蛛まであるとはな。麗、兵に鉄蜘蛛と武器を回収させろ」櫛を押さえ付けながらバドは言った。
佳世は悔しかった。その悔しさが佳世の頭から不安と恐怖を打ち消していく。
(櫛さんは私を助けるために戦っている……それなのに、ただ見ている事しかできないなんて……)
佳世の目に櫛の苦しんでいる姿が映っていた。それはさっきの自分と同じ……ではなかった。