八国ノ天
第一章 月と太陽
1
いくつもの時代を過ぎて――。
〜明道の時代〜
ヒムカの国。
大広間と正風殿を結ぶ二階の渡り廊下の屋根の上で、二羽の小鳥が青い翼を広げ新緑の香りを楽しんでいる。
渡り廊下は屋外にあり、屋根を覆い尽くすほど大きな桜の木が鮮やかな花びらを、ゆらゆらと舞い散らせていた。
その優美さとは裏腹に今、小鳥たちの下では途切れることなく、豪勢に盛られた料理や酒を急ぎ足で運ぶ人の姿があった。
(はやく終わらないかなぁ)
「本日は晴天にも恵まれ、実にめでたい日になりましたな」
(めでたくないっ!)
「これで貴国との絆も深まり安泰ですな」
(なんで、このおじさんおばさんたちは、飽きずに同じことをしゃべっていられるのかしら? 大人ってつまんないわね)
米松の白い床から漂う上品な木の香りが爽やかな風にのって、大広間で執り行われている宴を静かに演出していた。
ブナの木で作られた大きなテーブルの上には色鮮やかな料理が、所せましと並べられている。
大人たちは談笑を交えつつ、美味しそうに舌鼓を打っていたが、少女が食べられそうなものはそれほど多くはない。
特別な日とはいえ、その事も少女の機嫌を損ねさせる原因となっていた。
今年一二歳を迎えるヒムカ国の王女、木沙羅は大小たくさんの宝石をちりばめた礼装に身をつつみ、豪勢なテーブルの下で手をぶらぶらさせていた。
結婚式のまっ最中である。
隣に目をやると、少し年上の男の子が緊張した面持ちで座っている。
(たしか、名前をイナメと言ったっけ。漢字で書くと稲に馬だったよね? 私より四つ上だから、佳世よりも二つ年上かぁ。これが終わったら、狗奴の国に行かないといけないんだよね。楽しいのかなぁ? う〜ん、行きたくないな……)心の中でため息を一つ。
じっと見られていたのに気付いたのか稲馬が、ぎこちなくこちらを振り向く。
「はは、大丈夫……ですか?」
――不安だ。
そう思いながらも木沙羅は、口元を固くし微笑んでから、稲馬からすぐに目を離し正面を見た。
木沙羅は佳世を探した。佳世は木沙羅に長年仕えている侍女で、木沙羅にとっては姉のような存在だ。
カッと目を見開いて動かし、
「いない……」
今度は細めてみて、
「どこだぁ〜」
きょろきょろと壁伝いに視線を漂わせる。しかし、その視界は突然あらわれた影に遮られてしまった。
(あれ……?)
「木沙羅さま、本日はおめでとうございます」
見上げると一人の口髭を生やした男が、にこやかな顔をしながら丁寧におじぎしていた。
「私は綾羅木国の西蔵と申します。お父上とは公私ともに親しくさせて頂いておる者です。本日は我が王、蒙徳になり代わりまして、綾羅木国を代表して馳せ参じました」
木沙羅は顔を赤らめながら、姿勢を正すと、
「そうだったのですね。それは遠路はるばるご苦労さまでした。でも、あなたがあの西蔵さまだったのですね。父からよくお話をうかがっております。西蔵さまはお酒を飲むと変なしゃべり方をするって――」木沙羅はいたずらっぽく微笑んだ。
「えっ! 月森(げっしん)さまはそのようなことを? いや、これは実にお恥ずかしい……」
「ふふっ、でも、西蔵さまのような立派な方は、なかなか、いないとも仰っていました」
「木沙羅さまはお話が上手ですな。何か困ったことなどあれば、私めにご相談ください。きっと、お役に立ってみせますぞ」
しばらくして西蔵がその場を離れると、木沙羅は近くにあった甘い果実で喉を潤し、さきほどの続きを再開した。
今度は誰にも邪魔されずに見つけることができた。藍色の服に、腰のあたりまで伸びた黒髪の少女が、狗奴国のおじさんおばさんたちと話している。
(いた!)
木沙羅はキョロキョロと目だけを動かして確認すると、
(お〜い)
ちょっとだけ手を上げて、すぐに降ろす……気付いた様子はない。
(きづけ〜)
今度は少し手を振ってみる。
佳世は木沙羅の様子に気付くと、周りに分からないように首を少し傾げ微笑みながら手を振ってきた。
すると、佳世の隣にいた大婆のおうなが、佳世の手をはたく。
おうなの目を盗むようにして、木沙羅と佳世はちらっと、互いにくすりと笑いながら目配せする。
(はやく、そっちに行きたい!)
同じ頃――。
宴の会場から離れた薄暗い謁見の間に、ヒムカ国と狗奴国の重臣たちが集まっていた。
「さて……」
壁際や中央のテーブルに置かれた蝋燭の炎がゆらめく中、狗奴国の王、ヒルコが重臣たちを目の前にして口を開く。
「皆も承知の通り、伊都国をはじめとする周辺諸国の脅威から身を守るため、我々は雛の国へ侵攻し、月の社と光明ノ書を手に入れなければならない。問題の鍵だが四つのうち二つが雛の国にあるのは、諸侯も知っての通りだろう」
「しかし、残り二つはどこにあるというのです? 鍵は長年の争いで行方が、わからなくなったものがいくつもあると聞きます」
「ここにある」
狗奴国の重臣の問いに月森はそう答えながら、黒い棒状の形をしたものを懐から取り出すと、その場にいる者たちによく見えるようにテーブルの上に、それを置く。
鉄とも鉱石ともいえないそれは、まるで蛍のように、ほのかな玉虫色の光を全身から発していた。それが今の時代の技術で作りだせるような代物でないことは誰の目から見てもあきらかだった。
「そして、ここにもう一つ」
ヒルコがもう一つの鍵をテーブルに並べる。
「なんと! 鍵が四つ揃うことになるのか!」
テーブルを囲っていた全員が一点から目を外すことなく、驚きを声にしていた。
「ついに、誰も成しえなかった偉業をわれわれがやり遂げるのだ! この戦に勝利すれば両国に、より一層の繁栄が約束されるだろう!」
月森が力強くそう言い終えると、謁見の間は二人の王を前に志気盛んに腕を振り上げた。
その夜――。
月森と木沙羅は中庭にいた。ここ数日の忙しさを癒すかのように夜風が気持ち良い。
「明日、狗奴の王と王子は帰られる。姫は一〇日後、出発しなければならんな」
「はい、とうさま。とうさまは明日、出陣されるのですよね」
そう言うと、木沙羅は掛襟に手を通しそこから小さな袋を取り出す。そして大事そうに両手で握り締めると、隣に並んで立っていた月森の方へ体を向けた。
「これは、佳世と一緒に少しずつ集めた桜石が入ったお守りです」
そのお守りはこの地方では、よく作られるものであった。
月森は木沙羅から手作りのお守りを受け取ると、大きな手で優しく木沙羅の頭を撫でた。
「母が死んで一〇年経ったが、姫は母に似て美しくなった……では、父からはこれを姫にあげよう」
月森は懐から縦長の袋を取りだし、木沙羅の手の上に置いた。
「姫がこれから行く狗奴国には、太陽の社があるのは知っておるな?」
「はい」
「これはその太陽の社に関わるものだがよいか、これを肌身離さず持っていなさい。中身を決して人には見せてはいけない。特に狗奴の王と王子には絶対にだ」
「え? それほどまでに大事なものでしたら、とうさまがお持ちになられた方が……」と、言いかけて言葉を止めた。