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八国ノ天

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序章



 西暦二三××年
 M県N市、某研究所。通称「月の社」。

「私がこれからすることは、歴史を裏切ることになるかもしれない」
 黒い棺のようなカプセルの前で、土埃にまみれた男は言った。
 千曲キアラはカプセルの中で仰向けになりながら、その男の言葉を待った。
 千曲キアラの首から上は外が見え、目の前に立っていた男の背後で白衣姿の者、将校やアサルトライフルを肩に下げた兵士が広い室内の中を慌ただしく動き回っている。
 誰も彼もが土埃にまみれていた。時々、地響きを伴って室内全体が揺れ動くのが全身に伝わってくる。
「キアラ、時間が無いから簡単に説明する」男が険しい表情で話を続ける。「お前は私の代わりに『月のカムイ』となり、これから一〇〇年間、眠ることになる。その間、お前の脳にはカムイの事を始め、あらゆる知識や経験が埋め込まれていく。そして、体には『変異細胞』が埋め込まれる」
(月のカムイ? カムイって? 変異細胞は知っている。しかし、それは――)
 キアラは目の前に立っている男――父、千曲博隆を見た。
「大丈夫だキアラ。カムイの変異細胞は特別だ。人工種に改造するためのものではない」
 キアラは頷いた。
「そして、カプセルに入る前に見せたデバイス『光明ノ書』と四つの制御キーは、カムイの命と言える。平たく言えば、眠っている間、お前の心と体は、光明ノ書に保存される」
(保存? どういうことだ?)
「光明ノ書には、もう一つ重要な役割がある。書には地球上のあらゆる情報が保存されている。文明の英知すべてと言ってもいいだろう。スバールバル全地球種子庫は知っているか? およそ三〇〇年前、世界の終末に備えることを目的に作られたものだ。その中には世界中から集められた種子三〇〇万種が貯蔵されている。いわば種子版ノアの箱舟だ。書はデータ版ノアの箱舟と言える。すなわち、地球規模で壊滅的な状態になったとしても、この書があれば文明を取り戻すことができる」
「千曲さん、急げ! もう間もなくヤツらがくるぞ! この場所を知られるわけにはいかん」
 千曲博隆は白衣の男に向かって、わかったと返事すると、
「いいか、キアラ。一〇〇年後、天と地のカムイが迎えに来る。目覚めたら一緒に太陽の社へ行きなさい。そこに、愛耶愛(あやめ)がいるはずだ」
(太陽の社? ここと同じような場所なのか。すると、母さんは愛耶愛を太陽の社に連れて行ったんだな)
 月の社と呼ばれるこの研究所もそうだが、何もかもが初めて見聞きするものばかりだった。キアラは科学者である両親が具体的にどこで何をしていたのかさえ、つい先程まで知らなかった。
 兵と一緒に連れて来られた時、千曲博隆が最初に言った言葉を思い出す。
 ――プロジェクトKAMUI。
 話によれば、プロジェクトKAMUIとは国家機密に相当するものらしい。だから太陽の社と聞いたところで、当然、高校生であるキアラがその場所なんて知る由もない。
(場所は、天と地のカムイに聞けということか……)
「システム起動するぞ!」さきほどの白衣の男の声。博隆は振り返らず、腕を上げ人差し指を二回振る。
《HT―1023―ASは、プロセスを開始します》
 部屋全体に女性の声が響き渡ると同時に、カプセル内にかすかな音が聞こえてくる。
 キアラは激しい眠気に襲われた。体温が冷えていくのがわかる。視界がぼやけだす。
「この一八年間、愛耶愛とキアラ、一緒に過ごせて父さんも母さんも幸せだった。一〇〇年後、お前たちが平和に暮らせる世の中になっていることを願っている。この国を……未来を頼んだぞ」
 最後の別れ――博隆の声が遠のいていく。警報とシステムの声が頭の中で鳴り響いている。カプセルに液体が注入されていく。
「全員、早く退避しろ! 封鎖するぞ!」強い地響きの中、声が飛び交う。
 博隆がカプセルに拳をあてると、キアラもゆっくりと拳をあげ、博隆の拳に重ねた。博隆の目を見た――父は微笑んでいた。
 キアラも微笑み返すと、そのまま目を閉じていった。

 ――一〇〇年後……愛耶愛。

 陽はすでに落ち、研究所の入り口は海に面した岩窟にあった。
 岩窟から続いている崖に沿って、千曲博隆は紅い月に照らし出された階段を昇ると、輸送ヘリや軍用車両を前に兵士たちが銃を構えながら位置についていた。崖に打ち寄せる波の音以上に激しく無線が飛び交い、硝煙の臭いがどこからともなく漂ってくる。
「全員出たか? よし、封鎖!」
「封鎖だ!」
 兵士たちの声とともに、大きな爆発音がそこら中から鳴り響く。博隆たちが今出てきた入り口が大量の土砂に覆われた。
『敵と接触! この分だとすぐに突破されてしまう! 敵はかなりの数だ。くそっ!』土埃が舞う中、無線から悲痛な叫び声が上がる。
 銃撃音が鳴り響くとともに、空に稲妻のような閃光が走る。近かった。
 一人の兵士が博隆に声をかける。
「さぁ、博士たちは早くあのヘリに乗ってください! 艦隊と合流します」
 風圧を避け、駆け足で輸送ヘリに乗り込むと同時に、前部、後部のローターの回転数が上がり地面を離れる。ドアの窓から、銃を撃つ兵士の姿が見える。
 博隆は窓から飛び立った場所を見おろした。すでに、そこは真っ赤な戦場と化していた。
「制裁者……」
 博隆はそう呟くと、空を見上げる。月が燃え盛る炎のごとく紅く輝いていた。
 博隆たちを乗せた輸送ヘリは、重い回転音とともに、赤黒く広がる海へと消えて行った。

作品名:八国ノ天 作家名:櫛名 剛