大人のための異文童話集2
第14話 爪〜真夏の夜の夢
夏の黄昏時の雨は勢いよく、轟く雷鳴と眩いばかりの雷光を連れてやって来る。
それは突然にやってきて、通り縋りのように過ぎて行く。
後に残した雲たちは千切れ千切れ。
既に忘却の彼方へと追いやったが如く、遠き山々の山頂を越えて漂うばかり。
夜空は澄んで、いつもよりは大きめの月の姿を悠久と映し出す。
そうした空を眺めつつ見つめる私の指。
右手の指の爪ばかりがよく伸びる。
左手の指の爪はそれほどでもないというのに、何故か右の爪ばかり。
きっと
いつも右腕で腕枕をして、残されてしまった自由な左手は
いつでも、いつまでも、
……隅々までを触れられる。
だから
爪など伸びてると、ふとした思いの交情と止め処なく震える胸の高鳴りで
愛おしい私の、大切なあなたの、
……傷つけてしまう。
それで
私の左手の指の爪が勝手に伸びるのを押さえては、無理で意固地な思い遣りを示そうとしている。
柔らかでなめらかに滑る肌への憶いを、この指先に秘めて。
愛おしき小さな真珠
今宵見たような月明りに照らされて艶やかに輝くときを、まだ夢見ているだろうか。
恋しき潤いたる瞳
また集まりし雲に朧ゆく有明月のように、泡沫なる想いと褪せていってしまったのだろうか。
追憶の中を巡るだけの思いに、もう、応えをくれるものもいない。
それなのに必死で
爪の成長を止めようとするこの左手の指の切なきことか。
毎夜の暑き夢の中
黄昏に見た雲の連なりを駆け巡る稲妻でも掴かまんと
自由な左手は今夜もまた
……彷徨うように探す。
なんとも蒸し暑い夜。
突然に私の前に現れ出て、大きく膨らんだ期待を希望へ変えて
徐々に徐々に、淡く淡く、
……孤独な絶望感へと渡す。
記憶に残るサムサラの香りと、左指に残るその潤いに惹かれて、伸びることを止めた爪。
お前がそうして待つものとは、熱さに魘されて見た夢だったのかもしれない。
本当は初めから相手などいなかった……自分に都合のいい夢。
作品名:大人のための異文童話集2 作家名:天野久遠