FLASH
「ユウには、本当にいろいろ教えてもらった。鷹緒さんが日本にいない間も、ユウが居たから私はやってこれたんだと思う。だけど鷹緒さんが帰ってきて、自分の気持ちに嘘はつけなくなったの……ひどいよね。都合がいいよね……結局私は、ユウを利用してしまっていたんだと思う……」
沙織の本音に、黙って聞いていたユウは静かに微笑んだ。
「十分だよ……ひどいのは、僕の方だ」
思わぬユウの言葉に、沙織は顔を上げる。
「前に言っただろう? 諸星さんがいなくなって、ラッキーだと思ったって。あれは僕の本音だ……諸星さんがいなくなって、僕は沙織とつき合えた。沙織も僕を好きになってくれた。それを嘘だとは思わないし、思いたくもない。だけど、もとから無理があったんだよ。沙織の心は、諸星さんがニューヨークへ行った時点で、日本に置いてけぼりだったんだから……」
「ユウ……」
「……この間、沙織が僕を好きだって言えなかった時点で、僕の恋も終わってた……僕は君をスキャンダルに巻き込んで、その中で早く交際を公表したかったのは、諸星さんが帰ってくる前に、既成事実を作りたかったのかもしれない。だから、僕は君に嫌われて同然の男なんだよ……」
静かにそう言ったユウに、沙織は首を振った。
「違う、違うよ。私が……」
沙織は溢れ出そうとしている涙を、必死に堪えた。そうしているうちにユウが口を開く。
「おあいこだよ……」
「……ユウ」
「最後に、一度だけ……」
ユウはゆっくりと沙織を抱きしめた。堪えていた涙が、沙織の目から溢れ出す。決してお互いに嫌いではなかった。たが鷹緒の存在は、二人にとって思ったよりも大きくなっていた。
「愛してる……愛してた。だから沙織、負けないで……」
「ユウ……ユウ……」
なぜ、この人では駄目なのか。なぜ鷹緒なのか。沙織の頭の中でこだまする。またユウの胸の中で、説明のつかない感情が渦巻き、沙織を責め立てる。
ユウもまた沙織に恋をしているからこそ、沙織の気持ちを痛いほどわかっていた。
「さよなら、沙織。またね」
一度も責めることなく、ユウは沙織を笑って送り出した。そんなユウに、沙織は自分の不甲斐なさを恥じた。
「今、ユウと別れてきた」
半地下のスタジオで、鷹緒と沙織は見つめ合ったままだった。
「なに、言って……冗談だろ?」
目を丸くして驚き、鷹緒は激しく動揺しているようだった。こんな驚いた鷹緒を、沙織は初めて見た。
「冗談、じゃないよ。きっぱりと、さよならしてきた……」
「……なんで……」
鷹緒には沙織の行動が理解出来なかった。ただ沙織の次の言葉に耳を傾ける。
沙織は鷹緒を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「鷹緒さん。私、やっぱり鷹緒さんのことが好きなの」
きっぱりとそう言った沙織に、鷹緒はまた目を丸くした。見つめる沙織は悲しげに微笑み、鷹緒を見つめている。
「……さ、おり……」
状況を飲み込んで、鷹緒はやっとそう口にした。だが、次の言葉が見つからない。
「わかってる。鷹緒さんの返事は……だけど、もう遅いの。私、自分が納得するまで、鷹緒さんを好きでい続けるわ……これは誰にも止められない。鷹緒さんにもね。だって好きなんだもん、しょうがないじゃない」
沙織は笑ってそう言った。
「……」
鷹緒は何も言わなかった。いや、何も言えなかったのかもしれない。
沈黙の中、沙織は少し不安になった。勇気を振り絞って言ったはずの告白も、後悔しなければならないのか……沙織は俯いた。ふられてもいい、何か言って欲しかった。
そんな中で、鷹緒の深呼吸に似た溜息が聞こえる。顔を上げた沙織に、一瞬、鷹緒の顔が見えた。泣いているように見えた――。
次の瞬間、沙織は強く鷹緒に抱き寄せられ、しっかりと抱きしめられた。
「馬鹿か、おまえは。本当に……信じらんねえ。わけわかんねえ……馬鹿か!」
「そ、そんな、バカバカ言わないでよ……」
複雑な気持ちで沙織が反論する。苦しいくらいに抱きしめる鷹緒の肩は、やっぱり震えていた。
鷹緒の腕の中で、沙織はそっと涙を流し、鷹緒の背中に腕を回す。
「私は、鷹緒さんが好きなの……ずっと一緒にいたい……好きなの。好……」
呪文のように繰り返す沙織に、鷹緒は静かにキスをした。すべての願いが叶うような、満たされるキスだった。
互いに引き寄せられるように、二人は何度もキスを重ねた。鷹緒の大きな手が、沙織の頬を撫でる。沙織の髪を解かす。そして鷹緒の唇は、沙織の頬や額をも捉える。やがて、もう一度唇を重ねた。
「鷹、緒さん……」
観念するように、沙織が呼んだ。コツンと、鷹緒の額が沙織の額にぶつかる。
「……止まらなくなる……」
鷹緒の低い声が響いた。一瞬躊躇ったような、伏し目がちの鷹緒の顔が、沙織の目に映る。鷹緒はなぜか辛そうに、自分の頬と口を片手で押さえている。
「鷹緒さん?」
「……ごめん」
その言葉に、沙織は必死な目をして、鷹緒の腕を掴んだ。
「どうして! どうしてそうやって逃げるの? 私……」
「頼むから、そんなこと言うなよ……」
完全に顔を逸らして鷹緒が言った。沙織は離れていく鷹緒の前に立ち直す。
「そうやって向き合ってくれないんだね。どうして? 私、もう傷なんかつかないよ。恐いものもない。私はもう子供じゃない、前より大人だよ。鷹緒さんがそばに居てくれたら、他に何にもいらないの」
わかってほしい……必死の目で沙織が鷹緒を見つめる。そんな沙織に首を振って、鷹緒は目を反らすことしか出来ない。
「俺は、恐いよ。おまえを好きになるのが……」
静かに鷹緒がそう言った。沙織はやっと鷹緒の本音を聞けた気がした。そして次の言葉を待つ。
「大人なら、わかれよ……なんでだよ。俺なんかのどこがいいんだ? おまえは、俺のすべてを知ってるはずだろ。過去も、なにもかも……」
沙織はそっと頷いた。
「そうだよ。その上で好きなんだよ?」
「アホか。なんでよりによって、こんな男に引っかかる必要があるんだよ……あんなトップスターと別れてまで、つき合うのが俺か? それに、おまえの相手が俺じゃ、おまえの両親にだって申し訳が立たないだろ」
依然として苦しげにそう言った鷹緒の手を取り、沙織は口を開く。
「それで……それでそんなに拒むの? なんで、そういうふうに思うの? 私、鷹緒さんの知らないこと、まだたくさんあるんだよ。だけど、知ってるところは全部好き……お母さんたちだってきっと喜ぶよ。それに、ユウは私を理解してくれた。だから私は逃げるわけにはいかないの。それだけすごい人なの、鷹緒さんは!」
沙織はそう言いながら、止め処ない涙を流していた。鷹緒に振り向いてほしい、この気持ちが真剣なことだけはわかってほしい、ただそれだけだった。
「遊びでもいい……捨てられてもいい。一度でいいから、こっちを向いてよ……」
溢れる涙に酸欠状態になりながらも、沙織はそう言った。涙で滲んだ瞳に、未だ辛そうにこちらを見ている鷹緒が映る。
「アホか。遊びだなんて……そんなこと、出来るわけないだろ。俺だって、おまえが……好きなんだから……」
ゾクッという感覚が、沙織を包んだ。