FLASH
「それは最初の数ヶ月だけ。それからあいつ、知り合いの仕事でパリに渡って、今はドイツ辺りにいるらしいよ。近々結婚するらしいし」
鷹緒の言葉に、沙織は飛び上がるほど驚いた。
「ええ! 誰と?」
「向こうで知り合ったやつだろ?」
「だ、だって、茜さん……」
「ハハ。信じらんねえよな。あれだけ俺に体当たりしてきたくせに、あっち行って数ヶ月もしないうちに恋人出来て、運命の人だって言ってたよ」
苦笑しながら鷹緒が言った。ライバルがいなくなり、沙織は嬉しいような悲しいような思いになる。
「へえ。そうなんだ……」
「結婚するらしいから、あいつの親父さんからとりあえず解放されたわけ。今は親父さんも、ドイツに様子を見に行ってる。まあ茜のことだから、そのうちひょっこり顔出して、挨拶しにくるよ」
「……寂しくない? 慕ってくれた人が、結婚しちゃうなんてさ……」
思い切って沙織が尋ねた。そんな沙織に、鷹緒は笑う。
「ハハ……喜ばしい限りですよ」
「ふうん、そういうもの……じゃあ、私がユウとつき合ってることも……」
「ん?」
「う、ううん。なんでもない。あ、うちはそこです……」
続く言葉を飲み込んで、沙織は数軒先のマンションを指差して言った。小さいが表通りに面し、セキュリティもしっかりしているようだ。
「あ、お茶でも……」
「いい。恋人以外の男を、絶対中には入れるなよ」
言いかけた沙織に、鷹緒が拒否して言った。
「う、うん……」
「じゃあな。早く中入れよ」
「うん……鷹緒さん、本当にこれからは、ずっとこっちにいるんだよね?」
確認するようにもう一度、沙織が尋ねた。鷹緒は頷き、微笑む。
「ああ、とりあえずはな」
「うん……じゃあ、またね」
「ああ。おやすみ」
沙織が中へ入るのを確認すると、鷹緒は事務所へと戻っていった。
部屋に入ると、沙織は嬉しさに思わず顔をほころばせた。鷹緒が帰ってきた。そう思うと、心が弾んで仕方がない。その時、カバンの中で携帯電話が震えた。
「あ、忘れてた!」
沙織はカバンを漁ると、携帯電話を取り出す。鷹緒との再会に、携帯電話の存在すら忘れていた。画面を見ると、いくつかメールが来ているのがわかる。
「ユウから二回もメールあったんだ……」
“こっちは終わりました。諸星さんに今日来てくれたお礼、伝えておいてください”
“盛り上がってるのかな? もう遅いので今日は寝ます。おやすみ”
沙織はすぐに返信する。
“気付かなくてごめんね。今帰りました。ヒロさんと鷹緒さんと三人で話してました。久々にいろいろ話して盛り上がったよ。遅くなってごめんね。おやすみなさい”
そう返信すると、沙織はベッドに寝そべり、携帯電話のデータを呼び起こす。さっき撮ったばかりの、鷹緒と広樹の写真があった。
「本当に、帰ってきたんだ……」
沙織はそのまま、眠ってしまった。
次の日の早朝。鷹緒に会いに、沙織は事務所へと向かっていった。まだ事務所が開いて間もない時間だが、事務員が群がっている。案の定、その中心には鷹緒がいた。
「鷹緒さん、おかえりなさい! 帰って早々、事務所で寝泊りなんて、なにしてんですか」
「よかった、変わってない。でも、ちょっと痩せたんじゃないですか? 向こうの料理、合わなかったですか?」
事務員がそれぞれに、鷹緒に言う。
「おまえら、うるさい。二日酔いで寝起きだってのに……」
「あははは。相変わらずだなあ」
その時、沙織の後ろに人影があった。副社長の理恵である。それを見つけた鷹緒が、優しく微笑んだ。
「ただいま」
鷹緒が声をかける。
「おかえりなさい」
理恵はそう言いながら、鷹緒に近付いていく。鷹緒は一同を見つめ、立ち上がった。
「みんなも相変わらず元気そうで安心した……じゃあ俺、一度家帰るから」
そんな鷹緒に、理恵が声をかける。
「あ、部屋だけど、スタジオの掃除の日に、ついでにちょこちょこ掃除しておいたから。細かいところまでは出来てないけど、それなりに綺麗のはず」
「ああ、マジで? サンキュー、助かる。これから大掃除しなきゃいけないと思ってた。じゃあ風呂でも入って、挨拶回り、済ませてくるよ」
「帰国早々、挨拶回りですか。仕事人間だなあ」
事務員たちが鷹緒に向かって、口々にそう言った。
「当然、常識。じゃあ、今度ゆっくりな」
鷹緒はそう言うと荷物を抱え、入口のところに居る沙織に近付く。
「入らないの?」
「あ……ううん」
「じゃあ、またな」
沙織の肩を軽く叩くと、鷹緒は事務所を出ていった。
その日から、鷹緒は二年半前と変わらず、仕事に明け暮れる日々を送っていた。沙織にとって違うことは、自分の周りの環境だけ。そこに鷹緒が違和感なく入ってきたように、二年半の月日を越えて、新たな日々が始まっていった。