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31、出発の日




 数日後。鷹緒の出発の日となった。
 沙織は鷹緒のマンションから実家へ戻っていた。コンテストも終わり、もうすぐ夏休みも終わるため、もう鷹緒と同じマンションから事務所へ通う必要はなくなっている。
 鷹緒のことが気になりながらも、沙織は拒絶されるのが怖くて、もう鷹緒に会う気にはなれなかった。

「沙織!」
 沙織が部屋にいると、母親が呼んだ。
「なに? お母さん」
 そう言って廊下へ出ると、尚も母親が呼ぶ声がする。
「沙織! 事務所の社長さんが来てるわよ」
「え、ヒロさんが?」
 そのまま一階へ降りていくと、リビングでは母親と広樹が話しをしている。広樹は沙織を見るなり、明るく手を振る。
「やあ、沙織ちゃん。元気?」
「はい。どうしたんですか?」
「改めてお礼だよ。コンテスト入賞のね。バタバタしちゃって、ちゃんとお礼出来てなかったから」
「いろいろいただいたのよ」
 母親はそう言って、沙織にもお茶を出した。沙織は椅子に座り、広樹を見つめる。
「事務所に祝いの品がたくさん届いたんで……この度は、本当におめでとうございます。そしてありがとうございました。これから、どんどん沙織ちゃんを売り込んでいくつもりですので、今後ともよろしくお願いします」
 そう言う広樹に、沙織は困ったように俯く。鷹緒がいない今、沙織はこれ以上モデルをやる意味はないと思っていた。しかし広樹の顔を見ると、面と向かっては言いにくい。
「ヒロさん。私……」
 言いかけたものの、沙織はそれを飲み込んだ。
「どうしたの?」
「……いえ」
「でも鷹ちゃんがいなくなってしまうのに、この子一人で大丈夫かしら……鷹ちゃんは大丈夫だって言ってたけれど……」
 母親の言葉に、沙織は顔を上げた。
「え? お母さん、鷹緒さんと話したの?」
 沙織が、食いつくように尋ねる。
「この間、電話があったのよ。そうそう、コンテストの日に、お礼を兼ねてね」
「そんなこと、一言も言わなかったじゃない」
「だって沙織が帰ってきたから、嬉しくて忘れちゃってたのよ」
 苦笑して母親が言う。
「それで……鷹緒さん、なんて?」
「だから、鷹ちゃん居なくて大丈夫かって聞いたら、事務所の人は安心出来るから、下手に自分がいるより大丈夫だろうって」
 母親が答える。沙織は鷹緒という名前が出るだけで、大きく揺れていた。
「鷹緒さんが……」
「ああ。鷹緒から、これ預かってきたんだ。沙織ちゃんに」
 思い出したように、広樹が大きな茶封筒を沙織に差し出す。沙織はそれを受け取ると、不安と期待にゆっくりと封筒を開けた。
 中には、大きな沙織の写真が数枚入っている。宣材用に撮ったものと、コンテストの審査用に撮られた写真である。
「あら、いい顔してるわね」
 写真を覗き込んで、母親が言った。広樹は頷き、立ち上がる。
「一押しの写真ですからね。じゃあ僕、そろそろ行きます。鷹緒を見送りに行くので……」
「鷹ちゃん、今日出発だったわね。寂しくなるわね……」
 母親はそう言いながら、広樹を送りに立ち上がった。
 沙織は写真を封筒に入れ、後に続こうとする。その時、沙織の目に、封筒の底に残った小さな封筒が映った。その封筒を開けると、中には一枚のスナップ写真が入っており、その写真の裏には文字が書かれているようだ。
“俺が一番気に入ってる写真です。これからも頑張れ”
 そんな鷹緒の字であった。表の写真は、コンテストでベストフォト賞を受賞した写真である。沙織のこれ以上ないといった、笑顔の写真だ。沙織自身も、良い写真だと思った。その笑顔はまるで、これからもこんな笑顔で頑張れという、鷹緒のメッセージが込められている気さえする。
「ヒロさん!」
 沙織は思い立ったように、玄関に向かう広樹のもとへと駆けつけた。そして必死の形相で、広樹を見つめる。
「ヒロさん、私も空港へ連れてってください! 鷹緒さんに言いたいことがあるんです!」
「え? ああ、僕はいいけど……」
 了承を促すように、広樹が母親を見て言った。母親も頷く。
「私もいいわよ。鷹ちゃんに、気を付けてねって伝えてちょうだい」
「わかった!」
 沙織はすぐに支度をすると、広樹とともに空港へと向かっていった。

「すみません、ヒロさん。急について来たりして……」
 車の中で沙織が言った。広樹は運転をしながら、笑って首を振る。
「いいよ。忙しい時期だから、みんな見送りたいのに出来なくて、僕しか空港へ行かないんだ。君が行けば、鷹緒も喜ぶよ」
「……それはどうかな」
「きっと喜ぶよ」
 断定するように、広樹が言う。
「……それならいいですけど」
「……怒らないでやってね。急に日本を発つこと……」
 広樹の言葉に、沙織は押し黙る。
「あいつ、本当に沙織ちゃんのことは気にかけてたんだよ。僕が無理やり事務所に誘ったわけだしさ……あいつも今後フォローしてくれようとしてたし、ここ数日もずいぶん駆けずり回って、うちの事務所や君の仕事に関して、売り込んでくれてたみたいなんだ」
「え……」
「頑張ろうね。鷹緒がいなくても」
「……はい!」
 広樹の言葉に、沙織は大きく返事をした。沙織にもう迷いはなかった。想いは伝わらなかったが、鷹緒の優しさが痛いほど伝わっていた。

 空港。出発ロビーのベンチで、鷹緒が座っていた。ろくに寝てないのか、そのまま眠り込んでしまっている。
「鷹緒」
 そんな鷹緒を揺り起こしたのは、広樹である。
「ん……ああ、広樹。遅いんだよ。寝ちゃったじゃん」
「もう一人いるよ」
 広樹が退くと、鷹緒の目に沙織が映った。
「沙織……」
「僕、飲み物買ってるくるから」
 そう言って、広樹はその場を離れる。残された鷹緒は沙織を見つめ、静かに微笑んだ。
「久しぶり」
「あ、うん……」
 沙織が生返事をする。まだ、素直に向き合えない恥ずかしさがある。
「実家に戻ったんだろ? お母さん、元気?」
「うん。あ、お母さんが、気を付けてねって……」
「ああ、うん……」
 鷹緒は微笑んで、軽く頷いた。
「私も……ありがとう。これ、受け取ったから」
 そう言って、沙織は鷹緒からもらった封筒を抱きしめる。中には大判の沙織の写真とともに、鷹緒からのメッセージが書かれている写真もあるはずだ。
「ああ……」
 少し照れるように鷹緒が頷くと、沙織も微笑み、口を開く。
「私はもう大丈夫……一人じゃないし、頑張る。鷹緒さんも頑張ってね。私、鷹緒さんが帰る頃には、きっといい女になってるから!」
 沙織の言葉に、鷹緒が笑った。
「期待してるよ」
 鷹緒がそう言った時、搭乗アナウンスが流れ、広樹がやってきた。
「はい、コーヒー」
 広樹が缶コーヒーを差し出す。鷹緒はそれを受け取ると、立ち上がった。
「サンキュー……じゃあ俺、もう行くよ」
「そっか……」
「いろいろ頼むな、ヒロ」
「ああ、こっちは任せとけ。おまえも頑張れよな」
「おう。じゃあな」
 少し照れながら、鷹緒は二人に微笑むと、身軽な荷物を持って歩き始める。
「鷹緒さん!」
 その時、沙織が鷹緒に駆け寄った。
「鷹緒さん、これ持って行って」
 普通の封筒を差し出して、沙織が言った。
「……なに?」
「飛行機の中で見て」
「……わかった。じゃあな」
作品名:FLASH 作家名:あいる.華音