FLASH
その時、社内の電話が鳴ったので、牧が電話に出る。沙織は手持ち無沙汰で、給湯室へと向かっていった。そして牧の代わりにお茶を入れる。
そこに、沙織の携帯電話が鳴った。見ると、メールである。
『ごめん。仕事が長引いた。もうすぐ事務所に着きます』
鷹緒からである。沙織は微笑むと、電話を終えた牧が顔を出した。
「あ、ごめんね、沙織ちゃん」
「いえ。私、やりますよ。牧さん、他にも仕事残ってるんでしょう?」
お茶を入れながら、沙織が言った。牧は少しすまなそうにして頷く。
「ありがとう。電話、社長からだったわ。今から帰るからって、その一言だけ」
「そうですか」
「じゃあ私、仕事の続きやるから、あとお願いね。でも事務所は閉めてあるんだし、鷹緒さんのお知り合いみたいだから、お相手はしなくていいからね。沙織ちゃんは、事務員じゃないんだから」
「はい」
牧の言葉に頷くと、沙織はお茶を持って、応接スペースへ向かった。
そこでは、内山が立って外を眺めている。
「あの……お茶、どうぞ」
沙織がそう言うと、内山は笑ってソファに座った。その笑顔は、とても可愛い。
「ありがとう。君はずいぶん若く見えるけど、事務員さん?」
内山の質問に、沙織は首を振る。
「いえ。私は……」
「ああ、モデルさん」
その言葉に、沙織は驚いた。
「え、どうして……」
「その立ち方が、モデルっぽい」
意識していなかったので、沙織は驚いて笑う。
「本当ですか?」
「本当だよ。僕、前にモデルやってたから」
「モデルさんだったんですか?」
「うん。今は記者として、主にパリで活動中」
「パリで? じゃあ、パリコレとかも?」
「何度か出たこともあるけど、今は見る側だね」
その話を聞いて、沙織は頷く。
モデルだったという内山は、かなりの長身で、身のこなしも格好が良い。
「おかえりなさい」
その時、牧の声とともに帰ってきたのは、鷹緒であった。鷹緒は内山を見て、顔色を変える。
「……おまえ……」
鷹緒は内山を見つめたまま、やっとそれだけを口にした。
「先輩。お久しぶりです」
内山がそう言ったその瞬間、鷹緒の顔が一気に険しくなり、内山に駆け寄り、殴りつけた。
沙織と牧はわけがわからず、その光景を見つめている。鷹緒は、内山の襟元を掴んで、離そうとしない。
「た、鷹緒さん……」
やっとのことで、沙織が止めに入ろうと声をかける。しかし、それを遮ったのは、内山の笑い声だった。
「ハッハッハッハ。やっぱり! 先輩、僕が帰国したと同時に、真っ先に僕を殴ると思ってましたよ」
内山が言った。鷹緒はまだ怒りが収まらないといった様子で、内山の襟を一層強く掴む。
「豪(ごう)。てめえ……」
「離してください。先輩が殴りにくる前に、自分から殴られに来てあげたんですから」
不敵な笑みを浮かべながらそう言う内山に、鷹緒はもう一発、頬を殴る。その瞬間、内山は床へと倒れこんだ。同時に鷹緒の眼鏡が落ち、フレームが折れるように曲がる。
「豪……!」
そう言って、凍りつく社内の時を戻したのは、帰ってきたばかりの理恵である。
一同は理恵を見つめた。その後ろには広樹もいて、目を大きく見開きながら、静かに口を開いた。
「内山……豪……」
「ヒロさん。理恵……噂通り、勢揃いで楽しそうですね、この事務所は」
内山がそう言ったところで、もう一度、鷹緒が内山の襟元を掴んだ。
「やめて、鷹緒!」
そんな鷹緒を止めたのは、理恵だった。それと同時に、広樹も止めるように二人の間に立つ。
「……」
目の前の広樹から目を逸らし、鷹緒は静かに内山から離れた。
「……どういうことだ? 急に日本へ帰ってきて……それに噂通りって、何のことなんだ?」
内山を見つめて、冷静に広樹が尋ねる。沙織と牧は、その場から一歩も動くことが出来ず、その様子を見つめていた。
「別れた夫婦が同じ事務所にいるんだ。そんな面白い情報、僕にだってすぐ届きますよ」
「じゃあ、だから戻ってきたのか?」
「まさか。僕だって暇じゃないんです。ただ、理恵に会いに来たんですよ」
内山のその言葉に、理恵の表情が変わった。鷹緒は眼鏡を拾うと、ソファへと座り、そばに立っている沙織を見つめる。
「……帰るか」
鷹緒はボソッとそう言うと、立ち上がった。
「待て、鷹緒。打ち合わせを……」
「後にしてくれ」
広樹の言葉を、いつになく強い口調で鷹緒が拒む。
「いえ、僕が出ていきます。今日は挨拶に寄っただけですから。お騒がせしました。では、また……」
内山はそう言うと、静かに事務所を後にした。
「待って!」
その後を、理恵が追っていく。二人の姿は、すぐに見えなくなった。
静けさだけが残る事務所を、広樹の携帯電話の音が打ち消した。再び時間を取り戻した空間で、鷹緒は前髪をかき上げながらソファに座り、外を見つめる。手にはひしゃげたフレームの眼鏡が握られ、沙織の目に、初めて鷹緒の素顔が映った。
同時に、鷹緒の携帯電話にも着信が入る。鷹緒は電話に出ると、淡々と会話を始めた。
そこに電話を終えた広樹がやってきて、鷹緒の前のソファに座る。
「ごめんね……なんか、おっそろしいところに出食わせちゃったね」
すまなそうにしながら、沙織と牧に広樹が言った。牧は首を振る。
「いえ、ごめんなさい。こんなことになると思わなくて……」
「いいんだよ。強盗とかじゃなくてよかった」
「はい……でも、誰なんですか? あの人、鷹緒さんの知り合いだって……」
牧が尋ねる。その質問に、広樹は小さく微笑んだ。
「そっか。牧ちゃんは知らなかったね……まあ鷹緒や理恵ちゃんの、モデル時代の仲間みたいなものだよ。でも、あいつは昔からいろいろ事件を起こしててね……みんなそれぞれ確執があるんだ。気にしなくていいよ。今後あいつが来ても、客として扱ってやって。べつに危険なやつではないから」
「はい……」
「はあ……まったく、ハタ迷惑なやつ……」
広樹が珍しく溜息をついて言った。そこに、電話を終えた鷹緒が、目の前の広樹を見つめる。
そんな鷹緒に、広樹が口を開く。
「……おまえも、事務所で手を出すなよ」
「……仕方ないだろ」
苛立った様子のまま、鷹緒が答えた。
「まあ、仕方ないけどね……」
広樹の言葉を聞きながら、鷹緒は煙草を咥える。
「……沙織。もうちょっと待ってて。すぐ終わるから」
「う、うん……」
鷹緒の言葉に、沙織は頷いた。
今度は広樹が牧に声をかける。
「ああ、牧ちゃん。遅くまでごめんね……もう大丈夫だから、帰っていいよ」
「はい……じゃあ、失礼します」
突然の修羅場に、牧もまだショックを隠しきれない様子で、静かに事務所を後にした。
「……じゃあ、軽くやっちゃおうか」
頭を切り替えるように、ハキハキと広樹が言った。鷹緒は無言でノートを開く。
そのまま軽い打ち合わせが、二人の間で行われた。沙織は話に入れないので、ベランダから外を眺める。
あんな鷹緒は見たことがない。怖いと同時に、何があったのかと考えずにはいられなかった。