FLASH
6、ピンチヒッター
その日から、沙織はちょくちょく暇があっては、鷹緒の事務所に行くようになっていた。鷹緒に会うことは滅多になかったが、社長の広樹も事務員の牧も、みな優しかったので、沙織にとって居心地の良い場所になっている。
「こんにちはー」
ある休日。今日も篤がバイトのため、沙織は一人、事務所へと顔を出した。
「沙織ちゃん。いらっしゃい」
事務員の牧が、受付で出迎える。沙織は牧に近付き、口を開いた。
「牧さん。何か仕事ありますか?」
「あるわよ、膨大に。でも、ちょっと休んでからにしようよ」
「はい。じゃあ、コーヒー入れますね」
「ありがとう」
沙織は慣れた様子で給湯室へと入っていき、コーヒーを入れて受付に戻る。そんな沙織に、牧がクッキーの入った缶を差し出した。
「ありがとう、沙織ちゃん。クッキーあるから、一緒に食べよ」
「わあ、おいしそう。いただきます」
沙織はクッキーを頬張りながら、事務所を見回す。
「今日は静かですね」
「比較的ね。忙しい時期も、ちょっと過ぎたし」
その時、鷹緒が事務所へ入ってきた。
「鷹緒さん」
「おう。なんだ、また来てたのか。よっぽど暇なんだな」
憎まれ口を利きながら、鷹緒が沙織を見て言う。
「またまた、鷹緒さん。沙織ちゃん、いろいろ手伝ってくれてるんですよ」
苦笑しながら牧が言った。鷹緒は軽く微笑みながら、応接部分のソファへと座る。
「ふうん……じゃあ、俺にもコーヒーくれよ」
「ひねくれ者にはあげませんよー」
鷹緒に近付き、わざと膨れっ面をしながら沙織が言う。
「すみませんね。この年になると、ひねくれもするんだよ。いいからくれ」
「はーい」
沙織は笑いながら、コーヒーを入れて鷹緒に差し出した。
「サンキュー」
鷹緒は早速テーブルに書類や写真を広げ、コーヒーに口をつける。
「あ、BBの写真」
テーブルの上を覗き込みながら、沙織が言った。鷹緒は構わず、写真を並べている。
「本当、カッコイイわよね、BB。鷹緒さんも、どうするのかと思ったけど、BBの専属カメラマンの契約も受けてくれたから、事務所の知名度も一気に上がって……」
すぐそばの受付から、牧も覗いてそう言った。
「あ、受けたんだ? BBの専属カメラマン」
「ガキが首突っ込むな」
沙織の言葉に、鷹緒が言う。
「最近、冷たくないですかー? 親戚なのに」
そんな鷹緒に、冗談交じりで沙織が言った。
「あのなあ。暇な時は手伝えとは言ったけど、毎日毎日来やがって」
「べつに、鷹緒さんにはほとんど会わないじゃない」
「話には聞いてる」
その時、鷹緒の携帯電話が鳴った。
「はい。ああ、どうも……」
すかさず電話に出た鷹緒の後ろで、膨れる沙織に、牧が笑って口を開く。
「漫才やってるみたいね」
「合わないんです。私と鷹緒さんは」
「あら。面白いコンビだと思うけど?」
「やめてくださいよ。あんなオジサン」
その言葉に、鷹緒が沙織の頭をコツンと叩いた。
「あ、電話終わってたんだ?」
「牧。これ、俺の来週のスケジュール。ヒロと俊二に渡しておいてくれる?」
沙織の言葉を遮って、鷹緒が牧にそう言う。
「わかりました」
返事をしながら、牧はすぐにコピーを取り始めている。その時、奥から広樹が出てきた。
「おう、鷹緒。居たか」
「ヒロ。なに?」
「おまえ、今夜の予定は?」
「八時から打ち合わせ」
その質問に、鷹緒が答える。
「じゃあ、ギリギリだけど……おまえ、キャンディスの撮影やってくれないか?」
広樹がそう言った。キャンディスとは、中高生向けのファッション雑誌で、鷹緒の助手である俊二がカメラマンを手がけている。
「なんで? 俊二の仕事だろ」
「俊二がぶっ倒れたんだ」
「は?」
「風邪。熱が三十九度越えてるって。他のやつも出払ってるし……おまえしかいないだろ」
その言葉に、鷹緒は軽く頭を掻いた。
「……オーケー。八時前には終わらせるぞ」
「当然。僕も手伝うよ。お願いします」
「仕方ないですな。一肌脱ぎますか」
鷹緒はテーブルの上の写真をかき集めると、すぐに支度を始めた。
「うちのスタジオ?」
「ああ。スタッフ連中は、すでに準備に行ってるよ」
「了解。おい、沙織。手伝って」
振り向きざまに、鷹緒が沙織にそう言った。
「えー、なんて。いいよ」
「当然だろ。じゃ、行って来ます」
そのまま鷹緒は沙織を連れて、事務所を出ていった。
「俊二さん、大丈夫かな?」
歩きながら、沙織が尋ねる。
「さあな……でも、あいつが仕事休むなんて、余程のことだからな」
「でも、こういうこともあるんだね。今日の撮影関係者、鷹緒さんに撮ってもらえるなんてラッキーじゃん」
「まあな……」
鷹緒は軽く笑うと、スタジオへと入っていった。
スタジオでは、スタッフが着々と準備をし、モデルたちも衣装に着替えていた。しかし、関係者は騒然としている。
「お疲れさまです」
鷹緒がそう言うと、雑誌の制作スタッフが駆け寄った。
「あ、これは諸星さん……」
「すみません。うちの木田が熱で来られなくなりまして、急遽私がやらせていただくことになりまして……」
軽くお辞儀をして、鷹緒が言った。
「いえ。それは、こちらとしても嬉しい限りなのですが……」
「はあ、何か?」
浮かない顔の雑誌関係者に、鷹緒が尋ねる。
「実は予定していたモデルが一人、風邪で来れなくなりまして、プランが変わってしまいそうなんですよ。でも八時までには上げたいと聞きまして、どうだろうと……もちろん、日取りを変えるのも不可能ですし……」
「プラン変更には、そんなに時間がかかるんですか? 一人抜けたくらいなら、臨機応変に……」
雑誌関係者に、鷹緒が言う。
「いえ。プランを考えたのは、うちの編集長が用意したプランナーでしてね。まあ、こちらの事情なんですが、寸分たりとも変えるわけにはいかないんですよ……」
焦る関係者を前に、鷹緒も少し考えた。その時、広樹がやってきた。
「何かあったんですか?」
そう言う広樹に、関係者がまた説明をする。
「……沙織ちゃん。君、モデルやらない?」
一同が考え込む中、突然、広樹がスタッフに混じる沙織にそう言った。
「ヒロ。冗談言うなよ」
すかさず鷹緒が止める。広樹は笑いながら沙織の肩を掴んで、雑誌関係者を見つめる。
「冗談なんかじゃないよ。どうですか、この子。可愛いでしょう?」
「彼女は?」
雑誌関係者が、沙織を見つめて尋ねる。
「諸星の親戚で、うちの事務所を手伝ってくれている子なんですが、現役高校生です。モデルとしてなら背は低めだけど、雑誌モデルなら大丈夫でしょう」
「やってもらえますか?」
関係者の言葉に、沙織は戸惑った。
「わ、私がモデルなんて……出来ません!」
慌てて沙織が言う。そんな沙織の肩を抱きながら、広樹はなだめるように沙織を見つめる。
「まあ、そう言わないで。大丈夫だよ。難しいことは何もないし、カメラマンは鷹緒なんだ。どうとでもフォローしてくれるよ。なあ、鷹緒?」
鷹緒は沙織を一瞬見ると、雑誌関係者に尋ねる。
「……そちらは、この子で大丈夫ですか?」
「ええ、プラン通りにいけるのなら誰でも。ぜひお願いします」