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七変化遁走曲

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「遅いと思って来てみれば」

 ふいに割って入った、よく聞きなれた声。やっと息が吐けた。金縛りが解けた。振り向くまでも無い、毎日聞いているその声は、浮遊していたあたしの心をちゃんと地につけてくれる。
 常葉。外見はどうやっても人間にしか見えないあたしの助手。彼は入口の暖簾を掻き分けるようにして台所の中を伺っていた。目が合えば溜息。それからもっと深い溜息を紺屋さんに向ける。
「相変わらず饒舌なことで」
「あれ。どうしたの、香介くん」
 何事もなかったかのように、にこにこと歓迎する紺屋さん。今そっちに行くところだったのに、と肩をすくめるけれど、二人ともその場から動こうとしなかった。
 取り残されているあたし。紺屋さんの言葉はまだ脳内に響いていて、けれど先刻通りの雰囲気のまま会話する二人を目の当たりにすれば、首をもたげた緊張も所在がなくなっていく。
「うちの子を苛めるのはやめてください」
「苛めてないよ。ちょっとお喋りしてただけですよ」
「そうやって妙な言い回しで相手を混乱させて楽しむ。相変わらず意地の悪い性格をしている」
「んー、まぁ、楽しかったのは否定できないかな」
「あの、ちょっと、常葉?」
 あの会話を聞いていない筈はないのに、ぽんぽんと言葉を交わす。常葉の顔は少々不機嫌そうだけれど、それだけ。警戒心とか、猜疑心とか、そういったものはひとつもない。
 困って、その袖を引っ張って注意を引く。すると同情の目をこちらに向けて嘆息する。

「彼は、僕が狐だってことを彼は知ってる」
 ちょっとだけ眉をしかめたままの言葉に、またあたしは混乱する。

「あろうことか初対面で言い当てたんだ。特に必要も無いから言及しなかったんだけど、まさか紺屋の方はわざと黙っていたとは」
 じろりと紺屋さんのほうを睨めつけて。一方の主人は、にこにこと何処吹く風。
「これでも本に埋もれて生活してるからね。狐の特性なんて見分けるまでもないよ」
 段々と実感が追いついてくる。そうか、彼らの砕けた遣り取りを裏打ちするのは『常葉の正体を知る』ことにあったのだと。今思えば珍しい。深砂鷺だって仕事仲間に違いないのに常葉が余所行きの遣り方をしないなんてことは、接客や他の店主に対しては有り得ないことだと思い当たった。

「いやぁ、本当はずっと気になってたんだよ。翠仙さんが知っていて誑かされてるのか、知らないまま誑かされてるのかって」
「たぶらか……って」
「なんて人聞きの悪い」
「悪くないよ。むしろ悪いのは狐聞きだ」
 冗談めかした言い方に、思わずつられて、笑う。すると狐が、君もなのかと呆れた視線を寄越した。

「とにかく、悪い狐に食べられてしまわないように気をつけるんだよ。何かあったらすぐうちに来なさい」
「今時の狐だって、人間は食べやしない」
「さすが狐、微妙に思考回路がズレてるねぇ」

 盗み見た狐の表情に、浮かぶのは微笑に似た苦笑。
 『薊堂は狐憑き』。
 疑うでもなく、距離を置くでもなく、薊堂の『本当』を知る人。

 そっか。てっきり、うちの中の――おじいちゃんや一部の人間だけが知っているのだと思っていたのに。
 けれど同時に、常葉が偽らなくていい相手が少なからず居ることに安心してしまっていた。
作品名:七変化遁走曲 作家名:篠宮あさと