七変化遁走曲
それは感謝の台詞だったはずだ。
何かに対して、今日の場合は依頼を果たした薊堂に対しての。
なのに、どうして彼女が涙を流さなければならないのか。どうして泣きながら、そんな悲しい笑顔を浮かべなければならないのか。
「アジサイには毒があるの。ヒトが口にすれば、中毒を起こす。過呼吸、興奮、ふらつき、めまい――まるで、恋そのものね」
彼女の涙はいつのまにか、あの池のように枯れていた。けれどそれもまた、新しく雨が降れば溢れてしまうのだろう。夏の始まりの雨は大地を潤おすために降り注ぐ。では夏の終わりの雨は誰のために降るのか。
「――そして、報われない恋は、いつか死をもたらす」
あたしの呟きなど聞こえないように、陽花さんは微笑んでいた。それは決して晴れやかなものではなく、すぐ傍に咲いていた赤紫の花弁を優しく撫でた。
「連れていくことは出来ない、ですって」
霧雨は晴れて、雲の切れ間から太陽が差し込む。玉露を反射させる日差しは同じようにやわらかく彼女を包んでいる。
「『けれど、必ず会いにゆく』。仕方ないわ。心のどこかでは分かっていたの。私とあの人は属する場所が異なる。――ここも、もう閉めなければ。時間は沢山あるのだもの。また一年、楽しみに待ちましょう」
そうして振り返る眼差し。けれどそれはあたしたちを見たのではなくて、あたしたちの居る屋敷に注がれていた。開け放した窓を通り過ぎ、瓦屋根の遥か上まで。
「どうして……」
独り言にも似た言葉は、今度は陽花さんにも届いたようで、ゆっくりとあたしを振り返り、首を傾げて見せた。
「直接会えなくても、彼がいるだけで幸せなのよ」
まるで本心からの言葉。完璧な笑顔。幸福そうな。
それが、彼女が長年身に着けてきた術だと気が付く。
ああ、この人は、どれだけの年月をここで過ごしてきたのだろう。あの人はどれだけの年月を、彼女を遠ざけたままで繰り返しているのだろう。
同情にも似た同調の感情が、あたしの中に芽生えている。けれどそれはすぐに彼女から離れて、きっと彼女とは正反対の感情に行きついた。
とっさに言葉に出す。