七変化遁走曲
薊堂の事務所に戻ると、熱心に本棚の埃落としに勤しむ常葉の姿があった。
彼の机には開きっぱなしの分厚い本。その横に数枚のコピー用紙とレポート用紙。
今更だけど、狐が電子機器を活用しているのってどうなんだろう。もしかしたらあたしより使い慣れているんじゃないだろうか。ただし、OS(これくらいの言葉だったらあたしでも知ってる)が二世代程前なのが気になるけれど。
いつもなら掃除なんて午前中に終わらせているはずなのに変だな、と思っていたら、どうやら家事そっちのけで依頼に取り掛かっていたらしい。
「どうも気になっちゃって、やっと心置きなく掃除出来るよ。あ、洗濯だけは昼間に干しておいたから大丈夫」
最早何が大丈夫なのか、良く分からない。とりあえず手が離せなそうなので、あたしが率先して洗濯物を取り込むことにした。
さて、一仕事を終えて事務室へ戻る。すると既に麦茶が用意されていて、社長用の机の上には万葉集を始めとしてどっさり資料が敷き詰めてある。
「じゃあ、状況報告と行こうか」
身辺を余すところなく綺麗にして、心なし狐の表情も晴れやかだった。彼自身は自分の抱える紙の資料を繰りながら、次々とあたしに報告を指し示す。
「電話でも言ったけれど、万葉集の中にアジサイが詠まれている歌は僅かに二首だ。一つ目が第4巻の773番。これは大伴家持の作。そしてもう一つは、第20巻収録の4448番。橘諸兄の作」
コピー用紙に一首ずつピックアップされたアジサイの詩は、丁寧に現代語訳まで注釈が入っていた。口振りから察するに、多分常葉が自ら直したものなのだろう。
それと一緒に、どこからか引っ張り出してきたアジサイについての解説を読み上げ始める。
「アジサイ、というのは、元々は集真藍……『藍色の集まったもの』という意味の言葉から来ている。それに対して現代でも使われる紫陽花は、実は語訳でね。元々は白居易が他の紫の花に当てて使ったものが、平安時代にアジサイのそれとして誤って広まったものなんだ」
ここでもう一枚。こちらは完全にインターネットから印刷してきたもののようで、大規模型辞書サイトの様式そのままのA4用紙に、かれはぽつぽつと黄色のマーカーを乗せた。
「英語ではハイドランジア。意味は『水の容器』。花の色は土壌の酸性値や開花後の日数によって変化する。知ってた? 初めは青かった花も、次第に赤色に変わっていく」
そういえば、よく通る場所に咲くものを眺めていると、その花の色がいつの間にか濃くなっていることに驚くこともある。けれど不思議なのは、あたし達はいつだって『突然に』気付くということ。毎日のように目に留める鮮やかな色を、可憐だと思いながらも注意して見ることはない。
季節は移り変わっていくというのに。
ああ、そんなことを、陽花さんも言っていたっけ。
「私を探して、彼に伝えて。文面通りに取るなら、私の所在を彼へ教えてほしいってところだろうけれど」
黄色く縁どられた単語たち。アジサイ、水の容器、花の色彩の変化。あたしは常葉の言葉の端に何か違和感を覚えながらも、それらの単語を結び付けようと睨んだ。
「じゃあ、どちらが『私』の目線なのかを見極めなければいけないのね」
二枚の印刷用紙の表面を、文字をなぞるように指で辿る。
たとえば単純に、女性の作品を選ぶとする。けれど今回はどちらも男性の詠んだ歌だということが名前から察することが出来る。するとこの時点で、女性という選択は無効となる。そうなると、他の選定方法を考えないといけないのだけれど……
「そう思うでしょ」
あからさまに勿体ぶった言い方で、首を左右に振る。
どうやら彼自身は結論に至っているらしい。緩慢な動作で伸ばされた人差し指が、一方の紙の上を滑り、止まる。
「実はね、こっちは、女性の目線として詠われた作品なんだ」
指差されたのは二つ目の、橘諸兄の歌だった。
『紫陽花の八重咲く如く八つ代にを いませわが背子見つつ偲はむ』
「家持の歌が愛する女性へ冗談めかして贈ったものなのに対して、橘諸兄の歌は、とある男への祝いの歌として、彼を慕う女性の目線で詠んだものなんだ」
言われてみれば、背子というのは女性が男性を親しんで言う呼称だというのを授業で習った気もする。成程、作者自身の性別がどうあれ、それが作品である限りはフィクションの可能性もあるのか。
「愛しい背子へと変わらぬ想いを。『私』から『彼』への想いを。ということは、こっちの紫陽花の歌が今回の答え?」
これには首を縦に振ってみせた。
「今ちょうど、多千花さんと取引をしている最中でね。仲介で一時的に預かっている品物がいくつかある。その中に、八重咲牡丹の掛け軸があるんだ」