七変化遁走曲
詳しくは後で、という言葉を置き去りに電話は切られる。何に驚いていいのか分からなかった。一日中連絡の取れなかった常葉からの電話か、彼の電話を予見した古本屋の主人か、それとも、同時に耳にした二つの同じ答えか。
混乱したままのあたしの腕が携帯電話ごと下されるのを待って、紺屋さんが呟いた。
「まるで、狐ですね」
「――なんですか?」
強く強く心臓が音を立てる。もしかして、彼には分っているのだろうか。気づいているのだろうか。うちの助手が人間ではなく、化け狐だということに。
薊堂は狐憑き。
まことしやかに囁かれた風評は周囲のどの程度まで広まっていて、どの程度の人がただの噂だと理解しているのか。
そんな憶測を隠すように、怪訝そのものの表情をあたしは繕う。
「狐につままれたような顔をしてます。解決には一歩前進したようだけれど」
返されたのは毒気の抜けるような苦笑、少し悪戯っぽいような、澄ましたような。
杞憂だったことを知って、押さえつけていた呼吸をこっそり解放する。そうだわ、少し過敏すぎたかもしれない。ちょっと紛らわしい言い方だったけれど、紺屋さんは古本屋。本や文字や文章に触れる職業なのだから、あたしとは違う言い回しをするのも不思議じゃない。
アナウンスが聞こえて、反対のホームに列車が入ってきた。紺屋さんが一歩退きながら、では、と頭を下げた。軽そうな長持。あれが帰り道にはずしりと重くなっているのだろうか。それでもきっと紺屋さんには幸せの重さに違いない。
電車がスピードを落として、完全に停止する。溢れ出る人々と、雪崩れ込む人々。その人込みにするり、まるで微風のように入り込む着物姿の彼。
「陽花さんによろしくお伝えください。おそらく今年はもう会えないでしょうから」
喧騒の中でもよく聞こえる穏やかな口調。
軽く挙げられた右手に会釈をすれば、古本屋の主人はもう一度頷いて、電車の中へと消えていった。