七変化遁走曲
「あれ? もしかして水差し増えてる?」
書架横の飾り棚に陶器製の首の長い型を見つけて、聞くとは無しに助手に声をかける。青色の釉薬が綺麗な一品だった。時折模様替えしているとはいえ、昨日一昨日には見かけなかったはずだ。
「そうだけど、惜しいね。それは一輪挿し」
事務机で書き物をしながら常葉が笑う。どうやらさっき往なされた、昼間にあった依頼の品らしい。口ぶりから察するに一定の期間預かるようになったようだけれど、詳しくは分からない。あたしの耳に入る必要のない小物なのか、それとも逆か。心中を知ってか知らずか、それより、と彼はボールペンを置く。
「ところで、産土神祓は覚えた?」
あたしは途端に黙りこくる。会話の途中で聞こえないふりが出来るほど神経は図太くない。
それは今月の頭から出されていた宿題だった。仕事柄、いわゆる祝詞を詠む必要のある場面に出くわすことは少なくない。祝詞というのは神様に奉げる言葉で――うちの場合は骨董品やいわくつきのモノに対して読み上げることもあるけれど――以前はそれが祖父の役割であり、つまり今ではあたしが担わなければいけない職務だったりする。
するのだけれど。
「ええと……」
中途半端に視線を彷徨わせながら残りの紅茶をすする。そろそろ聞かれるだろうとは思っていたけれど、まさか午後のお茶の時間を狙ってくるとは思わなかった。
だいいち、彼自体はどれも覚えているのだから、あたしの代わりに詠んでくれても良い気がする。以前そう抗議したら、『狐が詠んでどうするの』と軽く溜息をつかれた。
「稲荷祝詞は?」
促されて諳んじてみるものの、こちらはこちらで二行を読んだ所から先が出てこない。ちらり、諦めて彼のほうを振り返る。
「どれも同じにしか思えないんだもの」
弱音を吐くと彼の顔面に苦笑が広がる。
「似ているものもあるけど違うよ。意味も踏まえながら覚えていかないと。特に、稲荷はね」
穏やかな表情が余計に気味悪い。けれど、あたしだって『宿題』をサボっていた訳ではないのだ。その証拠にこのひと月で、祓詞と身滌大祓のほうは随分スラスラと唱えられるようになってきたのだ。
そうは言えどこの二つは、おじいちゃんが詠んでいるのを何度か聞いた故になんとか出来ただけかもしれないけど。