七変化遁走曲
『薊堂は狐憑き』。
まことしやかに囁かれていた外聞がただの噂でないと知ったのは、アルバイトを始めた後のことだ。
自分はトキワギツネだと、彼が名乗ったのは今からふた月ほど前のことになる。あれは忘れもしない、あたしの一番初めの仕事の最中。閉ざされていた小堂の前で、彼は振り返り、言った。
闇も染まるような薄紅の花弁。さらにそれを覆ってしまうほどの蒼色の炎。佇む彼の瞳が黄金に近く輝いて揺れていた。
『それで、貴方は誰なの』
不可解な行動を示す彼を問い詰めるようにして聞いた。こちらを見詰めていた彼は、短く呟いた。そうして微笑んだのだ。
『“常葉狐”。狐だよ』
自分は人間ではないのだと。
詳しいことは分からないけれど、浅見家との縁は長いらしい。何十年か、何百年か、明治に入ってうちの祖先が薊堂を始める遥か昔からの付き合いだと聞いている。
しかし、日々せっせと掃除や事務仕事に打ち込む姿は本当にただの青年にしか見えない。色素の薄い髪、日焼けとは無縁そうな白い顔。茶色よりは琥珀色の目。ここに来てもう二ヶ月も経つのに、彼が狐だという決定的な証拠を見ていないせいもある。
――狐の姿になれ、って言えば聞いてくれるかしら。
そんなことを暇潰しに考えてみるけれど、見せてもらったところで環境に変化はないだろうから、この際どうでもいい。今もそれを知る前も、あたしにとって彼は切れ者の薊堂唯一の社員でしかないのだ。
いや、今はあたしも社員だから、『唯一』の冠は取れるのだけれど。
とにかくその優秀な社員は、今日ものんびりとこの事務所を維持している。