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七変化遁走曲

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 五月の空は、まだ少し白い。

 最寄り駅から徒歩十分。繁華街を裏道に抜けて路地の先、ビルの合間に埋もれるようにその青い屋根の建物は立っている。僅かな隙間に育った木の枝のように隙間なく縦に細長い。時代の波から切り離されたまま居座るその屋敷の、正面のドアの上には木目の鮮やかな看板がかけられている。
 曰く、《あざみ堂》。軒下に吊り下げられたランタン風の屋外灯にはまだ光は入っていない。

 入り口を開けた先は吹き抜けのエントランスになっている。右手には滅多に人のいないカウンターと金色の呼び鈴。左奥の給湯室のドアからは待ちかねていた顔を出す人間がいる。
「おかえり。翠仙」
「ただいま」
 見計らったように既に茶器の用意をしているらしい。いや、実際に見計らったに違いない。あたしは階段を上りながら、一度だけ怠惰に応える。
 三階の住居スペースまで上るのは面倒なので、そのまま二階の事務室のドアを開ける。ソファに腰と鞄を下ろせば、テーブルの上にあっという間に紅茶の用意が並んだ。普通の人ならこの手際の素早さに驚くだろうけれど、新鮮に感じるにはもう長居し過ぎている。
 屋敷の中は風が通るせいか、西日の割に過ごしやすい。あたしは事務机に増えているファイルを目聡く見つけて尋ねる。

「今日は、仕事のほうはどうだった?」
「特には無かったよ、今の所はね」
「なんだか含みのある言い方じゃない?」
 まぁまぁ、と彼は笑う。注がれるお茶は冷やしたアールグレイ。柑橘系の香りがふと広がる。
「とにかく、翠仙の、社長の手を借りるほどの仕事は無かったよ」
 助手の言葉に、ふうん、と頷いて。


 そう、あたしはこの薊堂の社長だ。
 正しくは社長見習い兼アルバイト。この春から始めてまだ一ヶ月の新入りだった。元々は数年前まで祖父の浅見桂一朗が社長を務めていたよろずや相談事務所で、その後はたった二年だけ父が引き継いだのち完全に看板を下ろしていた。扱うのは古いものが中心。骨董品だったり、古道具だったり、『いわくつき』のものだったり。直すのではなく、出所探しや失せ物を追いかけることが多い、らしい。
 高校生のあたしが引き継ぐに至ったのは、その放り出した父への反発と、築き上げた祖父への尊敬。それから、少しでも自立したいという願望の表れだった。
 とは言っても、ただの女子高生がいきなり会社なんて経営できるはずもないので、今の所は全て彼まかせだ。彼。つまりは目の前の、薊堂に残る唯一の社員。祖父とも父とも仕事を共にしてきた常葉という男。

 ――違った。常葉という狐である。
作品名:七変化遁走曲 作家名:篠宮あさと