七変化遁走曲
ヨヒラと名乗った男が話してくれたのは、ある神と人間の少女の話。
孤独な庭で退屈を極めていた神様は病気で視力と声をなくした少女と出会い、彼女を楽士として庭に置くことにした。神様の力で視力と声を取り戻した娘は男を神と知らぬまま自然と慕い、一方の神もまた娘の美しい声と箏の音に惹かれていった。
けれどそのために神様は季節を巡らすことを怠り、狂っていく摂理に嘆き悲しむ娘の姿を見て、やっと己の浅はかさを悔やんだのだという。
「季節の神が自らの正体を明かせば、娘は自分がこの場所に迷い込んだために摂理を曲げてしまったのだと益々後悔した。やがて神は庭を去り、娘もまた行方が分からなくなった。けれど翌年、神がこの庭に立ち入れば、二人が過ごした月見の櫓に彼女の書いた手紙が残されていた。それから二人は一年に一度、まるで七夕の織姫と牽牛のように言葉を交えて過ごしたのだそうだ」
こつり、ガラスのコップが天板を叩く音を聞いて、あたしは幻想的な世界の中からこちらへと戻ってきた。まるで物語の世界に入り込んでしまったような感覚。けれど気がついても、我に返った先さえも夢の中なのだから益々妙な感じだ。
「二人はどうなったんですか」
水辺に筝を弾く少女の姿を見た気がして、目を擦った。あたしの視線に気づいてか、四片はにやりと笑い、肩を竦めた。
「さてねぇ。けれど娘はお互いの住まう世界が分かれた後も、必ず迎えに行くという神様の言葉をずっと信じ続けていた。いつまでも、貴方のことを待つ場所。だからこの池は今の名前になったと言われている」
貴方が、貴女が来ることを待つ池。
「それが、君来ずの池」
物語の着地点に気づいて、とっさに口にする。君不来池、またの名を君恋池。
けれど、ひそかに感動しているあたしの向かいで、四片はなぜかぼんやりと締まりきらない表情をしていた。
「まさか」
それからおもむろに袖で口元を隠して嘯く。
「これは君来い池だよ」