七変化遁走曲
1.空狭く、風は流れて
終業のチャイムが鳴る。
退屈な箱の中から開放された同じ色の人影がぱらぱらと外界を目指す。濃紺のセーラー服に白色のスカーフ、もう一方は型の新しいブレザー。数年前まで女子高だったこの場所に取り入れられたデザインだった。
外へ外へ、流れるように溢れる人の波。欠伸をする人、きらきらと目を輝かせる人、ラケットを担ぐ人、帰路を急ぐ人。そして、その波の内のひとりが、あたし。
他の人と違うところは殆どない。身形も動向も、綺麗に埋もれることが出来るくらいには一般人のつもりでいる。少し異なるのはラケットやユニフォームや楽器ケースを持っていないこと。部活に所属していないあたしには全くもって必要のないものだからこそ、少しだけ羨ましい。
ただ、この気温の中でついていく体力があるかは別問題だけれど。
今日だって、気温があがるにつれて邪魔になりつつある黒髪をなんとか括ることで凌いでいる。制服の濃色が熱を吸収しているのが良く分かった。
「翠仙ちゃん」
名前を呼ばれたのが聞こえて立ち止まる。長年よく聞き慣れた声だった。振り向けば、追いかけるようにして手を振る少年がいる。
「アカネ」
返答の代わりに名前を呼び返す。人当たりの良さそうな微笑が眩しい。事実、あたしよりは人脈も人望も厚いのだろう。同じ環境で育ったのに、この違いは何なのだろうといつも不思議に思う。
「もう帰んの?」
「うん。一応バイトあるし」
頷けば、いいなぁと首を傾ぐ。濡れ羽色の髪が太陽を浴びている。背はあたしより10センチくらい高いけれど、本人曰く『まだ成長期』らしい。
「俺もじーちゃんの店に行けば良かったな。結局一度も行ったことないし」
すんなりと隣に並んで、ブレザー姿の彼は心底羨ましそうに呟く。それに内心ぎくりとしながら。
「部屋が一つしかないって聞いてたでしょ」
「俺は別に姉ちゃんと同じ部屋でもいいけど」
「馬鹿。変なこと言わないの」
からかうように笑うその脇腹に、ぎゅうと指定鞄を押し込む。
部屋がないというのは、今にすれば単なる言い訳だった。あたしが今から帰る場所――住居兼バイト先は学校や世間からすればかなり異質な存在だ。普段行き来している自分にとってはもう何ともなくたって、平穏な日常に身を置く彼には。
隠したい訳ではない。けれど。
「ね、今度、遊びに行ってもいい?」
「暇なときにね」
食い下がる一つ下の弟に、苦笑しながら適当にはぐらかした。