七変化遁走曲
「そういうこと」
奇しくも助手と同じ事を呟いてしまってから、あたしは黙々と朝食を摂った。今朝は洋食だ。ほのかに茶色の混じったパンに(後で聞いたら麦芽パンというらしい)、たっぷりマーマレードのジャムを塗る。平皿にはウインナーに卵とポテトのサラダ。綺麗に繰り抜かれ容器に仕立てられた白身のカップを箸で持ち上げながら、この徹底的に家事に凝る狐を空寒く思う。
「あの人は探して欲しいものを言わなかった。だけどヒントは提示してくれる。直に口に出せない代わりにね。服装もそのひとつだと考えていい。あの人はそういう存在だから」
どうやら家事が趣味らしい彼はなみなみと牛乳を注ぎながら、至極真面目な話をしている。そのアンバランスを指摘するかしまいか悩む間もなく、ハーブのウインナーを口に運ぶ。
何気ない遣り取りの中で解決した陽花さんの台詞。雨夜に盃、そして白。それらを一つのまとまりにしようと、まるで言葉遊びのように連想を続ける。
「それにしても……酒に白ならおそらく分かるんだけどなぁ」
独り言にも似た溜息に顔をあげた。勿体つけた言い回しをしてないで言いなさい、無言で促せば、ふう、と呼気が零れる。
「トゲツ伝説って知ってる?」
口が塞がっていたので、これにもまた黙ったままで首を振る。
「昔々、ある詩人が酩酊し、水面に映る月を捉えようとして溺れ死んでしまいました。まぁ、単なる伝説なんだけど」
どう、と訊ねられて、これにはかすかに首を傾げる。飲み込んでから、別に必要もないのに「うーん」と言い加える。
聞いたことが、あるようなないような。日本の伝承か何かだろうか。
「でも、これが白と盃に結びついても、肝心の『雨夜』のほうには繋がらないんだよね。僕も作品の全てを知っているわけでもないし」
「有名な人の話なの?」
「それは、まぁ――」
言ってから、何かに気付いたようにあたしを見詰め返してくる。なによ、サニーレタスを咀嚼しながら睨むと、なんだか生温く微笑まれてしまった。
「そうか、本当に知らないんだ」
「どうせあたしは博識とは程遠いわよ。十年やそこらしか生きてないんだもの、あなたと違って」
「それはもしかして、狐の僕への当て付けか何かかな」
「どうかしら」
他の嫌味は、牛乳と一緒に飲み込んだ。ふーん?と挑発的な相槌が帰ってきて、もしかしたら年齢の話は禁句だったろうかと、今更気付いてももう遅い。そういえば常葉がどれだけ生きているのか、実際のところは詳しく聞いていない。
話を戻そうと口を開く。それはあっという間に彼の微笑みに防がれてしまう。
「じゃあこれは宿題にしようか。大丈夫、ガッコウに行けば君と同年齢でも知っている人がいるくらいは有名だからね」
欲しくもない二杯目の牛乳を注ぎながら、長生きらしい化け狐が穏やかに目を細めた。