七変化遁走曲
「おはよう、翠仙」
「……おはよう」
いつもより慌てて登校の支度をして、常葉の用意してくれている朝食へと向かった。応接室にはいつも通りに、食事の並んだテーブルと助手。あたしは次々と湧いてくる欠伸をなんとかかみ殺し、それでも空腹を誘う目の前の皿々を見渡した。
「今日はいつもより20分遅いけど、大丈夫?」
大丈夫じゃないわよ、と心の奥で毒づきながら、いざとなれば体調不良で遅刻ってことにしようかしらと不真面目なことを考えていた。
とりあえず、普段の早起きな自分に感謝しつつ。お陰でちょっと急ぐくらいで帳尻はなんとかなりそうだ。
けれども、時間を過ぎても起してくれなかった狐を呪いつつ。
と、その殺気が通じたのか、常葉狐がご飯をよそう手を止めて顔を上げる。その表情が、はたりと音を立てて変化する。
「……それを着て学校に行くの?」
「え? うん、そういう決まりだから」
頷いても、常葉は怪訝な顔のまま。何が疑問なのかは分からないけれど、どうも腑に落ちないようだった。数秒の間うんうんと唸って、それからやっと搾り出すように呟く。
「でも、確か翠仙の学校の制服は紺だったような……」
ああ、そのことね。あたしは思わず笑ってしまう。忍び笑いを耐え切れずに、くすくすと声に出して。
「大丈夫、合ってるわよ。学校には制服が二種類あるの。デザインは似てるでしょ」
くるり、その場で回ってスカートをひらめかせて見せる。半袖で、上下ともに白が基調。胸元は紅色のリボン。時折冬用の薄青のスカーフをつける人もいるらしい。
「色は間逆だけど、襟のラインと胸の校章は同じだね」
「そうなの。普通、学校は夏服と冬服があって、季節に合わせて衣替えをするのよ。だから、夏はこっちの制服」
なるほど、と感服したように常葉が深く頷いた。それが余計に可笑しい。
まぁ確かに、あの重苦しい濃紺からこんな眩しい色に変わったら驚くだろう。実際、事情を知らない世間の人々の中には、この二つの制服が同じ学校のものだと結びつかないで認識されていることも多いらしい。あたしも入学直前までは同じ制服だと知らなかったくらいなのだし。
「どう? 似合ってる?」
得意げな顔をしてみせると、常葉が堪らずに笑う。
「うん、清潔で涼しげな見た目だ。眩しいくらいの白色――」
その瞳孔が丸く見開かれる。常葉は、最後まで言い終わらないうちに口を閉ざしてしまった。奇妙に思って箸を休める。
どうしたの、聞き返されたのにも気付かないようで、弾かれたように壁を振り向いた。
「明後日……」
ぶつぶつと何かを呟く。それから、ややあって、深く、深く息を吐いた。
「ああ、なんだ、そういうことだったのか」
彼は再び、あたしの食事の支度を整える日課に戻っていた。動揺していたように見えた顔つきも既に平静を取り戻している。安堵の色さえ浮かんでいるように見える。
「え、何? 衣替えがどうかした?」
「陽華さんだよ。あの人は土曜の昼に、『明後日から探せ』と言った。君を見て言ったんだ。――彼女のワンピースの色、覚えてる?」
「そりゃ覚えてるわよ。だって、眩しいくらいの白色だったもの」
答えれば、何か気付かないか、と視線が返って来る。それから、するりと一言が発せられて。
「そう。丁度今の君の制服みたいに」
今度はあたしが、呆然と彼を見る。
明後日。あの人のワンピース。あたしの制服の色。
それは真っ白な、真っ白な、夏の始まりの雲のような。
一つ目のパズルのピースが、ぱちりと当てはまる。