七変化遁走曲
3.はじまりの色
「雨に、盃か。翠仙は盃って聞いて何を連想する?」
乗客の疎らな下り列車に揺られながら、あたしたちは薄雲の広がる空をぼんやりと眺めていた。
向かい合わせのボックス席の、進行方向側に常葉、正面向きにあたし。先刻の駅で乗り込んできた学生達のお喋りを聞くともなしに耳を傾けていると助手が言った。いつの間にかその膝上には藤色表紙の本が乗っている。
「盃……普通に考えて、やっぱりお酒じゃない?」
だよねぇ、と常葉は憂鬱そうに息を吐く。
「なら雨夜は?」
尋ねられて言葉から浮かぶイメージを探してみる。
雨の夜。暗くて、やわらかい。反響。
「じめじめして静かな感じ。でなければ驟雨。ちょっと叙情的な感じがするかな」
「雨に酒か」
「それから、『明後日』ね」
うーん、と珍しく首を捻る常葉。確かにヒントが少なすぎる。これらの言葉を繋げられたとして、結果的に何へと行き着くのかさえ定かじゃない。
人なのか、物なのか。
実物として存在するのか。
携帯電話を開いてみる。明後日はもう六月だった。月が変わることに意味があるのか、明後日にならなければ都合の悪いことといったら……なんだろう、見当もつかない。
――難題すぎると思う。だいいち、何故この依頼を受けなければいけないのか、それすらはっきりしない。
「常葉は分かってるの?」
「まさか。全然」
億劫そうに首を振る様子に、益々疑わしく思えてくる。
「ねぇ」
だからあたしは、思い切って問い質すことにした。
「あの人は誰? どうしてこの依頼が薊堂に回ってきたの」
ガタンゴトン、赤錆びた鉄橋を通り過ぎる。たちまちトンネルに差し掛かって、おもちゃのような電車の中に弱い光が灯った。
「あの人は人間なの?」
狐の眼が、闇に照らされて鈍く光る。