七変化遁走曲
ゆるやかな傾斜になっている上り坂は、いつの間にか舗装道から石畳に変わっていた。
緑の山のさらさら揺れる音。それらは大半が青々とした竹林で、道行けば行くほどに涼やかな音が大きくなっていく。もうすっかり私道なのかもしれない。車のすれ違えない幅の両側には延々と紫陽花の株で生垣が設けられている。時折見られる蕾は夏の到来を記しているように見えた。
一帯には車の音も民家の気配も存在しない。それでも常葉の足取りは迷い無く、だからこそ、あたしも迷うことなくその横顔についていく。
「霧が出てきたね」
彼の声によってやっと視界が霞んでいることに気付いた。顔を上げれば前も後ろも仄かに灰白い。手の甲や頬が僅かに湿った空気を感じ取る。それは次第に、坂を上る程に色濃くなっていった。更に五百メートルほど歩いた頃には、既に数歩先も曖昧になった。
白の向こうでは変わらずに細竹が風を刻んでいる。二人分の湿った足音、思い出したように啼くのは春を愛おしみ続ける鶯。まるで夢の内側のように、不確かで曖昧な情景だった。
「常葉?」
「なに?」
「……ううん。なんでもない」
不安を悟られないかと思ったけれど、彼は心得たように頷き返した。すぐ隣を歩くその顔はまだ確かめることができた。
それきり黙ったままのあたしを見て、静かに笑う。
「見失っては駄目だよ」
歩いたのは僅か数分のことだったはずだ。それが、十分にも三十分にも感じられた頃、真っ白な闇に変化が訪れた。
坂の上に、ぼんやりと見える藍色の翳り。瓦の屋根のように見えた。推測から確かな認識に移行した途端、ほんの少しだけ霧が薄くなった。
「着いたみたいだ」
常葉の言葉に坂の終わりを知る。武家屋敷のように大きな門があった。古本屋の入り口も門構えだったけれど、あれとは規格が違う。この先に寺院でもあるのかと想像する。
白い闇はいつの間にか霧雨になっていた。ハンカチで頭を拭った門の先には砂利の敷き詰められた小道。右手には大きく池が広がっていた。松の木や椿の枝の間を、その道を粛々と進んでいく。蓮の葉の陰で赤色が泳いだ。
道の終点に佇むのは重厚な平屋。表札もインターホンも見当たらなかった。それでも玄関の前に立てば、人の住む気配が感じられた。
「薊堂です」
こつこつ、小さく硝子を叩く。数瞬の間を持って、扉は静かな音を立てて開いた。
応えたのは女性だった。無意識に着物姿の壮年の男性が出てくるのだと思っていたので、少しだけ困惑する。
「お待ちしていました、常葉」
黒髪の女性が穏やかに微笑む。常葉もまた、営業用の微笑を浮かべた。その遣り取りに、どこか神妙さを覚えた。
「お久しぶりです。ヨウカさん」
頷く、初夏らしい白色のワンピースの女性。髪の毛は肩より少しだけ短く、これもまた涼しげだった。
常葉に紹介されて、あたしもまた丁寧に頭を下げた。