男女平等地獄絵図
「柳君はさー結婚しないの?」
悪気のない(いや、あるのだろうか?)くりっとした目で部長は尋ねる。
この酔っ払い親父は今日も相変わらずワインレッドのネクタイをしめていた。
思えばワインレッドのネクタイをしめている上司は皆その質問をしてきた気がする。偏見かもしれないが。
僕は薄く笑った。
酒には強い方だから、周囲の喧騒がやけに離れて聞こえる。
僕の周り1mに薄い膜があるようだ。
「うーん、どうですかね。」
「彼女は?いるデショ。」
「いえ、いませんよ。」
「えぇーっ柳君かっこいいし女の子にモテるでしょう?」
「そんなことないですよ。」
そんなことないですよ。
だって僕と付き合っても僕は彼女たちを好きになってあげないから。
いつも一方的に告白されて寝てフラれて終りですよ。
それなのに僕は最後まで適当な対応しかしないからまるで僕がフッたかのような空気になって傷付いた顔して去っていくんです。
そういうわけで恋をしていない僕には彼女たちを恋人と呼ぶ資格などないのです。
…なんてことは言うわけもなく。
「柳君ももう…30?でしょー?そろそろ身ぃ固めないとぉ。」
「ははは。ですねー。」
そうですよね、やっぱ。
一応は、いる。
気になっている人は。
小柄で、色素の薄い瞳と髪をもつ、美しい人。
しかし違いすぎる。
中身が違いすぎるのだ。驚くほどに。
そして僕は決して彼女を手にいれたいと思わない。
彼女は一種の空想だ。
あの人の、幻だ。
上司はフッと僕からターゲットを変える。
そのすきにトイレに行くふりをしてそっと店の外に出た。
外は少し雨が降っている。
僕の口からは息が湯気となって漏れ出た。
僕には温かい血が通っている。
最悪なことに。
バス停まで行こうと歩きだす。
誰かがつんつんと肩を叩いた。
…振り向く瞬間の大きなデジャヴ。
「つっ…」
「つ?」
意地悪そうな顔で聞き返す。
「…花田さん。」
「『つ』がつくのね…柳君の本との思い人は。」
花田さんはにやっと笑った。
自分が嫌になる。
彼女は3つ上の僕の上司だ。
彼女と僕は仲がいい。
それは彼女の、他人に対してあまり突っ込まない性格にあると思う。
彼女は色素の薄い茶色の瞳と髪をもつ。
それが僕にいつも残酷な混乱を招く。
錯覚してしまう。
けれど…ありがたいことに…彼女は賢く、意地悪だ。
「そんなに似てる?」
「え?」
「その人に。」
全然似てませんと僕は笑う。
けれど、花田さんは笑わなかった。
笑わないで呟いた。
「…そりゃよかった。」
「え?」
「ごめんだもの。そんなの。」
彼女はスッと真面目な顔をする。
僕はそこで何をすべきか理解する。
けれど、僕は絶対に花田さんにキスをしない。
黙ってバスに乗るしかない。
…だってそれが何だと言うのだ?
彼女は所詮椿ではない。
バスは妙に静かだった。
一人バス停に佇む花田さんの姿が浮かぶ。
風邪をひかないだろうか。
そんな資格もないのに心配をする。
僕はバスの窓にもたれかかる。
…窓には幻が写っていた。
幻と分かっているのに横を振り返ってしまう。
…そこには、驚くべきことに幻が座っていたのだった。