like a LOVE song
2 それぞれの懊悩
「四月は死ぬのかな」
そんなメールが届いたのは、四月三十日、もう少しで五月に片足を突っ込む深夜だった。
「詳細希望」
とだけ書いて返事をして、三月はまだもう少し、と復習を続けることにした。恐らく爆撃めいて訪れる愛のメールは、それを続けるのを許してはくれないのだろうけど、と心中ぼやきながら。謎かけのような彼のメールは、遠まわしに寂しい、との呼びかけであることを三月は性格に理解していた。
果たしてそう勉強が進まないうちに返信はやってきた。
「一月は行く、二月は逃げる、三月は去るっていうけど、じゃあ四月は、といったら死ぬんじゃないかな、と思うんだよ」
ふむ、と三月は漏らした。確かにそうかもしれない。三学期は風のように過ぎて春休みも終わり、始まった新学期はいつの間にか死んでいる。新しい環境、もの、人に流されているうちに。
「じゃあ五月はごろごろかな。六月はむっくり、七月はしっかり、八月はばったりとか」
「擬態語ばっかりだな。確かにそんな感じかもしれないけど」
彼のメールには装飾がない。漢字とアルファベット、仮名を除いては句読点しか使われているのを見たことがない。クエスチョンマークやエクスクラメーションマークさえ、その文章に現れることはまずない。風体は軽いものの、実像は硬派な彼らしいといえばそうだが。
彼女もあまり文章に記号を埋め込むのが好きなほうではないので、時々クエスチョンマークをつかうくらいに留めている。自然と、見た目淡白なやり取りになるが、二人とも苦にしない形だからそれでいいのだろう。恋人とは気を遣わない相手のことだ、と彼はいつか言っていたような気がする。彼女も概ね同意だった。
「あ、死んだね、四月」
ふと時計を見ると、もう零時を跨いでしまっている。暦の上ではもう五月一日になったわけだ。もう今年の四月は絶対にやって来ない。
「死んだな。五月がごろごろし始めた」
そのメールを見て、何とはなしに気が抜けてしまった彼女は、目標に僅か届かなかった復習に一旦の区切りをつけて、返信した。
「私もごろごろし始めた。いつメール途切れても怒らないでね」
「ていうかごろごろしてなかったのか。俺はずっとしてた」
彼のスピーカー以外はほぼ何もない部屋に彼が寝転んでいるのを、彼女は想像した。まったく難くなかった。彼は彼女が訊ねて行ったときでさえそうして寝転んでいることがよくあった。あまり健康な性質ではない彼は、そうしていないといけないときもあるのだという。勉強に興味があったためにクラブには入らなかった彼女は、けれど虚弱体質というわけではなく、小学校、中学校と、無遅刻無欠席を貫いたほど屈強だった。それゆえにそうした感覚はあまり理解できなかったが、どうやらそれは嘘というわけではないようだ。
「早く寝なさいよ、あんまり体強くないんだから」
「ん、そうするわ。じゃあ、日曜に」
日曜には、二人で出かける約束があった。とは言っても隣町まで出なければ娯楽も何もあったものではないので、二時間に一本しかないバスの時間に合わせて移動することになるのだが。
「うん、楽しみにしてるから。お休み」
そのメールを送ると、彼女にもどっと眠気が訪れてきた。彼女は腕を伸ばして、延長しすぎて床についてしまっている電灯のコードを引っ張り、明かりを消した。
ぼんやりと死んでしまった四月のことを考えながら、彼女は眠りに就いた。
倖雄は感慨に耽っていた。ライトノベルとは言っても、読むに堪える内容だったそれは、本好きの彼の心を充分に掴むものだった。レーベル的な問題上、キャラクター性に重点が置かれているものの、シナリオの展開や台詞回し、地の文の口調は硬派で、一般書として並べても申し分ない。
かといってライトノベルに求められる軽さ、テンポというものを失っていないのもすごい。決してライトの名を裏切ることがない。高校生でこれだけのものを仕上げられるのは、それなりに稀有な才能だと言えるだろう。問題点はないではないにしろ、問題のない作家など彼の知る限り存在しなかった。
読書時間は早朝に設けている彼は、読後感に浸りながら朝食を食べ、学校へ向かう用意を済ませた。鞄には彼女に貰った彼女の著書、「サボテンミラージュ」を入れた。
学生服を着ると気分が入れ替わる。彼は三月ほど真面目とはいえなかったが、愛ほど勉学に開かれていないわけではない。然るべき手順を踏めば、スイッチがきっちりと事物を学ぶために入れられる。
彼の家から高校は近い。徒歩でも五分とかからないだろう。彼はきびきびとした動作で、学校へ向かった。サボテンミラージュの感想をこねくり回しながら歩くと、いつも短い道程は更に縮まったように思われた。
上履きに履き替えて、階段を登って彼のクラス教室の前に立ったが、いつも通りそこにはまだ誰もおらず、鍵がかけられている。職員室に赴いて、鍵を取ってきて開けなければならない。彼は大体の場合そうしてクラスで一番早く教室についた。
彼は渡り廊下を進み、職員室を目指した。隣の棟の一階が職員室だ。と、遠目に鍵をかけているあたりに人影が見えた。その風体にどうも見覚えがあるような気がして、小走りで立ち寄ると、そこに教室の鍵を返していた人影は鳴海明里その人だった。
「鳴海さん。早いんだね」
「あ、遠野先輩。先輩こそ早いんですね。今日も図書室ですか」
倖雄は鍵を探しながら答えた。
「うん。サボテンミラージュ、読み終わったから返そうかと思って」
そういうと、恐縮するように明里は両手をぶんぶんと振った。
「いいんですよ。プレゼントです。それで、どうでしたか。ライトノベルも悪くないでしょう」
厳かに頷くと、明里は恐縮の色を多く含む笑みを作った。
「確かに良かった。偏見がなかったわけじゃないけど、やっぱり見かけだけで判断しちゃいけないんだな、と思ったよ。感想伝えたいんだけど、鳴海さんも図書室行くの」
「はい。とりあえず教室は開けましたから、もうこの足で行くつもりです。先輩は今から開けに行くところですよね」
「うん。先に行って待ってて欲しいな。荷物だけ置いたらすぐにいくよ」
明里は可愛らしく笑った。倖雄は一瞬じり、とするものが胸の中にあるのを感じたが、あまり気に留めず、彼女はそれでは、と図書室に向かう道に消えるのを視線だけで追いかけた。
新学年になって、委員は総入れ替えになっていた。二年間図書委員を務めた三月は、ふとした気まぐれで美化委員を選び、委員会活動を強いられるときにはその任を全うした。普段から花壇の手入れをしたり、ゴミを気にかけたりするほど自発的ではないが。
だが当然のように、美化委員は図書室の貸し出し係はやらない。クラスも分かれ、架け橋だった愛がいなくなり、ほぼそこでだけ繋がりをもっていた倖雄とは接点らしい接点がなくなった。
ずっと仲が良かったはずの仲間が、すっと離れていくのは何なのだろう、と三月は冷め切った弁当を食べながら思った。クラスが分かれて、会う場所がなくなって、それだけであれほど温かだった関係が冷えていってしまうのは何故か、と。この弁当のように。
おかずは平らげたが、装飾のないご飯が続いて思わず飽いてしまった三月は、弁当箱の蓋を閉じた。
作品名:like a LOVE song 作家名:能美三紀