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like a LOVE song

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 夢を見ていたらしい。死んでしまった倖雄と体を重ねる夢だ。吉兆かもしれない、と恋は思った。ただそこに愛の姿がまだあったことだけが気に入らない。彼はもう殺されて、恋の一部になったはずだ。
 身の軋みをどうにか押しやって胡乱ながら意識を取り戻すと、もうそこは東京の、目指していた街だった。ついたはいいものの、その時にはもう夜も遅かった。そのまま眠りに就いてしまったが、携帯を開くと、もう正午だった。長袖ではもう少し暑い晩春の温度に一滴汗をかいて、彼はエンジンをかけた。有料駐車場の料金を払い、車を走らせながら、車内を綿密に冷やした。
 着いたのは深夜で、よく風景も見えなかったが、明けてみればそこは都心からは少し離れる郊外で、それほど人も建物も多くなかった。それでも愛たちの住む町とは比較にならなかった。恋もそんな景色を見るのはもちろん初めてだった。
「ここに住んでたんだな、倖雄」
 冷機が逃げることを気にしながらも窓を開けると、愛の住む町とは違う匂いがした。田舎めいた温さのない、荒削りな街の臭いだ。
 火照った体がクーラーで少し冷えたので、彼は車をまた有料駐車場に停めて、歩いて倖雄の住んでいた家を探すことにした。
 コンクリートの感触を踏みしめる。この道を倖雄も歩いたのかもしれない。歩かなかったかもしれない。けれど、恋にはなんとなく彼がそこを歩いている情景が見えるような気がした。そして、その彼はいつも独りだ。常に独りで、寂しげに歩いている。彼は頭を振って、その妄想を打ち消した。そんな妄想より、今は倖雄の確かな足跡を探さなければならなかった。
 とにかく足を動かすことにした。電柱の住所表示を見ながら、そのアパートの位置を探し当てようと必死に歩く。その年賀状は少し前のものになる。その後引っ越したというような話は聞かなかったから、恐らくその建物に住んでいたはずだ。もし引っ越していたとして、そのことはアパートを見つけてから考えればいい。また引っ越していても、今回の目的は彼を訪ねることではなく彼の足跡を探ることだ。アパートさえ見つかれば目的は果たせる。
 いくつもの角を曲がり、いくつかの袋小路に迷い込み、幾度も行ったり来たりを繰り返しているうち、だんだん彼は疲労してきた。昨日の夜から何も食べておらず、空腹が疲労感を更に水増しさせた。彼は捜索を一旦諦めて、近くにあったコンビニエンスストアに入った。
 惣菜パンをいくつかと、コーヒーを品定めしてその両手に持ち、レジに並ぼうとした。知り合いなのか、店員と女性客が長話をしていた。後ろについてせっつくようになるのも嫌だったので、その長話が終わるのを興味のない弁当を見ながら待っていると、客の言葉に引っかかる単語が現れたのを彼は聞いた。
「すいません。今の話」
「え、どうかしましたか」
 つい衝動から話しかけてしまい、並ぶのを待ってでも途切れさせまいとした会話を途切れさせてしまったのを後悔して、けれど話しかけた以上言わないわけにも行かず、彼は言葉を繋げた。
「もしかして、この住所知りませんか」
 と年賀状を懐から取り出して彼女に住所を見せる。彼女はその文字を見て驚いたように言った。
「遠野くんの知り合いなんですか」
「はい。ご存知ですか」
「ええ、仲良くさせてもらってました」
 店員が困ったような顔をしていたので、これお願いします、といくつかのパンと缶コーヒーを差し出した。代金を払う。
「訊ねてきたんですけど、案内してもらえますか」
「ええ、それはいいんですけど、遠野くん、もう」
 目を伏せる。彼女も彼の死を知っているらしかった。二週間もあれば、親しかった人には訃報は伝わりきってしまうのだろうか。
「はい。わかってます。あいつの暮らしてた場所、見てみたいんで」
 女性は顔を上げて、上品に微笑みを湛えた。
「そういうことなら、案内しますよ。ここからはそうかかりませんし」
 それを聞いて彼はやれやれ、と思いもしたが、ここからあまり離れていないのに見つけられなかった不甲斐なさを少し恥じた。店員の差し出すレジ袋を受け取ると会釈をして、店から二人で出た。入るときは感じなかったが、外と中の異様な温度の違いに立ちくらみを覚えて、恋は体があるというのも楽ではないな、と実感した。

 少し後をついてくる彼の姿を時折窺う。彼はまるで町並みが珍しくでもあるようにしてあちらこちらに視線を泳がせていた。
 茜が彼について懐いた感情は、猜疑以外の何物でもない。彼女が榎本茜だ、と名乗ると彼も同じように水下恋だ、と名乗った。
 それはおかしい、と茜は思う。先ほど見せられた年賀状は水下愛なる人物に宛てられていた。偽名を使っているのか、年賀状を拝借してきているのか。干支が今年のものでないのも気になった。
 けれど、彼の死を知るということは、知人ではあるのかもしれない。疑り深さが過ぎるのは彼女の悪癖だった。今度もまた今までの例に倣って取り越し苦労であるかもしれない。だが、偽名を使わなければならない事情は何だというのだろう。
 どうしても振り切れない疑念が付きまとって離れない。どうあれ、無条件で信用するのはやめておこう、と茜は誓った。彼女の人生で学ばれた数少ない、けれど大事なことだ。他人を簡単に信じてはいけない。
「それにしても、可愛い名前ですね。女の子みたいな」
 風景を見つめることに夢中になっていた彼は驚いたように振り向いた彼女と視線を交わし、そしてすぐにはかなげな微笑をキャンパスに描いた。
「昔からよく言われます。嫌だったりもしましたけど、今では気に入ってるんですよ」
 彼女の嗅覚は、その実体のない笑みと、実感のない言葉を信用に足らないものだと判断した。少なくとも、この男性は恋という名前ではあれ、その苦労を体験したことがない。彼女はよく鼻が利く。そういうことだけはよく理解できた。それでもその意味を嗅ぎ分けるには至らない。彼女は嗅覚こそ優れていても、第六感に恵まれているわけではない。
 約束通り彼をアパートまで導く道程、彼女は分岐の度に別の方向へ行く道へ逸れようかと逡巡した。しかし、彼が武装していないことを証明もできていない。手荷物こそ持っていないようだが、服を着ている以上隠す場所はある。
 分岐の度に彼女は自分の命の安全を選び取った。殺意があればどうあっても殺されてしまうかもしれない。それでもわざわざ逆上させるようなことはしないのが賢明だろう。だが、それを理解しても分かれ道が目の前に現れるたび、彼を倖雄のアパートから遠ざけようかとまた悩みださずにはいられなかった。
 もう一度彼を見やる。よほど風景が楽しいのか、まだ余所見をしながら、時折彼女の姿を確認してあとをついてくる。何か話しかけようかと考えたが、何も思いつかなかった。彼女は社交性の持ち合わせに不自由はしていなかったが、彼と会話をする気にはどうしてもなれなかった。彼が話しかけがたい雰囲気を纏っていたからだ。怒っているように見えるわけでも、踏み込んだら戻れない暗闇のように見えるわけでもない。ただどこか常人離れした雰囲気を彼女は敏感にすくい取っていた。
作品名:like a LOVE song 作家名:能美三紀