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like a LOVE song

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「お前を殺しに来た」
「お前に殺されるのを待ってた」
 恋は目を閉じて肩を竦めた。
「やるせないよなあ、自分を殺すためだけに呼ばれるなんてさ」
「うるさいな。叶わない恋を女々しく思い続けてた自分を呪えよ」
「それもそうだ」
 二人とも、渇いた笑いを垂れ流す。どちらも心のそこから笑っているつもりなのを、二人ともわかっている。だがそうできないのは、それぞれなにかひっかかりを覚えているからだ。
 本当に、これでよかったのか、と。
「お前はここまで来て恋を選ぶ。それでいいんだな」
「お前はここまで来て前に出る。それでいいんだろう」
 恋はそうか、とだけ言った。愛は笑ってベッドから降りた。
 その心臓めがけて、恋は矢の先端を突き刺した。

 静美が帰ると、父は何かに駆られるように家の中を歩き回っていた。何か物を探しているらしかったが、探している場所に一貫性がない。クローゼットを覗いた後に薬だなを開けて、一体何を探しているのだろう。いつもかけられる、お帰りという声がかけられないこと、父がずっと体調を崩して寝込んでいたはずであることを不思議に思い、静美は問いかけた。
「お父さん、お風邪大丈夫なの」
 愛はぴくり、と捜索を一時中断し、彼女を見つめた。彼女は泣き出しそうになるのを堪えながら、その視線に耐えた。
 それは彼女が見慣れたどの愛のものとも違っていた。怒るというのでもない、嘆くというのでもない。まるで別の人間になってしまったようだった。醜く引きつった笑みが彼女を見据えた。彼女は蛇に睨まれた蛙のように動けずに硬直してしまった。
「ああ、静美。お帰り。お父さん、ちょっと探し物があるから邪魔しないでくれるか」
 彼女はその言葉を聞くと駆け出し、自分の部屋に引きこもってしまった。それ以上その誰ともつかない悪魔のような人間と同じ場所にいるのが耐えられなかったのもある。それに従わなければ殺されそうな気配を感じたのも嘘ではない。
 彼は何かを探し当てたのか、「ああ、なんだこんなところにあるじゃないか」と普段の愛とはかけ離れた声を出した。次に電話のボタンを打鍵する音が聞こえ、彼は誰かと通話しだした。
「父さん、愛だけど。ちょっと東京まで行って来るから」
 留守番電話にメッセージを残しているらしい。彼女にはもう何もわからず、ただ泣き出してその悪魔を怒らせないことにだけ力を注いだ。熱くなる目頭が湛えた涙を今にも零してしまいそうになっているのを彼女は感じていた。出来れば、あと少しだけ堪えて、お願い。彼女は祈るように強く瞼を結んだ。泣き出さないように、見つからないように、二度と会わないように。
 だがその願いも空しく、戸は開けられ、静美はその彼と再び相対することになった。
「静美、父さんちょっと出かけるから、母さんと希に言っておいてくれな」
 彼女には頷く以外の行動はできなかった。どんな行動が悪魔の気に障ってしまうか、彼女にはもう判断がつかなかった。オーバーヒートした脳の回路は、今すぐにでも涙の筋を頬に刻んでしまいそうだ。
「行って来ます」
 それ以上お父さんの体を使わないで、と思いはする。ただ、唇が開かれない。
 彼が戸を開け、いつも彼女の父が乗るその車に乗り込み、それを出す音を聞き終えても、彼女は身を揺する恐怖に震え続けていた。

 勢いのまま走り出すと、気づけば窓の外はもう緑の景色でいっぱいになっていた。ここから大阪へ出るまで何時間かかるか。そこから東京までとなると、今日中につけるかわからない。簡単な地図だけは見たが、距離まで測りはしなかった。もし今日中につけたとしても、倖雄の住んでいた場所を見つけるのに相応しい時間ではないはずだ。だとすれば車中泊をすることになるだろう。まだ昼前だが、時間は無限にあるわけではない。
 彼の荷物はその身と財布、最後に倖雄から届いた年賀状と、「点滅する猫」の絵本だけだ。彼としてはその絵本にも用事はなかったのだが、最後に愛の形として連れて行くのも悪くない。
 すれ違う車もない山中を彼の車の走る音だけが駆けていく。あとどれだけで大阪に着き、あとどれだけで愛知を通り、あとどれだけで東京に着くのだろう。そう考えるとめまいがしたが、それでも引き返すつもりにはなれなかった。
 大阪へ出るまでは、捩れた道が続く。九十九折のようになった道だ。車で走っても何か気味悪いものが閉められた窓越しに滑り込んでくるような錯覚を感じる、奇妙な道だ。愛は何度か通ったことがあったが、恋がそうしてハンドルを握るのは初めてだ。無免許のようなものだろうし、知らない道のようなものだろう。だが、愛の経験は恋の経験でもある。彼は知らない道でも彼が知っている。自分のものではないデータベースが、今は自分のものに成り代わっている。
 彼はその対向もできないような細い曲がった道をただ走った。
 鋼鉄の馬を駆りながら思うのは、彼と倖雄の幾つもの思い出だった。彼が得意げに語ったいくつかの哲学や言葉、彼と過ごした鮮やかな時間たち、彼と行った様々な場所。そのどれもが、走馬灯めいて脳裡で繰り返されていた。それはある種、どんな音楽よりも心安らかな情景だったが、少し角度を変えればどんな拷問よりも辛い仕打ちでもあった。
 それは恋の苦しみと、愛の温かさ、その融合に違いない。恋はそう思った。彼が奪い取った倖雄への愛情がそうさせているに違いない。
 ここまで来て、彼は倖雄への感動をようやく恋愛事、と言い切れるようになったのだ。
 彼は誇らしくもあったが、また惨めでもあった。それにすべてを傾倒してしまうのは恋愛の徒の所業というよりは、愚者のそれであるのがわかっていた。
 けれど愚者ゆえに、彼はそれを止めることも出来ないでいた。ただ体から沸き出ずる衝動に任せて、また、泣き出さないように堪えて、車を走らせるほかなかった。

「はあ、東京へ行った」
 つい怒号も上げてしまう。どうしてそんな話になっているのか、彼女には理解しかねた。
「ああ。遠野くんの住んでいた町へ行くと言っていた」
 いやに毅然とした態度を取る愛の父に、三月はため息をついた。
「電話かけます。帰ってきてもらわないと」
 懐から携帯電話を取り出して愛にかけようとするが、彼の父はその長い腕を伸ばしたかと思うとそれを奪い取った。
「やめてあげなさい。たぶん、滅茶苦茶をやってるのはあいつも知っているよ。それでもそうしないといけない理由があったんだ。それに恐らく、携帯なんて持って行ってないよ」
 そう諭してから、正行は取り上げた携帯を返す。三月はしゅんとして、それを握った。返されても、画面には水下愛の名が変わらず表示されていた。ボタン一つ押せば、発信できるのだ。逡巡の末、彼女は画面を待ち受け表示に戻した。
「なんなんでしょう、その理由って」
「大切な友達を亡くしたんだ。その友達の見ていたものを見て、感じていたものを感じて、そうでもしないと立ち直れないと思ったんだろう」
 俺にも経験があるよ、と彼の父は遠い目をした。机の一点を見つめて、三月は遠くへ行ったらしい愛を思った。
 愛と倖雄の関係には何か問題があった。彼はそれを引け目に感じていた。
作品名:like a LOVE song 作家名:能美三紀