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like a LOVE song

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4 彼が彼を殺した


 傍観が主体の恋も身を乗り出さずにはいられなかった。
 倖雄の死は、恋と愛に関わらず彼に深い打撃を与えるものだった。融合を始めていた恋と愛は、そのショックからまた二つに別れる。
 そして束の間、愛の体の自由を恋が手に入れる。
「ちょっと待て、なんて言った」
「だから、倖雄君が死んだって。さっき遠野さんから連絡があったの。今日がお通夜で、葬式は明日だって。こっちでやるみたいだから、出るわよね」
「うん」
 適当に話を終わらせる。愛のやつ、細かい段取りだけ人に任せやがって、と心中呟いたが、仕方あるまい。
「お父さん、何の電話」
 車はどこに停めていたっけ。喪服は確かあったよな、ええと、ええと。恋は愛のデータベースから必要な記憶をとりわけていく。傍目には彼が電話を終えてから動かなくなってしまったように見えるだろう。
「お父さん、ちょっと、お父さん」
 誰かの声がする。ええい、うるさいな。言葉にはしないが鬱陶しく思う。
「お父さん。おい、愛」
 愛って誰だよ。早く家に帰らないと。
「愛」
 三月の叫ぶ声がして、恋の自由は失われる。恋はまた、遠くから愛を狙える場所に座らされている。手にしているのは、弓のような理性的な武器ではない。さっきへし折ったばかりの弓の穂先だ。
 確かに武器にならなくはないが、こんな遠方から愛を傷つけられるものではない。
 恋は駆けた。愛の内側の世界は、生きてきた時間分の広さになっている。そして、今このときも、愛の世界は広がっていく。恋とは違って勝手を理解して、かつ分解も再構築も自在にする彼を、この世界で追い詰めるのはなかなかに骨が折れる。
 けれど、と輪郭のしっかりした足を緊張させて思う。
 この足で愛に追いついて、彼を殺す。そして、彼が愛に成り代わる。融合ではない吸収で、二人を一つの存在に収束させる。
 そして、三月も希も静美も両親も、豆腐店も捨てて倖雄を追いかけ海に沈む。
 ビルの屋上にいた彼は、壁を這う非常用階段を疾駆した。

 通夜の翌日、葬式の行われるその日は、皮肉のように気持ちのいい青空が広がっていた。
 昨日よりも参列者は少ない。きっと忙しいのだ。仕事もあるだろう。東京は遠く、時間はいつも一日に二十四時間しかない。それでも八時間かけてつくかどうか、というこんな遠方まで、通夜だけにでも訪れようというのだから、彼の人望の厚さがよくわかった。広く浅くというような関係を嫌いこそすれ、人当たりはいいのだ。
 昔は限られた何人かとだけ、けれど深い付き合いをしたい、そう謳っていた彼が何人もの人と広く関わるというのはどうも信じがたかったが、彼はそういう風に成長してしまっていたのだろうか。
 彼の処世術や、業務態度。仕事への思いや、休日の過ごし方。それらすべてが、学生の頃と乖離しているのを思うと、少しだけ胸が痛むのを覚えた。彼が望んで選び取った変化がそれらであるのだろうか。彼が無理をしてそれを飲み込んでいた、と考えるほうが自然であるように愛には思えた。
 倖雄の遺体が炉に入れられ、スイッチが押されると、白い煙が上がり始める。それでも誰も泣き出さなかった。誰もまっすぐにその煙が立ち昇るのをぼんやりと見つめていた。恐ろしく青い空の所為だった。誰の顔にも雨は降らず、ひたすらに強い日光が当てられていた。マネキンたちが自分の意図と関係なく集められて、誰かの遺体が焼かれるのを見せられている。
 その両親を象ったものも、友人を象ったものも、同僚を象ったものも、みな何の意志もなくそこに立たされている。そして、青に散りばめられる白い棚引きを心の行くまで眺めていく。
 青に、その煙は馴染まなかった。
「白鳥は哀しからずや」
 不意に三月はそう呟いた。
 白鳥は 哀しからずや
 空の青 海のあをにも 染まずただよふ
 牧水の歌だ。それを聞いて、まるで無関心だったマネキンたちは硬直の呪縛から解かれた。幾筋もの雨が降った。
 天候は誰にも平等に晴れを呈している。けれど、少なくともそこにいた十数名には、冷たく辛い、雨が降った。

 三月は辟易していた。愛が床に臥せるようになってから、もう二週間が経つ。
 確かにショッキングな連絡だ。彼の親友の死は、三月の親友の死でもあった。けれど、そこまで落ち込んでは倖雄にも失礼だ、と三月は思った。人はいつか死んで、まわりはそれをいつか受け入れなければならない。今まで人はそうして栄えてきた。
 交通事故というと、自殺ではないだろう。遺書も見つからなかったそうだ。ほんの偶然、百人が百人とも自分と同じ誕生日であったくらいの偶然が重なってそうなっただけだ。だとすれば、彼の望みは愛をこうまで落ち込ませることではない。彼が一刻も早く彼のことを安心して忘れられるようになることだろう。
 今の愛は、高校に通っていた頃、倖雄と仲違いをしていた頃の彼を思わせた。あの頃、いつまでも覗き込んでいたその空虚な瞳が、また目の前に現れることを、三月は想像だにしていなかった。
「あんなにデリケートな子だったっけ」
「どうなんでしょう。付き合い始めて十五年は経ちますけど、まだよくわかりません。彼は心を開いてくれてるつもりなんでしょうけど、もう一つ大きな鍵つきの扉があるみたいで」
 何か大切なことを隠してるんじゃないかと思います。言いかけて三月はその言葉を飲み込んだ。それには何の確証もない。ただ、三月がそう感じているだけだ。
「三月ちゃんもやっぱりそう思う。昔はそうでもなかったんだけど。高校二年生くらいからかしら。丁度、遠野くんと喧嘩を始めるくらいの頃」
 それを聞いて、やはりあの仲違いの理由を明らかにしなければならない、と三月は思った。相手が故人となった今なら、彼も語る口を持つだろう。もしかすると、彼が隠している大切なことというのは、そのことなのかもしれなかった。

 愛は彼の内側の世界、その端に造られた病棟の一つの部屋に引きこもって、追いかけてくる実態を手に入れたアーチャーから身を守っていた。
 その壁を突き破るだけの武装は彼には無いはずだった。彼の手には弓しかない。その弓は万全の状態で矢から放たれてこそ魔力を持ち、どこまでも勢いを殺さず飛び、どこまでも彼を追尾し、どこまでも無敵である。どんな心象の壁もその必中の矢から逃れることは出来ない。そして逃れられなかったとき、愛の体はアーチャーのものとなる。けれど、彼は矢を折ってしまった。
 こうしてベッドの上に座って、寝巻きで、ぼんやりと外を見る。その苦しさに、自分を内側から削る痛みのあることをただ知覚する。
 どうして死んでしまったりしたんだ、と愛は叫びそうになった。
 彼と同じ年齢で死ぬのはあまりに若すぎる。遠い昔の人も、平均して四十までは生きたという。それにさえ及ばない。医学は延命の方向にだけ急速に進んでいって、救命という意味では牛歩のごとく緩やかにしか速度を出さない。衝撃を受ければ人は死ぬ。当然だが、その当然を覆すのが発達であり進化だろう。
作品名:like a LOVE song 作家名:能美三紀