like a LOVE song
愛が拗ねるようにする。倖雄はその姿が昔に立ち返っているのを見てほっとしたように微笑んだ。
「お前、宇宙センターで働いてるんだってな」
「うん。あ、名札あるよ」
手荷物から取り出された名札には、やたら長ったらしい役職名と彼の名前があり、そして写真が貼り付けられていた。疲れた表情だった。
「お前さ、昔から写真写り悪いよな」
「まあ、愛くんには敵わないね。写真に写るとすごく真面目そうになるからなあ」
倖雄は羨むように漏らした。そうだろうか、と愛は思案した。彼は倖雄が悪すぎるだけで自分は普通だろうと思う。
少し落ち着いてきたのか、倖雄は、「日下部さんと子供さんたちは」と問うた。
「静美と希なら店だよ。父さんたちの手伝いしてる。お小遣いとか貰ってるんだぜ。三月なら買い物に出かけてるけど、もうすぐ帰ってくると思うよ」
愛はそれを言い終えて一拍を置き、それと、と倖雄に迫った。
「三月の苗字は水下だ。日下部三月はもういないよ」
「誰がもういないって」
台所から湯のみを乗せたお盆を持ってやってきた三月がそう言った。
「あれ。さっき買い物行ったよな。もう帰ってきてたのか」
「十分ほど前にね」
湯のみを机の上に置きながら三月は冷たく言い放った。
「そうか、なんで気づかなかったんだろうな」
愛はそう言って考え込む振りをして、三月の怒りが逸れるのを待った。倖雄の纏う空気は、時にどんな怒りも融解させてしまう。
「日下部さん、じゃないや。三月さん、久しぶり。変わらないね」
「遠野くんこそ。けど変わらないのはここくらいまでだよね。あとちょっとすれば一気に老けていくんだから」
「考えたくないよな」
三月はじっとりとした睥睨を愛に送り、ため息をついて倖雄と視線を交わした。
「この前いきなり歳の話題を振ってきて否応なく考えさせたのは誰だったかしら」
「なあ倖雄。今ならまだ撤回できるぜ。こんなのが十年前あんな美少女だったなんて考えられるか」
倖雄は穏やかに顔を崩した。
「二人とも変わらないよ。あの時のままだ」
「そうかあ。まあ、人間なんてそんなもんだよなあ。別の生き物に変わっちまうわけじゃないんだから。あんまり変わらないよなあ」
「私も自分は結構変わっちゃった気がしてたけど、変わっていくことなんて本当は少しだけなのかもね」
三人ともそうして少し熱い茶をすこしずつ啜りながら何円にもならない話をした。今していること、してきたこと、していくこと。天気の話、テレビの話。
「そうだ、豆腐。出してやってくれるか」
ふと思い出したように愛が言う。倖雄も忘れていたらしく、はっとしたような表情をした。
「ああ、そうだっけ。冷奴でいい」
三月がそう訊ねると、倖雄は満足げに頷いた。
「うん。楽しみだな。愛くんの作った豆腐」
「父さん秘伝の豆腐だからな。美味いよ。たまに遠くから買いに来てくれる人もいるくらいだ。何かのパンフレットにも載ったこともあるし、料亭から注文受けることもあるんだぜ」
五分もせずに、その絹ごし豆腐は現れる。
「やっぱりスーパーで売ってるような豆腐とは違うの」
「それくらいには勝ってないと豆腐屋は名乗れないよ」
「そうか。そうだよね」
倖雄は割り箸を割って、豆腐を口に運んだ。
「あ、美味しい。食べやすいね」
「そりゃ良かった」
愛が照れるようにするのを構いもせず、倖雄は豆腐をどんどんと食べ進め、出された分をすべて食べ終えた。
「ご馳走様。すごいね、美味しかった」
「だろう。単純に見えて、いろんな知恵とか、錯誤とか、人のかけた時間ってやつが練りこまれてるからな」
「なるほどね。豆腐もスペースシャトルも一緒ってわけか」
倖雄がそんなことを言うので、愛は細く笑った。
「それは違うだろう。かかってる材料費も、人の手も、時間も段違いだ」
「要は一緒だよ。人が本気で作るものだ」
「人が本気で作るもの」
反芻した愛に、倖雄は微笑んだ。
かつての友人と過ごす時間は、愛にとっても、倖雄にとっても、三月にとっても矢のように過ぎ去った。話し込んでいた三人だが、急に腕時計を見た倖雄は帰らねばならない時刻になったのを告げた。その顔がすこし疲れて見えたのに愛はおや、と思った。
玄関を三人で出る。倖雄は彼の白い軽自動車に乗り込んで、鍵をキーを挿入した。
「気をつけろよ。急いで帰って事故になんてあったら洒落にならないからな」
「うん。豆腐美味しかったよ、ありがとう」
エンジンの音がして、暗い闇をライトが照らした。静美も希も眠ってしまうような遅い時間だ。今日は月も出ていないのかいやに暗い。天文といった方向に疎い三月は、強い興味を持つわけでもなくぼんやりそう思った。
「あんまり褒めるなよ、あれでもまだ改善の余地は充分あるんだ。俺が慢心したらどうする」
「それもそうか。じゃあ、また食べに来るから、そのときまでにもっと美味しく作れるようになっててよね」
したり顔の倖雄を優しく見つめて、愛はおう、と破顔した。
「じゃあな」
「うん、また」
愛と三月が一歩引いたのを見て、倖雄はアクセルを踏む。駐車場を出て、国道へ出る道路へ白い車体が消えるのを、愛はその残光の消えるまで見つめていた。
「帰っちまったなあ」
「何、もうちょっと話したかったとか」
三月はからかうように言ったが、愛は黙り込んで、家の中に引っ込んだ。図星だったのだろうか、と思いながら三月は追随した。まだ少し寒い冬めいた夜気が薄着の彼女を襲った。そろそろ静美と希を迎えに豆腐店へ行かないと。
倖雄の突然の来訪のために伸びてしまったデパート行きは、次の日曜となった。彼らには平日にも休みがあったが、静美と希はそうはいかない。どうせなら家族みんなで、と提案したのは三月だ。それを拒む者は一人もいなかった。
彼としては延び延びになってしまった結婚記念日祝いを出来るだけ急いでやりたくはあったが、静美と希も連れて行くことには何の異議もなかった。
だからこうして、彼の自動車で二つ隣の町にある巨大デパートまでやってきた。都会のそれと比較すると大人と子どものようなものだが、それでもこのあたり一帯では最も大きな商業施設であり建物だった。
「さて、どこから回ろうか」
愛が問うと、真っ先に応えたのは静美だった。
「本屋行きたい」
「ええ、お母さんの服買いに来たんでしょ」
そう非難するのは希だ。それを聞いて泣き出しそうになる静美をみて愛は、
「いや、それが今日のメインイベントだから一番最後だ。いいか、希。男なら一番大切なことは一番最後にやるもんだ」
と言った。三月はくすくすと笑った。愛自身も頬を染めた。希は納得し切れないような顔をしていたが、素直に返事をして従った。事を荒立てたくなかっただけかもしれない。
「じゃあ本屋だな。行くぞ、静美」
ぱあ、と明るくなる表情に、我が子ながら、いや、我が子だからこその愛らしさを見て、愛はすたすたと図書店のでているフロアを目指した。
愛は本屋というものが苦手だった。彼はあまり本を読まなかったし、漫画もそうだった。文字という表現媒介にどうも馴染めないからだ。
作品名:like a LOVE song 作家名:能美三紀