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like a LOVE song

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「今日はいけないけどさ。今度、服でも見にデパートとかどうかな、と思ってな」
「うん、嬉しい」
 照れたようにする愛の姿を、三月は久々に見た気がした。
 いつになっても可愛く笑う人だ、などともう冷たくなりかけている茶を傾けながら考えた。

 彼女と約束をした二人の休日を翌日に控えたその日に電話が舞い込んだ。
 三月が受話器をとって驚いたようにしたのでつい身構えたが、口調と表情からどうも悪い内容の電話というわけでも、悪い相手からの電話と言うわけでもないらしい。むしろ好意的なものでさえあるように彼には見えた。
「お父さん、電話」
「誰だ」
「出れば分かるよ」
 希がお母さん、電話誰だったの、と聞いた。三月はお父さんの友達だよ、と答えていた。
 自分の友人。愛の脳裡をちらつく一人の顔があった。もしそうだとすれば何の用だろう。今まで便りはほぼなかった。便りがないのは元気な証拠、という言葉が頭をよぎった。
「はい、お電話代わりました」
 受話器をとってそう畏まる愛に三月は破顔した。相手は、
「ああ、愛くん。元気にしてた」
 かつての親友、倖雄だと言うのに。
 愛は驚いたようにして、三月を睨むようにして見つめた。三月はそのチェシャ猫のような笑顔を愛に向け続けた。愛はため息をつくようなそぶりをだけして、壁と相対してしまった。
「もちろん。お前こそ元気か。いや、連絡してきたってことは元気じゃないのかな」
 素直でない彼の言い回しは、けれど倖雄への心配を感じ取れた。一体どんな会話をしているのだろう。
「ううん。僕の方も元気にしてるよ」
「何だよ。ちぇっ」
「久しぶりに連絡したのにそれは酷いなあ。心配とかしてくれてなかったの」
 倖雄の発言までは三月の位置からは聞き取れない。耳を澄ませて愛の声を聞いている限り、悪い話ではないようだった。
「心配なんてしてねえよ。お前のことだ、死んだりしてるわけねえだろ」
「もちろん。これで結構たくましいんだよ」
 愛が笑った。倖雄がなにか可笑しいことでも言ったのだろう。
「それで、何か用事があるのか」
「うん。明日からまとまって休みが出来たから、そっちへ遊びに行こうかな、って思ってさ。それでもやらないといけない用事があるから、明日一日だけしか行けないんだけど」
「そうか」
 けれど悪いものでないにしろ、電話や手紙の類は苦手だと以前語っていた彼が何年ぶりかに寄越す連絡だ。きっと何か大切な用事なのだろう。三月は愛の言葉だけは見失わないように耳をそばだててその会話の全体像を掴もうとした。
「だから、明日は時間大丈夫か訊きたくて。家、遊びに行ってもいいかな」
「ああ、いいぜ」
 愛は静かに言った。彼女からは倖雄が言っていることまでは聞こえない。けれど、そこでは何かが頼まれ、何かが承諾された。彼女とて、倖雄とはいい友人だった。会って嬉しくないわけはない。ただ、明日の予定が潰れてしまうのは彼女としては嬉しい事態ではなかった。
「良かった。今から夜通し走っていくよ」
「わかった。宿はどうする。実家に泊まるのか」
「ううん。ホテルとってあるんだ。父さんも母さんも旅行中で帰って来れないんだよね。昼まで寝てから行くから、一時ごろになると思う」
「おう。明日は休みだが、お前の分の豆腐は作っておいてやるよ」
 胸を張って言う愛に、少しずつ不安は募りだす。何かが欲しいというわけでも、彼と出かけたいというわけでもない。ただ、約束は覚えていてもらいたかった。何か不自然な胸のざわつきがあった。確証はなかったが、彼らの間の約束は、明日出かけよう、といった愛の言葉を容易に打ち破ってしまいそうに彼女には思えた。
「ありがとう。愛くんのつくる豆腐食べてみたかったんだよ」
「楽しみにしてろよ。用はそれだけか」
「うん。もう出発するし、会えるかどうか聞きたかっただけ。じゃあね」
「ああ、明日」
 受話器を置くと、不安そうな顔で三月は彼を見ていた。
「お父さん、明日どこかへ行くの」
 彼女の不安はわかっている。彼もそのために躊躇をしかけた。けれど、倖雄と会いたいという感情は打ち消せず、もし会うのなら気兼ねなく会話をしたかった。そのせいで、言葉には二つ返事に近い軽さがあったろうと思う。その口調から、三月に心配をかけてしまったようだ。
「ああ。悪いな。デパートまでいくのは次の休日でもいいか。明日しか会えないらしいから、会っておきたい」
 彼は忘れていたのではなくて旧友と会うのを優先しただけだったらしい。ずぼらなようで、そういうところはきちんとしているのが愛という男だ。それでも、三月のざわつきは拭いきれなかった。
「うん。いいよ。どっちにしろ記念日当日じゃないんだから、いつになっても構わないし」
 少し無理をして笑う。
「悪いな」
 その無理は、愛にはきちんと見通されている。それを知って三月はおどけた。
「いえいえ、大人ですから」
 三月の変に気取った笑い方に中てられて、彼もつられて笑い出した。
 空気を徒に悪くするのを嫌って、二人はお互い相手を気遣って笑うふりをした。

 またか、と嘆息こそしたが、今はまだ弓までは取らない。無造作に放り出された矢が錆付いていないかだけを一本ずつ確認しながら、彼は彼が半身を見つめた。
 まだそれは監視ではなく、緩やかな見物程度のものではあったが、ともすれば、それが元の監視状態に戻るということも考えられる。
 愛が望んで嗅がせたクロロフォルムの呪縛から、彼自身の不手際によって解き放たれる気分は、襲われた側としてもやりきれないものがある、とアーチャーは思った。とは言っても、一つについての意見を異にすること以外は彼らは同じ人間だ。彼を貶しすぎるのはまた自分を貶すことにもなりえるのに気づくと、彼は嘲笑して見物を続けることにした。
 愛は眠っている。その横には三月がいる。彼女も、つい先ほど眠りに落ちていった。今起きているのは彼だけだった。無論彼も愛の中の一部である。眠っていないわけではないが、愛が意識を手放した瞬間をついて顕在化している。愛が彼の存在をふと想起したからでもあったが。
 この先も意識に居座り続けることになるかは愛次第というところだろう。
 矢に錆がないことを確認すると、今度はそれを研ぐ作業に入る。そうしながら、彼は陰鬱になる気分を隠せずにいた。できれば愛が、この先自分を呼び出すことはないと良いと眠りに落ちるときに思ったのに、愛ときたらまたこうしてくだらない罪悪感の代理として彼を呼び出している。たとえ夢の中だとしても、それには違いない。そんなに罪に思うことがあるのなら、神前で懺悔でもすればいいのに、と一人ごちた。聞いているものなどもちろんない。愛にすら届いていないだろう。
 彼としても、自分の身を傷つけるようなマゾヒスティックな趣味はない。肩から向こうを切り落とすなどもってのほかだ。
 ただ、それでも譲れないこともあるんだよ、俺。
 愛に語りかける。そういえば、二人称に俺を使ったのは初めてだと、彼は発見した。そしてすぐに思い当たる。そうか、愛が俺に人格を与えたのは初めてだ、と。彼がどんな夢を見ているか知らないが、それは擬人化を飛び越えて人格を作るような自責の夢なのだろう。
作品名:like a LOVE song 作家名:能美三紀