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like a LOVE song

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3 一歩と二歩



「お父さん、ただいま」
 希が豆腐屋のドアを開けて飛び込んできた。
「店から入って来るなって言ってるだろう」
 彼の父はそういうと、その頭をカウンター越しに軽く小突いた。暴力にもなりえないくらい軽く。ほぼスキンシップのようなものだ。
「痛い」
 それでも大げさに痛がる希を笑いながら、彼の母は客に豆腐を渡し、代金を受け取った。
「これくらいの子はやんちゃよねえ、私の子もそうだったわ」
「そうなんですか。今は警察官でしたっけ」
「そう。結構忙しいみたい。最近は連絡もないのよね。親離れしてくれるのはいいんだけど」
 じゃあ、希ちゃん、元気にね。客がそう言って帰ろうとすると、彼は、
「俺は男だよ、ちゃんなんてつけないで」
 といって反発した。また父の拳が軽く彼を叩いた。今度は少し真剣味が含まれた拳だった。ともすれば暴力と言われても仕方ないかもしれない、と父は少しだけ後悔した。けれど、子どもの内はそうして学ぶこともたくさんある、と彼は思う。もちろんやりすぎは良くないだろう。何事にも適切な強さと量がある。
「お客様になんて言い方するんだ、謝りなさい」
 少し強かった痛みにここは引かなくちゃいけない、と悟った希は、素直にごめんなさい、と言うことで従った。
「いいえ、おばさんが悪かったわよね。こちらこそごめんなさい。素直でえらいわね」
 彼女は怒る様子もなく、言いたいことだけ言うとその店を出て行った。父はため息をついた。お客様は当然神様なのだが、時に祟り神であることがある。こうした失礼について、少しも寛容さを持たない神様であることもある。店の評判が落ちるというのは、経緯はどうあれ嬉しいことであるわけがなかった。今日は運が良かった。彼は妻と顔を見合わせて、その後に希を責めるような目で見つめた。
 もうそろそろ昼時、客足は一旦衰える。朝から止まらず走り続けた時間が一旦足を止め、彼らは息をつく。またこれから、昼を過ぎて夕飯時が近づくと客足は増えていく。
 まともに使えるスーパーもないこの片田舎では、商店街が買い物の重点となっている。その中でも人気があるのが、希の生家が営むこの水下豆腐店だ。豆腐が俺の人生だった、と語る希の祖父、水下正行によって確立されたその豆腐の味は、時折何らかのパンフレットに載ったり、一流のレストランや料亭などからの注文にも応えもするほどだった。遠くから買いに来たと語る客も少なくない。その味を継いだ彼の父、水下愛は父正行と、彼らの伴侶とともに二世代で店を切り盛りしていた。愛はすべての業務を引き受けるつもりだったが、正行がそれを許さなかった。彼は接客を含めて水下豆腐店を愛し、誇っていた。
 希はそんな豆腐などの店を継ぐのはまっぴらだ、と思っていた。彼の夢は発明家だった。実際それがどんな職業なのかも彼にはよくわかってはいないのだったが。
「そろそろ昼だな。お爺ちゃんにもう食べたか聞いてきてくれるか」
「わかった」
 希はカウンターの横を通って奥にある祖父と祖母の居住スペースへ上がった。和風の佇まいがどことなく懐かしさを思わせるその部屋は、祖母の意匠によるものだと語ったのは、正行だったか愛だったか。
 ランドセルを投げ出すと、彼は正行に問うた。
「おじいちゃん、もうご飯食べた」
「ああ、食べたよ。もう代わるかい」
 そうみたい、と告げると正行は妻、藍子を呼んだ。そそくさと駆けてくる彼女とともに手を洗い、エプロンを着けると店へ出て行った。
 希は台所に置かれた低いテーブルについて、誰もいない調理場から料理が湧き出てくるのを待った。
 出て行った祖父や祖母の代わりに愛が入ってきた。希は怪訝な顔をしながら訊ねた。
「お母さんは」
「静美が帰ってきてから食べるってさ」
 彼は不服そうにふうん、と言うとまた昼食を待ち始めた。いつもの場所におかれたリモコンを手に取り、テレビの電源を入れる。平日の昼間は、子供心に面白い番組はむしろ希少で、ぼんやりと昼下がりを過ごす主婦向けのこれまたぼんやりした番組が流されていた。
 それでも他に見るものもないのでそれをただじっと見つめていると、玄関側でただいま、という声がした。静美が帰って来たのだ。
「おい、希。母さん呼んできてくれ」
 希は嬉々としてテーブルを離れ、三月を呼びに店へと出て行った。
「お母さん、静美帰ってきたよ」
「わかった。じゃあ、あとはよろしくお願いします」
 藍子たちに仕事を委ねて、彼女は上がり框を踏んだ。嬉しそうにそれを出迎える希と笑みを交わしながら台所に入った。
「希、静美。手、洗って来い」
「はい」
 静美は素直に従ったが、希はまた不服そうに煌々と光るテレビ画面を見つめて動かなかった。
「なるほど、やんちゃ坊主くんはお昼が食べたくないのだね」
 愛の言葉には耳を傾けなかった彼が、三月のその言葉には機敏に反応し、洗面所へ駆けた。その様子を見て、愛は困ったように、三月は優越感をもって、顔を見合わせたのを彼は知らなかった。

 藍子作の昼食を食べ終えると、皆それぞれの時間を過ごし始めた。
 愛たちの家は店を兼ねた正行宅から二百メートルほど離れたところに建っているが、彼らの休みで無い限り、昼食はここで食べるのが慣例になっている。というのも、午前と午後を世代ごとで担当しているからだ。片方が店に出ている隙間を塗って昼食を摂り、食べ終えると交代、今度はそれまで店に出ていた二人で昼食を摂るようにしていた。ただ自営業であるため、いつも厳守されるというわけでもない。
「お母さん、小学校って退屈」
 希はその体重を三月の足に預けながら言う。三月は薄く顔を崩すと、諭すように言った。
「まだ入学式しか出てないでしょ。授業とかやってみてから言ったら」
 お母さんは退屈だったけどね、と付け加えると、彼はでしょう、と少し威張った。
「授業ってどんなことやるの」
「幼稚園でもちょっとやったでしょ。文字書いたり、計算したり。あとは、虫を観察したりかな」
 昔の記憶を漁りながら彼女が列挙すると、彼はやたらと興奮した口調で反芻した。
「虫の観察やったりするんだ」
 三月は微笑みながら頷いた。
「うん。実験とかもやるから、発明家になりたいなら頑張らないとね」
「俺は頑張らなかったけどな」
 どこから聞いていたのか、愛が急に離しかけてきた。彼女の足にかけていた体重をすっと自分で支えなおし、希は彼を軽く睨んだ。愛はそれを卑しげな微笑を浮かべて受け止めて言った。
「勉強なんかやらなくたっていいよ」
 父の表情が気に食わないこと、彼の夢を妨げる発言であることから、希は愛を睨み、何か言いたそうに口を開きかけたが、
「まあ、やりたくなければやらなくてもいいかもね」
 と三月が朗らかに語調を合わせたからか、その吐き出しかけた言葉を飲み込んだようだ。愛は優越感をもった視線で希を射抜くと、彼らが見ていたテレビ番組を一緒に鑑賞し始めた。
「そうだ、静美見なかった」
「本読んでるよ。将来図書館に篭ったりするようにならないといいけど」
「それはもしかして遠野くんのことを言ってるのかな」
作品名:like a LOVE song 作家名:能美三紀